アフガニスタンとは、アジアの中央に位置する 現代の魔窟 多民族国家である。
概要
基本データ | |
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正式名称 | アフガニスタン・イスラム共和国 جمهوری اسلامی افغانستان Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Afghānestān |
国歌 | ソルーデ・メッリー![]() |
国花 | 赤いチューリップ |
公用語 | パシュトー語、ダリー語 |
首都 | カーブル(Kabul) |
面積 | 652,225km²(世界第40位) |
人口 | 約3900万人(世界第37位) |
通貨 | アフガニ(AFN) |
それは全アフガニスタン人の誇り
平和の地 剣の地 その勇敢なる息子たち
ここは全ての民族の故郷である
バローチ人 ウズベク人 パシュトゥーン人
ハザラ人 トルクメン人 タジク人
そしてアラブ人 グジャル人 パミール人
ヌーリスタン人 ブラフイ人 キジルバシ人
アイマク人 ファルシワン人
青空に輝く太陽の如く この地永久に栄えん
アジアの中心としての思い 常に胸の中にあり続けん
我らは唯一神に従う
我ら唱える アッラーフアクバル(神は偉大なり)
我ら唱える アッラーフアクバル
我ら唱える アッラーフアクバル
国旗は縦に黒・赤・緑で三分割し、中央に国章。黒は何百年と続いた侵略・抑圧の歴史を表し、赤は長年の闘争で流された国民の血を表し、緑は自由と平和・農業・イスラム教を表す。
地理
国名のアフガニスタンとは「アフガン人(パシュトゥーン人)の土地」という意味のペルシア語。漢字表記は阿富汗斯坦(中国では阿富汗)。国土の四分の三を山岳地帯が占め、北東から南西およそ1,200km・南北幅およそ500kmにわたってヒンドゥークシュ山脈が横たわる。平地は北部国境を形成するアムダリヤ川周辺と、南西部。大きな河川・湖沼に乏しく、水源は高山からの雪解け水が頼りとなる。降水量も多いとはいえず、2008年には大干ばつに見舞われた。また、隣国パキスタンと同様に地震が多い。
ヒンドゥークシュとはペルシア語で「インド人殺し」を意味する。中国とインド亜大陸を隔てる東のヒマラヤ・カラコルム山脈に対し、中央アジアとインドを隔てる北の壁であるが、それでもカイバル峠・サラン峠などの峠道を通じて、シルクロードとインドを繋ぐ南北の交易路が築かれてきた。玄奘三蔵がインドへ入ったのも、現在のバーミヤンからカブール~ジャララバード~カイバル峠~ペシャワール~イスラマバードへ向かう道である。
経済
長年の戦乱で工業の発達が遅れ、農業(※ニンジンの原産地。また、名産品としてザクロ)と牧畜(遊牧)が主産業。その一方で、アヘンの原料となるケシ(芥子)の栽培が、軍閥や反政府勢力の資金源として近現代に広く行われ、生産量は全世界の9割を占めると言われる。現政府の撲滅政策にも関わらず、一向に減らないのが実情。
言うまでもなく住居・道路・水道・医療等のインフラが整っておらず、もとからの住民のみならず、戦乱を避けて国外に逃れていた難民の帰国についても大きな足かせとなっている。失業率は40%以上。
鉱物資源についてはいくらか有望ではないかと思われる事象もある。古代はラピスラズリの産地で有名だった。銅鉱床・鉄鉱床の存在も確認されている。2010年、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は1兆ドル規模の金やレアアースの鉱床がアフガニスタンにあると報じた。
国内産業がズタズタのため、国家予算の9割を外国からの支援に頼っている。2002年と2012年、東京でアフガニスタン復興支援国会議が開催され、日本(議長国)は2002年からの10年間で約33億ドル規模の支援を行ったこと、次の10年間も最大約30億ドル規模の支援を行うことを表明した。
アフガニスタンの民族
- パシュトゥーン人 (約1000万) ・・・ 国名の由来にもなった最大勢力。アーリア系。宗教的にはイスラム教スンニ派を信仰。アフガニスタン南東部とパキスタン北西部に多く住み、勢力は両国境でちょうど二分されている。この分断は、1893年にイギリスが引いた英領インド帝国との国境線(デュアランド・ライン)によるもので、民族分布などは全く考慮されていなかった。旧王家一族や現大統領カルザイの出身民族。タリバンの主要構成勢力でもある。
- タジク人 (約350万) ・・・ イラン系。北東の隣国・タジキスタンの主要民族と同じ。スンニ派を信仰。ソ連撤退後のアフガニスタン共和国と北部同盟の大統領だったラバニ、北部同盟の英雄マスード将軍がこの民族。
- ハザラ人 (約100万) ・・・ モンゴル系。中部の山岳地帯に多く住む。イスラム教シーア派を信仰しているため、これまでのアフガニスタンほぼ全ての政体において抑圧対象となってきた。
- ウズベク人 (約100万) ・・・ トルコ系。北の隣国・ウズベキスタンの主要民族と同じ。北部同盟の有力軍閥・ドスタム将軍の出身民族。
- アイマク人 (約80万) ・・・ モンゴル系。中西部に住む。ハザラ人と異なり、スンニ派を信仰。
- ファルシワン人 (約60万) ・・・ イラン系。シーア派を信仰し、西部(イラン国境付近など)に住む。
- ブラフイ人 (約20万) ・・・ バローチ人と同じく、古代インダス文明を担った民族(ドラヴィダ人)の子孫と言われる。西南部に住む。
- キジルバシ人 (約10万) ・・・ トルコ系。シーア派を信仰。16世紀から18世紀のイラン(ペルシア)王朝・サファヴィー朝を建国した民族と同一か。
- トルクメン人 (約10万) ・・・ トルコ系。北西の隣国・トルクメニスタンの主要民族と同じ。スンニ派を信仰。
- バローチ人 (約10万) ・・・ ブラフイ人と同じく、インダス文明の民族の子孫といわれる。パキスタン南部からイラン南東部にまたがる「バルチスタン」に同胞をもつ。バルチスタンは1947年のインド・パキスタン分離独立の際に、カラート藩王国が独立を宣言したが、パキスタンによって軍事併合された。
- ヌーリスタン人 (約10万) ・・・ 民族的な由来は不明。19世紀末にアフガニスタン王国に征服されてイスラム教へ改宗させられるまでは、アニミズムを信仰していた。ヌーリスタンは自称の民族名ではなく、カーフィリスタン(『異教徒の地』の意のペルシア語)からヌーリスタン(『光の地』)へ変えたという、イスラム側が名付けたもの。
- キルギス人 (数千) ・・・ トルコ系。北東の隣々国・キルギスタン(キルギス共和国)の主要民族と同じ。スンニ派を信仰。北東のパミール高原に住む。
- パミール人 (数千) ・・・ アーリア系(?)。シーア派を信仰。パミール高原に住む。
この他にアラブ人、インド系のヒンドゥー教徒、シーク教徒など。国家の人口は3000万人に満たないが、これでも冷戦時代に比べれば1000万人以上増えている。実際には民族ごとに住み分けがされているため、「統一国家」の雰囲気はあまり無い。
民族の長はハーン(チンギス・ハーンのあのハーンと同じ意味)と呼ばれる。その下に部族の長が居り、マリク(中東方面の言葉で「王」、「長」などの意)と呼ばれる。また民族的な権力者とは別に宗教指導者も居り、ムッラーと呼ばれる。このように権力構造も国家、民族、宗教でバラバラになっており、国家がYESと言っても民族がNOと言ったり、民族と宗教がOKを出したのに国家がNGを出すなど、かなりのカオスとなっている。
アフガニスタンに興亡した諸国
有史以来、多くの民族がこの地域に侵入し国を建てた。しかしひとたび建国しても次から次へと異民族がやってくるため、出来ては滅び出来ては滅びを繰り返した。近代以降も変わらず、イギリス、ロシア(ソ連)、アメリカと近現代の大国が侵入する。
イギリスは三度アフガン戦争を起こしたが、ことごとく苦戦した。一時は首都カブールを占領したもののその後すぐに英領インド軍カブール駐屯軍とその家族ら一般人約1万5千人が全滅し、生存者が一名という失態を演じた。
ソ連は1979~1989年まで軍事介入を行った。ソ連は最大で10万強の兵力を投入したがソ連側の死傷者は9万人であり、うち戦死者は1万5千である。ソ連はかつてのベトナム戦争でのアメリカの教訓からヘリボーン作戦を実施するが、アメリカがムジャヒディーンにスティンガー地対空ミサイルを供与したため、苦戦することとなった。
2001年に起きた同時多発テロ事件の首謀者、オサマ・ビンラディンの引き渡しに応じなかったとして、同年にアメリカがアフガニスタンに侵攻した。タリバンを政権から追い出すことはできたが、タリバンは反政府勢力となって攻撃を継続した。アメリカと有志連合軍の軍事作戦は2014年に終了し、アフガニスタン軍の訓練を行う部隊以外は撤退、[1]2021年8月に米軍がすべて引き上げた後、再びタリバンがアフガニスタンの実権を握って「アフガニスタン・イスラム首長国」を名乗っているものの、これを承認した国は存在しない。
支配民族・王朝 | (アフガニスタン支配の)時期 |
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メディア王国 | 紀元前600年頃~前550年頃 |
アケメネス朝ペルシア帝国 | 前550年頃~前332年 |
アレクサンドロス大王の帝国 →セレウコス朝シリア |
前332年~前250年頃 |
グレコ・バクトリア王国 | 前250年頃~前170年頃 |
インド・グリーク朝諸王国 | 前170年頃~紀元100年頃 |
サカ(スキタイ)王国 | 前100年頃~紀元50年頃 |
インド・パルティア王国 | 1世紀頃 |
クシャーナ朝 | 1世紀頃~3世紀頃 |
クシャーン・シャー国 (クシャーノ・サーサーン朝) |
3世紀頃~5世紀頃 6世紀頃~7世紀頃 |
エフタル | 5世紀頃~6世紀頃 |
ウマイア朝イスラム帝国 | 8世紀初め~750年頃 |
アッバース朝イスラム帝国 | 750年頃~820年頃 |
ターヒル朝 | 820年頃~870年頃 |
サッファール朝 | 870年頃~900年頃 |
サーマーン朝 | 900年頃~990年頃 |
ガズナ朝 | 990年頃~1150年頃 |
ゴール朝 | 1150年頃~1215年 |
モンゴル帝国 | 1220年頃~1350年頃 |
ティムール帝国 | 1370年頃~1500年頃 |
ムガール帝国 | 1500年頃~1750年頃 |
ドゥッラーニー朝 (アフガニスタン王国) |
1747年~1819年 |
バーラクザーイー朝 (アフガニスタン首長国→王国) |
1826年~1973年 |
アフガニスタン共和国 | 1973年~1978年 |
アフガニスタン人民民主党政権 | 1978年~1992年 |
アフガニスタン・イスラム国 →北部同盟 |
1992年~1996年 |
タリバン政権 (アフガニスタン・イスラム首長国) |
1996年~2001年 |
アフガニスタン・イスラム共和国 | 2001年~2021年 |
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関連項目
脚注
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