アッツ島とは、アメリカ合衆国アラスカ州アリューシャン列島に位置する島である。
概要
アリューシャン列島の中に点在する島の一つ、アッツ島。アメリカ領だが無人島である。アッツ(熱っつ)島という名前から暑そうな環境を連想させられるが、北極に程近いベーリング海にあるので非常に寒い。アリューシャン列島は荒天と濃霧が発生しやすく、特に6月から7月にかけて霧がよく発生する。1年のうち、晴天なのはわずか10日程度だと言われる。気温も最高で10℃ほどと寒冷地である。現在、厳しい立ち入り規制が施されているので観光で行く事は出来ない。
元々アラスカはロシア帝国の領土で、アッツ島もロシア帝国に帰属していた。しかしこれと言って開発はされず、無何有の世界が広がったままだった。1867年、ロシア帝国はアメリカに720万ドルでアラスカの領有権を売却。これに伴ってアッツ島もアメリカ領に編入された。アメリカはアラスカを開拓し、漁業や狩猟の拠点としたが、アッツ島は手付かずのままだった。
大東亜戦争とアッツ島
日本から遠く離れているアッツ島だが、実は日本とも関わりがある。
大東亜(太平洋)戦争が勃発してから半年が経った1942年6月上旬、日本海軍はミッドウェー占領作戦と同時に陽動でアリューシャン列島にも進攻した。この時、アッツ島とキスカ島に部隊を上陸させて占領。予定では占領は一時的なもので、すぐに撤退するはずだったが、ミッドウェー海戦の敗北により方針転換。急遽アッツ島(とキスカ島)の持久維持が決定し、増援部隊と補給物資が送られた。占領後、アッツ島は熱田島に改名した。無人島とはいえ、れっきとしたアメリカ領が占領されたため連合軍に大きな衝撃が走った。
地理的にキスカ島の方がアラスカ本土に近かったので、戦力増強はキスカ島が優先された。アッツ島へ輸送する日本艦隊と、奪還の機会を虎視眈々と狙うアメリカ艦隊との間で何度か小競り合いが起きており、1943年3月27日にはアッツ沖海戦が生起している。
連合軍が反攻に転じた1943年5月12日、アメリカ艦隊はアッツ島を攻囲。上陸を開始し現地の守備隊と交戦を開始した。敵の上陸を聞き、日本海軍は空母翔鶴を基幹とした迎撃艦隊を編成したものの先に守備隊が玉砕。アッツ島はアメリカの手に戻った。ちなみに守備隊の玉砕が使われたのは、アッツ島が初である。
ニコニコ動画に上がっているアッツ島関連の動画は、入島規制もあって戦争関係のもので占められる。
関連動画
関連項目
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