アメリカ連合国とは、1861年から1865年までのわずかな期間、北アメリカ大陸に存在した国の名前である。
概要
1861年2月4日にアメリカ合衆国を脱退したサウスカロライナ、ミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、テキサスの7州が独立を宣言して「アメリカ連合国」が成立、これが南北戦争の引き金となった。
大統領にはミシシッピ州選出の元下院議員で、陸軍長官も歴任したジェファーソン・デイビスが選出された。その後、バージニア、アーカンソー、テネシー、ノースカロライナも連合国側に付き11州を構成する国家となった。主な公用語は「英語」。(その他、ヨーロッパの言語や原住民族の言語も使用されていたらしい)。独立当初はアラバマ州のモンゴメリーが首都であったが、バージニア州の連合国加入に伴い、バージニア州リッチモンドに首都を移転した。
1865年4月9日に首都リッチモンドが陥落し、同州のダンビルに首都を移転してアメリカ合衆国に抵抗するも、同年5月5日に閣議で連合国政府解散が決定し、4年3か月の歴史に幕を下ろした。
国の大部分がのどかな農村だとされていてサトウキビ、タバコ、米、木材、綿花、小麦粉、を主な生産物としていたらしい。
南北戦争
連合国は、南北戦争の「南部」にあたる国である。 「北部」はアメリカ合衆国で、「奴隷解放宣言」で有名なリンカーンが大統領だった。 南北戦争の原因のひとつである奴隷制に関しては、擁護した側が連合国であり、イギリスなどの先進諸国に農産物を輸出しやすくするために自由貿易を求めた側でもある。一方で北部は、イギリスなどから安価に流れ込む工業製品から自国の産業を守るため、保護貿易を求めた。戦争の結果、双方合わせて60万人以上の死者を出しながらも、北部が勝利し、再統一を果たした。
ちなみにアメリカ人が一番多く死んだ戦争は、第二次大戦でもベトナム戦争でもなく、南北戦争である。
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