概要
ギリシャ南部に位置する、同国の首都であり、最大の都市である。都市圏を含めた人口は300万人に及び、政治的及び経済的な中枢を担っている。漢字では「雅典」と記述し、これはアテネではなく、英語の綴りであるAthensから音写したのを当て字にしたものとされている。
今から2500年ほど前の時代においては古代ギリシャ世界の中心をなした、アテナイとして世界中で認知されているが、現在でもその人々が遺した遺跡は観光資源として多くの耳目を集めている。
また、地中海性気候に加え、都市開発によるヒートアイランド現象はアテネも例外ではなく、夏になると度々熱波の被害を受けている。1977年には48度というヨーロッパでの最高記録の気温を叩き出している。
歴史
古代におけるアテネの事績についてはアテナイの記事に譲るとして、ここでは中世以降のアテネについて扱う。ローマ帝国の支配下に入ったアテネは、ビザンツ帝国に宗主国が変わっても学芸の中心又は東地中海貿易の中継地点としてそこそこの繁栄をしていた。
しかし、第4回十字軍後に成立したアテネ公国の時代を経てオスマン帝国の支配下に入ると、その数々の遺跡や遺物に大きな衝撃を受け、次々と破壊と略奪が行われた。典型例としてはパルテノン神殿がモスク風に改造されたことがあげられる。その為、オスマン帝国の支配下に入ってからの数百年にかけてアテネは衰微し、首都のイスタンブールにも近かった事から度々戦地になったこともあって荒廃が進んだ。
しかし、その運命は1830年にオスマン帝国から独立を果たしたギリシャ王国によって、1834年から首都として大規模な再開発が進んだことから大きく好転することになる。一田舎にまでその地位を落としていたアテネに再び光が差したのは、ギリシャ国民の感情や歴史的経緯を鑑みたのが大きな理由であった。
また、この都市の開発はギリシャにとっては初の近代都市開発であり、その意味合いでも大きな役目を果たした。その甲斐あって1833年までは4000人しかいなかった人口が、約100年ほどを経て40万人にまで膨れ上がり、首都としての基盤を固めた(第一次世界大戦後にはトルコとのあいだで人口交換が行われ、その影響で一気に30万人人口が増えたという)。また、クーベルタンの提唱で、アテナイの故事にならって1896年に第一回オリンピックがこの都市で開催された。2004年にも夏季オリンピックの開催都市となり、記憶に残っている人も多いだろう。
関連項目
- ギリシャ
- アテナイ ‐ 同じ位置に存在した、古代ギリシャのポリスについてはこちらを参照
- 首都
- 都市の一覧
- アテネオリンピック(1896年)
- アテネオリンピック(2004年)
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