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アフリカンストーリー
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アフリカンストーリー(African Story)とは、2007年イギリス生まれの競走馬(騸馬)である。

概要

Pivotal、Blixen、Gone Westという血統。
ピヴォタルナンソープS(英GI・5ハロン)を勝った快速だが、種牡馬としては本Sariska(英オークス)のような中距離も送り出した万の活躍
*ブリクセンは現役時代3戦1勝。そのDanishクイーンエリザベスIIチャレンジカップS(GI)を含む重賞2勝・通算25戦6勝の成績を挙げている。なお*ブリクセンは本が活躍する前に日本に輸入され、その後の産駒から京都記念を勝ったアフリカンゴールド(ステイゴールド)を出している。
ゴーンウェスト1987年のドワイヤーS(GI)を12身半差で圧勝し、種牡馬としては芝とダートを問わず活躍した。

ドバイのモハメド殿下の生産所有馬としてイギリスで生まれ、最初はフランスアンドレファーブル調教師に預けられた。

フランス所属時代(4歳シーズン終了まで)

デビューは3歳11月と遅く、サンクルー競馬場マイル戦を使ってブービー人気を覆して勝利デビュー勝ちを収めた。年内はその後もう1戦して2着となった。

翌年は年明けから1ヶほどの間隔を取りながら条件戦で1着・2着となり、5月に出走したジェントルマンライダー(アマチュア障害騎手)限定戦では67.5kgを背負って3着となった。続いて翌のパレ・ロワイヤル賞(GIII1400m)に出走したが、中で群に閉じ込められて伸びきれず、サンチャリオットS連覇やマイルチャンピオンシップ香港マイル3着の実績があった*サプレザの4着に敗退した。続く7月ポルトマイヨ賞(GIII1400m)ではこの時点ではGIII1勝だったが最終的にGI6勝を挙げるMoonlight Cloudにアタマ差で敗れて2着となり、8月末のクインシー賞(GIII1600m)ではZinabaaの3着となった。

これがフランス所属として最後の出走となり、翌年の年明けにモハメド殿下の専属であるUAEサイード・ビン・スルール厩舎に移った。フランス所属時代の通算成績は8戦2勝だった。

5歳時

ドバイに移った本は、1月26日1400mのハンデ戦にランフランコ・デットーリ騎手とのコンビで出走し、これを勝利した。続くファイアブレイクS(GIII1600m)こそ先に仕掛けたSandagiyrに後れを取り3着に終わったが、バージ・ナハール(GIII1600m)では先行してそのまま4身差で勝利し、重賞勝利を挙げた。ドバイミーティングゴドルフィンマイル(GII1600m)も4身差で勝利した。

その後は5月香港に遠征し、チャンピオンマイル(GI1600m)に出走した。この年のドバイデューティーフリーを勝ち前年の香港マイルでも2着があったCityscape、前年の香港ダービークイーンエリザベスIIカップを勝ったAmbitious Dragon重賞勝ちこそないが7戦5勝2着2回と底を見せていない地元Glorious Days、前年勝ちXtension・2着Lucky Nineなどかなりメンバーう中、単勝14倍の5番人気とそこそこ人気した本だったが、先行して伸びきれずXtensionの6着に終わった。5歳時はこれが最後の出走となった。

6~7歳時

6歳時は前年と同じくバージ・ナハールから始動し、中団からロングスパートを仕掛けて2身1/4差で勝利した。続けてこの年は距離を延長してドバイワールドカップに出走したが、中団後方から仕掛けたものの伸びきれず、*アニマルキングダムから約7身差を付けられた5着に終わった。6歳時はこれが最後の出走となり、以降も引退までドバイミーティングシーズン終戦とし続けた。

7歳時は最初からドバイワールドカップ標としたようで、前年までと異なり中距離戦のアル・マクトゥームチレンジラウンド2(GII・1900m)から始動した。ここでは後方から追い込んだが、同営で同い年でもあったPrince Bishop(こちらは本と異なり1歳セリで購買された)に届かず、1身1/4差の2着に終わった。続くアル・マクトゥームチレンジラウンド3(GI2000m)では更に着順を落とし、Prince Bishopが連覇した一方で伸びきれず8着に終わった。

本番のドバイワールドカップではPrince Bishopを含む前走の1~4着に加え、前年の英ダービーRuler of the World日本から遠征してきたベルシャザール・ホッコータルマエなどが出走し16頭立てとなった。シルヴェストル・デ・ソウ騎手が手綱を執る本逃げるMukhadramを見る形で先行すると直線じわじわと差を詰め、残り200m地点でこれを捉え先頭に立つ。そのまま着実に差を広げていき、2着にったMukhadramに2身3/4差をつけ2:01.61のコースレコード優勝ゴール間にはデ・ソウ騎手手なガッツポーズも飛び出した。7歳でドバイワールドカップ優勝したは本が初めてだった。

7歳時はこれが最後の出走となった。なお本ドバイワールドカップを勝った少し後の2014年5月戦場としていたメイダン競馬場は開場以来使われていたオールウェザーコースに代わって以前のナド・アルシバ競馬場と同様にダートコースが導入され、ドバイミーティング諸競走もオールウェザーで開催されていたものは全てダート開催に戻された。

8歳時

8歳時は前年と同じくアル・マクトゥームチレンジラウンド2から始動したが、初ダートしたのか伸びきれず、逃げ切ったFrankyfourfingersの7着に敗れた。続くアル・マクトゥームチレンジラウンド3では先行して直線逃げHenry Clayを交わし、追い込んできたPrince Bishopをクビ差で下して勝利した。

史上初の連覇をしたドバイワールドカップでは、Prince Bishop、前年エクリプス賞年度代表馬*カリフォルニアクローム、前年の4着Side Glance、日本から遠征のエピファネイアホッコータルマエを含む9頭立てとなった。逃げホッコータルマエを見ながら先行したものの3コーナー辺りから手応えが怪しくなり、追い込んで勝ったPrince Bishopから約13身半差を付けられた6着に終わった。

このレースから1ヶ後の4月23日営から本Prince Bishopの引退が発表された。通算成績は21戦8勝・GI2勝だった。引退後はイギリスPrince Bishop共々功労として余生を送っている。

血統表

Pivotal
1993 栗毛
Polar Falcon
1987 黒鹿毛
Nureyev Northern Dancer
Special
Marie d'Argonne Jefferson
Mohair
Fearless Revival
1987 栗毛
Cozzene Caro
Ride the Trails
Stufida Bustino
Zerbinetta
*ブリクセ
Blixen
1998 鹿毛
FNo.10-c
Gone West
1984 鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Secrettame Secretariat
Tamerett
Danish
1991 鹿毛
*デインヒル Danzig
Razyana
Tea House Sassafras
House Tie
競走馬の4代血統表

クロスNorthern Dancer 4×5(9.38%)

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1 ななしのよっしん
2022/02/14(月) 20:04:10 ID: cUraOj6pbT
が7歳で京都記念勝ちましたね
このままの勢いでG1勝利して欲しいですね
👍
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2 ななしのよっしん
2023/10/09(月) 14:15:59 ID: 7zEabJelFS
ドバイワールドカップ勝ちで、アフゴ日本での知名度もそれなりなのに、なぜかウィキペディアに未だ記事が
👍
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