やなせの肖像画
やなせたかし(本名:柳瀬 嵩(同じ)、1919年2月6日~2013年10月13日)とは、東京都生まれ、高知県出身の日本の漫画家・絵本作家。
国民的人気作品並びにメディアミックス作『アンパンマン』の作者として有名。
演出家、雑誌編集者、シナリオライター等様々な活動を行っており、童謡『手のひらを太陽に』などを手掛けた作詞家としても知られている。
概要
東京府北豊島郡滝野川町字西ヶ原(現:東京都北区)に生まれる。
5歳の頃、父がアモイで亡くなり、高知県に移る。
東京高等工芸学校図案科卒業し田辺製薬に務めた後、1941年に野戦重砲兵として日中戦争に出征する。
乙種幹部候補生に合格し高等司令部において中国人向けのプロパガンダ宣伝の制作を担当した。
後に高知新聞記者のデザイナーになり、30代で漫画家となる。
漫画家としてのブレイクは遅く、『アンパンマン』が人気作品となった時、すでに50代だった。
アニメ作品『それいけ!アンパンマン』が放映され国民的人気作品となったのは
さらに15年も後の1988年で、70代を間近に控えていた頃のことである。
「静かに終わるはずだった人生が晩年になって急に慌ただしくなった」とは本人の弁であり、
老境に入って以降も公演・舞台など精力的に活動していた。
晩年になってもはっきりとした受け答えから健康そうに見えていたが、その体も実は糖尿病・心臓病・白内障・緑内障などを患って、膀胱がんに至っては10回も再発するなど病魔と戦い続けていた。
90歳を超えてからは腸閉塞や心筋梗塞も患い視力はほとんど失われるなどまさに満身創痍であったが、地元へのキャラクター提供(例:土佐くろしお鉄道)等の創作活動は続けており、亡くなる直前のインタビューでも「面白いところに来たのに俺はなんで死ななくちゃならねーんだよ」と発言しており、まだやりたいことが多くあったようである。
2013年10月13日、心不全のため94歳で亡くなった。亡くなる数ヶ月前まで元気に活動しており、7月のアンパンマン映画公開時には「あと数週間だと医者に言われたが、自分が死ねば映画が話題になる(要約)」と言っていた。
やなせたかしのヒーロー像
やなせたかしがアンパンマンを生み出した背景には、戦中・戦後の深刻な食糧事情があった。
この当時彼は、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。
この自らの飢えの体験から「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という着想が生まれた。
2007年7月27日放送のなるトモ!(読売テレビ制作)に、やなせ本人がインタビューに答え「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」と述べている。
また、主人公をあんパンにした理由を
「外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である。」と解説してい る。
空腹の者に顔の一部を与えることで悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でも戦いも放棄しない。これらの点について
「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、
そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」
と自伝にて語っている。
手塚治虫との関係
手塚治虫とは1960年代から親交がある。
手塚は劇場アニメ『千夜一夜物語』制作の際に、やなせを美術監督として招き入れ、同作がヒットした礼として1967年にやなせが手掛けたラジオドラマ『やさしいライオン』がアニメ映画化する際は、
と言いポケットマネーを投資し彼を援助。結果、同作は毎日映画コンクールの大藤信郎賞を受賞し、やなせの代表作の一つとなった。
やなせはこうした手塚の惜しみない尽力に深い恩義を感じていた。
しかし、その一方手塚の超人的な仕事量と荒れた食生活には危機感を抱いていた様子で、
「アニメーションと普通の漫画を両方描くのはとても大変。どっちかを捨てなくちゃいけない。それを手塚さんは両方やってたんですね。あれは無理ですよ。あんなに仕事すれば、死にますよ。」
「それでしかもね、チョコレートをしょっちゅう食べる。おまけに、宴会の後またラーメン食べに行くんだよね。とんこつラーメンみたいなの食べるんでね、〈体に悪いから食べないほうがいい〉って言うんだけど、〈こんなもの、大丈夫だよ、平気だよ〉って言うの。もうお腹、こんなに大きくなってましたよ。だから結局病気になって倒れてしまった。あんなメチャクチャな生活してたからだよ。」
と晩年に糸井重里との対談で話している。
追記
- ミッシェル・カマというペンネームを用いていた。
- 朝食は自家製のパンに徹している。本人曰く「米では胃がもたれるからパンにしている」
- 暢婦人との間に子供はなく、本人はアンパンマンを自身の子供のような存在だと考えていた。
代表作 |
作詞 |
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関連項目
外部リンク
- 「箱入りじいさん」の94年。(亡くなる2ヶ月前に行われた糸井重里との対談)
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