アジャ・コングとは、日本のプロレスラー、タレントである。
本名は宍戸江利花なので、この方もエリカ様と呼ぶことが出来る。
1970年9月25日生まれ 東京都立川市(米軍立川基地)出身 OZアカデミー所属
レスラーとしての概要
アフリカ系アメリカ人の米軍兵と事実婚の関係にあった日本人女性との間に生まれた少女は、父親がエリカ属の花からとった江利花と名づけられた。しかし、父はすぐに本国アメリカに招集され、母子家庭となってしまう。当時はやはり日本人ではない人間との間に生まれた人間だからなのか、中学時代まではひどい虐めを受けていた。中学を卒業してからは全日本女子プロレスに入門。1986年の豊田記代戦にてデビューを飾る。しかし、入門時に最愛の母が肝臓癌で死去。江利花はアジアのキングコング=アジャ・コングとして悲しみをバネに奮起することを誓ったのだった。
なお、リングネームの「アジャ」は新人時代の自己紹介の時に名前を言ったところ「違う、お前はアジャな」と全く脈絡もなく言われ続けれ、その後幾度とリングネームを変えていき、全女を運営していた松永一族に当初は「コング・アジャ」に命名しようとしたが、リングアナウンサーの氏家がそれじゃあ言い難いから「アジャ・コング」にしてほしいと言われ、その名前が浸透していったと後年アジャ自身が語っている。
当初は獄門党の一員でブル中野の付き人であったが悩みはあった。当時はベビーフェイス志向だった上に、長与千種との戦いを避けたがっていたのだ。だが、ダンプ松本の励ましにより吹っ切れ、ヒールレスラーとして活躍するようになる。ユニバーサル・プロレスリングとの試合にて男性レスラーファンにも注目され、90年代初頭にはバイソン木村と共に獄門党を離脱しジャングル・ジャックを結成して獄門党との抗争を開始。その間にはブルとの金網デスマッチや敗者髪切りデスマッチに発展したり、盲腸炎の手術からわずか1週間で強行出場した試合中に傷口が開き大流血するなど熾烈を極めた後、1992年11月26日川崎市体育館大会でWWWA世界シングル王座をブルから獲得。団体対抗戦突入前の女子プロレスシーンを大いに盛り上げた。
1997年に全日本女子プロレス退団し、アルシオンを設立するも小川宏とはそりが合わず脱退。GAEA JAPANを戦いの舞台にする一方で、2000年代から男性プロレスラーとの試合を行う機会も増えていく。あ、ハッスルに出ているのは顔が似てる友人であるEricaさんであって、アジャ・コングさんがノーメイクで出ているわけじゃないですからね! 実はこのとき、レイザーラモンHGに惚れており、実際に告白したが友人関係にとどまっている。
2006年10月23日、初代女王を目指すためという大義の元、OZアカデミーに入団。これは尾崎魔弓の策略にはめられて参戦せざるを得なくなったのだが。だが、やるときにはやるようで、本当に初代女王になる。現在は所属するOZアカデミーの他、プロレスリングWAVEやJWP、センダイガールズに参戦中。特にセンダイガールズにおいては里村明衣子の節目に戦う最大の敵として出場している。
入場テーマ曲
タレントとしての概要
きりりのCMで瀬戸朝香と共演したことがきっかけでフォスターにタレントとして所属、芸能活動も行うようになった。おそらく、バラエティ番組などで一斗缶や裏拳で芸人をシバくシーンを見た人もいるだろう。女子刑務所東三号棟などでは本名名義でクレジットされており、女優としての顔も持つようになった。それゆえだろうか、2007年にはフジTV警察24時では沢尻エリカネタをやってのけた(しかも、警察への暴行したら自ら檻に入る)。このネタが気に入ったのか、友人のEricaがハッスル・ハウスやハッスルのクリスマスSP2007でエリカ様ネタをやっていた。
だが、2010年7月からWAHAHA本舗に移籍。どうやらフォスターの体質がアジャ本人には良すぎて、迷走大好きな性格的に危険信号が灯ったためである。さて、次はどのように迷走してくれるのだろうか。
また、2011年には映画「老獄/OLD PRISON」では辻岡正人監督の熱望により、主演の看護師役に抜擢された。
関連動画
関連項目
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