アメリカ世(アメリカゆ)とは、沖縄・奄美・トカラをアメリカ合衆国が支配した時代の俗称である。
概要
太平洋戦争末期1945年3月26日に沖縄県の慶良間諸島へアメリカ軍が上陸、次いで4月1日に沖縄本島へも米軍が上陸し地上戦となり、米軍は海軍軍政府布告第1号「権限の停止」(通称「ニミッツ布告」)を公布し沖縄住民に対して日本の行政権が停止されたことを通告する。
6月23日に第32軍司令官牛島満中将が自決し組織的戦闘が終結。
8月15日の日本降伏の日には米軍は米軍政府への諮問機関である「沖縄諮詢会」(1946年4月に「沖縄民政府」に改編)を設置。1945年9月7日に琉球弧の日本軍が降伏文書に調印し本格的にアメリカ軍による沖縄支配が始まる。
1951年9月8日にサンフランシスコ平和条約が締結されると北緯30度以南にある沖縄・奄美・トカラ列島は正式に日本から分離されアメリカ(琉球列島米国民政府(USCAR: United States Civil Administration of the Ryukyu Islands))の施政下に置かれた。
1952年2月2日にトカラ列島(十島村)が日本へ復帰、1953年12月25日に奄美地方も日本へ復帰する。
沖縄側による日本復帰運動や日本側による沖縄返還運動もあり1972年5月15日にようやく沖縄は日本へ復帰しアメリカ世は終結したが、その影響は良くも悪くも現在の沖縄に色濃く残っている。
通貨
交通
自動車は右車線走行であった。自動車社会化を優先し道路網が発達した。
一方で鉄道建設には消極的だったたとされ、現在も沖縄では長距離鉄道が走っていない。
在沖縄米軍について
東西冷戦下において、アメリカ軍の極東基地として沖縄は重要な存在であった。このため銃剣とブルドー ザーと呼ばれる強制収容により広大な在日沖縄米軍基地が誕生することとなり、沖縄返還後もこれらの基地は返還されなかったことで現在に至るまで政治問題の 一つとしてありつづけている。
また、当時の住民は米兵による犯罪から庇護もされず、強姦や殺人などの米軍人・軍属が起こした数々の凶悪犯罪 に対し琉球警察当局は何ら打つ手を持たなかった。これらの犯罪者はアメリカ軍当局により軍法会議にかけられることになっていたが、実際には証拠不十分での無罪や、有罪になったとしてもアメリカ本土への転勤で有耶無耶にされ、被害者や遺族には賠償すらされないといった例が相次いだ。特にベトナム戦争当時、ベトナム帰りの米兵によって引き起こされた事件の数々とその甘い処分によって、住民の強烈な反米闘争を引き起こしたことが返還への直接的な原動力となった。
今日、米軍人・軍属の犯罪発生率はむしろ沖縄県民のそれよりも低く、日米地位協定もある程度運用面の改善を見せている。にも拘らず何か事件が起きるたびに強烈な反基地運動が展開されるのは、こういった過去が影響している。
一 方で戦前の日本政府は、沖縄を差し置いて台湾を発展させようと公金を注力したため、沖縄戦による甚大な被害を考慮してもなお住民は貧しかった。アメリカによる統治下においては、軍事的重要性から沖縄への振興が図られることになり、基地経済と相まって沖縄は大いに発展することとなった。銃剣とブルドーザーばかりではなく、米軍基地の誘致を巡って自治体間で熾烈な誘致合戦が繰り広げられた場所もある。
関連項目
- 沖縄県 / 沖縄 / 奄美 / 吐噶喇(トカラ) / 琉球
- アメリカ合衆国
- 第2次世界大戦 / 太平洋戦争 / 大東亜戦争
- 沖縄戦
- 布令弁護士
- 沖縄自動車道 - 沖縄返還後に開通したが、当初は右側通行だった。
- 米軍(アメリカ軍) / 米軍基地 / 基地問題
- ランチョンミート / SPAM / TULIP
- ブルーシール
- 946ml (クォーターガロン) - 沖縄県内で販売されている紙パック飲料は現在も946ml、473mlが主流。
- ルートビア
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