決意
どうかお気遣いなく
躊躇いも恐怖心も捨てました
酷なる道も気にしませんむしろあなた達こそが
迷い怯え苦しむのです
このままでいいのか
従うだけなのか
最後まで戦えるのかとあなた達を青ざめさせよう
それが私の決意です
アストンマーチャン(Aston Machan)とは、2004年生まれの日本の元競走馬である。鹿毛の牝馬。
同期の歴史的名牝2頭とともに世代を牽引する道半ば、病魔に斃れた悲運の快速牝馬。
主な勝ち鞍
2006年:小倉2歳ステークス(GIII)、KBSファンタジーステークス(GIII)
2007年:スプリンターズステークス(GI)、フィリーズレビュー(JpnII)
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「アストンマーチャン(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父アドマイヤコジーン、母ラスリングカプス、母父Woodmanという血統。
父は1999年クラシック世代の朝日杯馬で、骨折による1年半もの長期休養と低迷を乗り越え、6歳で安田記念を勝った不屈の芦毛。マーチャンはその初年度産駒である。種牡馬としては他にスノードラゴンなどを送り出した。
母は芝ダートの短距離を走って15戦3勝。
母父ウッドマンは自身は2歳GIII2勝に留まったが、種牡馬としては早熟でスピードに優れた産駒を多数送り出し成功を収めた。日本ではでかすぎるヒシアケボノが代表産駒。
2004年3月5日、千歳市の社台ファームで誕生。父アドマイヤコジーンの種牡馬評価が未知数だったこともあり、セレクトセールでは買い手がつかなかったが、その後、戸佐眞弓オーナー(東京の形成外科医)に引き取られることになった。戸佐オーナーにとっては、彼女が2頭目の所有馬である。
ちなみに戸佐オーナーは年に1頭所有するかどうかという規模の個人馬主だが、彼女のあと、全妹のジャジャマーチャンも所有。ジャジャマーチャンは未出走で繁殖入りとなったが、さらにその仔の牝馬も「ザマーチャン」「アラマーチャン」と名付けて所有、この2頭も繁殖入りしており、間接的にではあるがアストンマーチャンと同じ血を繋いでいる。
馬名はイギリスの自動車ブランド「アストンマーティン」にオーナーの学生時代の愛称をかけた駄洒落である。登録上は「サーキット名+人名愛称」とされている。
2歳
栗東の石坂正厩舎に入厩し、2006年7月、小倉の芝1200m・牝馬限定の新馬戦でデビュー。鞍上に武豊を迎えるも物見をして外にヨレ、クビ差の2着。中1週で同条件の未勝利戦に向かい、単勝1.3倍に応えてきっちりと勝ちあがる。
続いて向かった小倉2歳ステークス(GIII)では単勝5.0倍の3番人気だったが、逃げる2番人気ストラテジーを2番手でぴったり追走し、4コーナーであっさりかわして抜け出すと、そのまま直線では後続を全く寄せ付けず、最後は2馬身半差をつける力強い内容で重賞初制覇。この時鞍上だった2年目の鮫島良太騎手もこれが重賞初制覇となった。
4戦目は11月のKBSファンタジーステークス(GIII)。1400mへの距離延長がやや不安視されたか、再び鞍上に武豊を迎えながらもここも4.8倍の3番人気だった。しかし外目の枠から枠なりで5番手あたりでレースを進め、直線に入って残り200mで先頭を捉えると、そこからは完全な独壇場。他の馬が止まって見えるような末脚であっという間に突き放し、なんと最後の200mだけで5馬身差をつける大圧勝。そして勝ち時計1分20秒3は芝1400mのJRA2歳レコードを0.5秒縮める驚愕のタイム。しかもこのときレース中に落鉄していたらしい。ともあれ、これで一気にアストンマーチャンは世代の牝馬筆頭に躍り出ることになった。
2歳女王を目指し、阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)に向かったマーチャン。ファンタジーSの衝撃的な勝ち方で、ここでは単勝1.6倍という圧倒的な1番人気に支持される。だが、ここには後のあの女帝が待ち構えていた。そう、この時点ではまだ新馬戦を勝ち500万下を2着としただけの1勝馬で抽選を突破しての出走ながら、単勝11.1倍の4番人気に支持されていたウオッカである。
アストンマーチャンは絶好のスタートを切り、少し抑え気味にしながら3番手あたりで先行。直線で最内のスペースを突いて先頭に立ち、そのままぐんぐん抜け出して押し切るかと思われたが、そこに外から猛然とカッ飛んできたのがウオッカ! ウオッカと完全な2頭のマッチレースとなり、最後にクビ差かわされて2着。敗れたものの3着は3馬身半突き放し、この2頭が翌年の牝馬戦線の主役となることは間違いないと思わせる激闘であった。
3歳
2007年はフィリーズレビュー(JpnII)から始動。ここは1.1倍という圧倒的支持を受け、枠なりに外目の好位で進めると、直線で楽々と抜け出して2馬身半差の楽勝。この前週にはチューリップ賞でウオッカとダイワスカーレットが初対決で死闘を繰り広げ、アストンマーチャンのこの勝利で、完全に桜花賞はこの3頭による3強対決という様相となった。
アストンマーチャン2馬身、3馬身リードをとっている、アストンマーチャン1着!
待っていろウオッカ! 1分21秒8! アストンマーチャン楽勝です!
楽に勝ち上がりましたアストンマーチャン、桜花賞へ向けてウオッカに、そしてダイワスカーレットに挑戦状です!
迎えた桜花賞(JpnI)。チューリップ賞を勝ったウオッカが1.4倍の圧倒的1番人気で、アストンマーチャンは5.2倍の2番人気。ダイワスカーレットが5.9倍の3番人気。以下、4番人気は34.7倍。出走18頭のうち11番人気から単勝万馬券と言えば、どれだけこの3頭が飛び抜けた評価だったか解るというものである。
しかしマーチャンはパドック・返し馬でイレ込み、レースでもスタート直後に引っ掛かって前に出てしまい、直線でダイワスカーレットとウオッカに外からかわされるとあとはもう粘る力は残っておらず、2頭の死闘の後方で7着に敗れてしまう。
結局、ウオッカ・ダイワスカーレットとの戦いはこれが最後となった。
その後、残りの春シーズンは休養に充て、スプリント路線に転向。復帰戦は8月の北九州記念(JpnIII)。ここは超ハイペースで前潰れの展開に巻き込まれ、直線で力尽き6着に敗れる。
なお、このときマーチャンと一緒に先行して一緒に力尽き7着に敗れたのが、前走アイビスSDで重賞初制覇を飾ったばかりの2歳上のサンアディユ。そしてその2頭をかわして5着だったのだが、ファンタジーSと桜花賞でマーチャンの後塵を拝していた同期のカノヤザクラである。
……ここでこの2頭の名を挙げた理由は後で触れるが、詳しくはそれぞれの記事も参照してほしい。
次走はスプリンターズステークス(GI)へと直行。武豊は同じく主戦を務めていたスズカフェニックスに騎乗することになったため、鞍上には逃げ戦法で有名な中舘英二を迎える。中舘騎手に依頼したのは、ここ2戦引っかかって力尽きる展開が続いていたことから、「控えて折り合いを欠くぐらいならいっそハナを切らせよう」という石坂師の狙いがあった。1番人気は前走セントウルSを5馬身差で圧勝してきたサンアディユ(3.6倍)。2番人気はこの年の高松宮記念馬である前述のスズカフェニックス(5.2倍)。マーチャンはそれに次ぐ3番人気(5.6倍)だった。
不良馬場のなか、グイグイ押して果敢にハナを切ったアストンマーチャン。後続を2馬身、3馬身と離して超ハイペースで猛然と逃げる。直線でも後続を突き放して逃げる逃げる。不良馬場に脚をとられて伸びあぐねる後続。必死に追ってくるアイルラヴァゲイン、それを外からかわして猛然と追い込んできたサンアディユら古馬たちを、最後まで抑え込んでの鮮やかな逃げ切り。中舘騎手の力強いガッツポーズとともに、ニシノフラワー以来となる3歳牝馬でのスプリンターズS制覇を果たした。中舘騎手にとっても1994年にヒシアマゾンでエリザベス女王杯を制して以来のGI勝利、そして中央では最後のGI勝利となった。
その後はスワンステークス(GII)に再び中舘騎手とともに1番人気で出走するが、ここも全力で逃げたものの逃げ切るには1400mは長かったか、直線で完全に力尽きて14着に大敗。
香港スプリントにも予備登録していたが、10月23日に馬インフルエンザの影響で、検疫が当初1ヶ月かかることが見込まれたことで回避が決定。放牧に出されることになり3歳シーズンを終えた。
4歳・突然の別れ
2008年は2月のシルクロードステークス(GIII)から復帰。鞍上にも武豊が戻ったが、ここも逃げたものの残り100mで力尽きて沈み10着。
その後、高松宮記念に向けて調整していたが、3月3日に突然体調を崩したことで同レースを回避。原因不明の高熱と下痢で脱水症状を起こす、X大腸炎という馬特有の難病だった。栗東トレーニングセンターの診療所に入院し懸命の治療が続けられたが、4月21日に急性心不全のため死亡した。
なおこの1ヶ月前、スプリンターズSで2着だったサンアディユが、オーシャンSで発走トラブルにより最下位に敗れたあと、馬房内で心不全で急死していた。スプリンターズSの1着馬と2着馬が、半年後に相次いで天国のターフへ旅立ってしまうなど、誰が想像しただろうか。
またファンタジーS・桜花賞・北九州記念で戦ったカノヤザクラも、2年後に3連覇を目指したアイビスSDで故障、かつて目標として追っていた2頭の後を追うように予後不良となっている。
マーチャン、サンアディユ、カノヤザクラに加え、マーチャンとの対戦はなかったが、2歳上のラインクラフトや、同期でカノヤザクラの同厩でもあったスリープレスナイトなど、この時期に短距離戦線で活躍した快速牝馬は早世が相次いだ。
戦績もさることながら、キュートな顔立ちにくわえピッチ走法で懸命に脚を動かして走るその姿も人気が高かったアストンマーチャン。担当厩務員はそのグラマラスな体型から「柳原可奈子」と呼んでいたとか(余談だが同厩で、マイルチャンピオンシップで優勝するなどしたブルーメンブラットは端正な顔立ちから、「リア・ディゾン」と呼ばれていたとか)。
生きていればウオッカ・ダイワスカーレットとはまた別の路線で、2007年クラシック世代を牽引する存在としてなっていただろうアストンマーチャン。健気に、愛らしく、懸命に走って、あまりにも早く走り去ってしまった悲運の快速牝馬は、故郷の社台ファームで静かに眠っている。
血統表
アドマイヤコジーン 1996 芦毛 |
Cozzene 1980 芦毛 |
Caro | *フォルティノ |
Chambord | |||
WRide the Trails | Prince John | ||
Wildwook | |||
アドマイヤマカディ 1991 栗毛 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer | |
Lady Victoria | |||
*ミセスマカディー | *トライバルチーフ | ||
Hanina | |||
ラスリングカプス 1993 黒鹿毛 FNo.2-n |
Woodman 1983 栗毛 |
Mr. Prospector | Raise a Native |
Gold Digger | |||
*プレイメイト | Buckpasser | ||
Intriguing | |||
*フィールディ 1983 鹿毛 |
Northfields | Northern Dancer | |
Little Hut | |||
Gramy | Tapioca | ||
Gracile |
クロス:Northern Dancer 4×4(12.50%)
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
- 競走馬の一覧
- 2007年クラシック世代
- サンアディユ / カノヤザクラ
- アドマイヤコジーン - 父
- ラブミーチャン - 馬主間に交流があり名前の"チャン"がアストンマーチャンにあやかって名付けられている。
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- なし
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- アドマイヤオーラ
- ウオッカ
- エイジアンウインズ
- カノヤザクラ
- ヴィクトリー(競走馬)
- クィーンスプマンテ
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