- 選挙王政時代のポーランド国王。ザクセン選帝侯としてはフリードリヒ・アウグスト1世。
- ヴェルフ家出身のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公。
- 「銀河英雄伝説」の登場人物。ゴールデンバウム朝銀河帝国第14代皇帝。
である。この記事では3.について解説する。
概要
ゴールデンバウム朝銀河帝国第14代皇帝(在位R.C.247-253)。先帝リヒャルト3世と皇后イレーネの第1皇男子。
「流血帝アウグスト」の名で悪名高き、ゴールデンバウム朝最悪の暴君である。
皇太子時代
帝国暦220年前後に生まれたアウグストは、その皇太子時代のうちに少なくとも人格的には暗君たるの素質を示していた。20代の若さで大酒と荒淫と美食を友とし、さらにその不健康な生活からくる痛風(帝国暦時代でも抜本的には治療できないようだ)の痛みを抑えるためにアヘンを常用していたと言われる。「すでに彼は人生のあらゆる快楽を知りつくしていると言われていた」とは、皇帝に即位した際の彼を評した言葉である。
これらの性癖から、彼の身体の99%は脂肪と水分が占め「溶けかけたラードのような巨体」になっていたという。むろんそのような半崩壊状態にある彼の身体が自力で移動できるわけもなく、アウグストは車椅子ロボットの支えによって移動していた。「自分の脚で歩くこともかなわぬ者が、巨大な帝国を肩のうえにのせることができるだろうか?」という信念によって新無憂宮に走路もエスカレーターも設置しなかった大帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムがこれを見たら、子孫の醜態をさぞ苦々しく思ったことだろう。父リヒャルト3世すら、不興を感じずにいられなかったのだから。
このような有り様でありながら、第1皇男子たるアウグストは誰にとっても不幸なことに白痴ではなかった。それなりの知能を持つ長男であるアウグストを皇太子から引きずり下ろし、さほどアウグストと変わるでもない三人の弟のどちらかをあえて代わりに立てるべき理由は見つからず、結局、第14代皇帝アウグスト2世が生まれることとなった。
人類史上最悪の6年間が、ここにはじまる。
皇帝時代
即位した彼が最初にしたことは、父の寵姫を後宮に留めおいたことである。そしてその行動を嗜めにアウグストのもとを訪れた母后イレーネを待ち受けていたものは、数百に及ぶ惨殺体であった。アウグストは「夫を寵姫たちに奪われた母の復讐」と称して父の寵姫を虐殺したのだった。これが、全ての悪逆非道の始まりだった。
一週間で閣僚が全滅した。三人の弟はいずれも帝位簒奪を企んだ罪で処刑され、彼らを産んだ母イレーネも自殺させられた。彼に「叛逆者」とされた者達は即時処刑され、その対象が貴族平民という身分を全く問わなかったという点において、アウグスト2世の時代はゴールデンバウム朝で最も「公平な」治世となった。
彼の命令によって殺された人間の数は最大で2000万人、最小でも600万人とされる。ルドルフ大帝の死後に叛乱を起こして殺された5億人、劣悪遺伝子排除法によって犠牲となった40億人に比べればはるかに少ないが、この二つが帝国の安寧という明確な信念と国法の下に政治として行われたのに対し、アウグスト2世のそれは快楽に過ぎなかった。
死
帝国暦253年、アウグスト2世の暴政は終焉を迎える。
当時、皇帝の近親者はほぼ全員が処刑されて廃絶していたが、その暴政の初期にオーディンを脱出したアウグスト2世の従兄弟、つまりリヒャルト3世弟アンドレアスの子たるリンダーホーフ侯爵エーリッヒだけが生き残っていた。そしてアウグスト2世がそれに気づいて不逞な従兄弟を排除するように命じると、エーリッヒはついに叛旗を翻したのである。
エーリッヒの味方は本人の予想以上に多く集まった。皇帝の暴政に見切りをつけた近隣の警備部隊やコンラート・ハインツ・フォン・ローエングラム伯爵を始めとする貴族たちが続々と彼のもとに馳せ参じ、この叛乱に対応した討伐軍もまともに戦う気を無くしている有様だった。エーリッヒはトラーバッハ星域で討伐軍を下してあれよあれよという間に帝都オーディンに到着したが、その時には皇帝は死んでいた。
近衛旅団長であり、アウグスト2世の腹心として数々の誅殺を指揮したシャンバーク准将が主君を見限り、暗殺したのである。そして彼の功績は正しく報われることになった。新帝エーリッヒ2世は暴君を排除した功によってシャンバークを大将に昇進させ、先帝の暴政を弼けた罪によって銃殺刑に処したのである。
殺人の手段
「史上最悪のシリアルキラー」として後世に恐れられる暴君アウグスト2世は、叛逆者を単に殺すだけでは満足せず、処刑方法にも多くの工夫を施した。
惨殺された寵姫たちはその皮を全て剥がれていたと言われているし、簒奪陰謀の罪で処刑された三人の皇弟の死体は切り刻まれ、遺伝子操作によって生み出された有角犬の穴に投げ込まれた。他にも彼は無数の処刑方法を実行したが、そして何より彼を有名にしたのは、かの「アウグストの注射器」である。
それはダイヤモンド製の細い針であった。彼はそれを受刑者の眼球から眼底、そして頭蓋骨に至るまで突き刺して脳に達さしめ、傷によって狂死せしめるというおぞましい処刑方法を考案し、実行したのである。
因果応報、彼の死も自らの処刑方法によるものであった。近衛旅団長シャンバークは、有角犬に餌をやっていたアウグストを後ろから突き飛ばし、その穴に落としたのである。彼は自らの残虐なペットによって食い殺されたのだった。
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関連項目
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