アニマルウェルフェア(Animal Welfare)とは、人間以外の動物にも苦痛から逃れる権利があるという思想のことである。ここでは似た概念であるアニマルライツ(Animal Rights)についても記述する。
概要
要するに、飼われている動物、食用の家畜、野生動物にも苦痛から逃れる権利があるという思想のこと。
例えば、屠殺する際にもなるべく苦しまないような方法を取るだとか、家畜として飼うにしても、ぎゅうぎゅう詰めにして飼育したり、無理矢理餌を食わせたりするような方法はやめましょうということである。
ニワトリを例にとってみれば、多くの場合ニワトリは生産性を上げるためゲージにぎゅうぎゅう詰めにされ、くちばしを切られたりして飼われている。しかも、ブロイラーは早く成長して太るように品種改良されているので、自分で歩いたりできないこともままある。そうではなくて、平飼いないしは放牧して、多少は経済的には非効率的にはなっても、ニワトリにもストレスや苦痛を与えないようにして飼いましょう、というわけである。
アニマルライツ
ここからさらに、人権を動物にある程度演繹して、動物にも人権に似た概念を認めるべきである、というのがアニマルライツである。どの程度の権利を考えるかは人によって異なり、「むやみに殺されたりするべきではない。」というものから「財産扱いしたりするべきではない」「食べたり動物実験に使ったりするべきではない」など幅があるものである。ともかく、動物にも生きる権利であるとか、苦痛を与えられない権利があるから、「食べることが目的ではないスポーツハンティングはやめようよ」「虐待みたいなことはやめようよ」「家畜として扱うのはやめようよ」みたいな思想のことである。
このような概念自体は、古代から、特に東洋思想では存在している。人間も動物に生まれ変わったりする輪廻を説く仏教では、だから自然や動物も大切であり共生しましょうという思想を持ち、殺生を戒めてきた。「神は人間を自分に似せて作ったから人間は動物より一段高い存在であり、自然は人間に征服されるもの」と捉えてきた西洋のキリスト教などとは対照的である。そんな西洋でも、近代に入ってくるとルソーのように現在のアニマルライツに近い考えを説く人が現れた。このように、現代になってからいきなり現れた突飛な思想というわけではなく、ある程度人間が普遍的にぼんやり考えてきたことではある。
批判
どの動物までにアニマルウェルヘアやアニマルライツを認めるのか
菌類、細菌類、植物、両生類、虫...など、ありとあらゆる生物にそのような権利があるとするならば、ありとあらゆる生物に配慮しなくてはならなくなり、我々の生活は成り立たなくなるだろう。しかし、「ほ乳類にだけ認める」「人間に近い生き物だけ認める」みたいなのは種差別であり、結局は偽善であるということ。
経済性は失われるけど....
アニマルウェルヘアに配慮したならば、当然経済的な効率性は落ち、酪農家や農家の儲けはその分なくなるわけだけど、誰が保障するの?
日本の文化や伝統にまで文句を言う
富山県砺波市では、厄払いのため鯉に酒を飲ませ放流する神事がある。また、三重県桑名市にある多度大社では、坂を馬に乗って駆け上がり吉凶を占う「上げ馬神事」が行われている。また、日本の食文化に活け造りがあるが、これらのような日本の伝統や神事にまで活動家がケチをつけるなど、問題がある。
エコテロの原因、活動家や新興宗教的な思想と結びつく
シーシェパードなどエコテロの原因となっている。また、このような思想を持った活動家が騒ぐ、発生する、宗教と結びついてこれらのような思想を主張するなど胡散臭いものであるという批判。
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関連項目
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