アリストテレス(Aristotélēs、前384年~前322年)とは、古代ギリシアの哲学者である。
※同名の日本の競走馬については →アリストテレス(競走馬)
生涯
紀元前367年にアテナイに行き、プラトンの設立したアカデメイアに入門し、プラトンが死ぬまでの20年間、アカデメイアに学んだ。
紀元前347年、マケドニア王フィリッポス2世に招聘され、アレクサンドロス3世の家庭教師を務めた。
紀元前335年にアテナイに戻り、「リュケイオン」という学園を設立した。弟子たちと学園の歩廊(ペリパトス)を逍遥しながら議論したため、彼の学派は「逍遥学派」(ペリパトス学派)と呼ばれた。
紀元前323年には母の故郷カルキスに行くが、そこで病に伏し、紀元前322年に死去。
著作
後述する「学問区分」を元に、アリストテレスの著書を区分したものである。なお、紹介したのは一部で、実際にはさらに膨大な著書が存在する。アリストテレスの著書は1/3だけが現存するといわれるから、実際に書いた著書はさらに多いと思われる。
アリストテレスの思想における重要概念が登場する著書については、著書の右に登場概念を記してある。
理論 | |
実践 | |
制作 | |
論理学 |
|
アリストテレスの思想
目次
「万学の祖」と呼ばれるアリストテレスは、哲学をはじめとしてあらゆる学問について論じているため、彼の思想を要約するのは並大抵のことではない。
そこで、まず彼の学問区分を説明した上で、彼の思想について順番に説明しよう。
学問区分
まず、彼は学問を以下の三つに分けた。
に分けた。
「理論」は、(形而上学・数学・自然学などの)世界や自然の事象を研究する学問を指す。「テオリア」とは元々「見ること、観想」を意味する言葉で、観察によって真理を発見する理性的な態度を指すものである。アリストテレスは「理論」の中でも形而上学を「第一哲学」、自然学を「第二哲学」と序列をつけた。
「実践」は、(倫理学や政治学などの)人間社会を研究し、行為する学問を指す。「理論」に比べると、観想にとどまらず、実社会において実践することに重きが置かれている。
「制作」は(文学や音楽などの)芸術に関する学問である。「ポイエーシス」という言葉からも分かるように、アリストテレスは特に詩を重視しており、『詩学』という本も書いている。
さらに、論理学をすべての学問の根底をなす「道具(オルガノン)」だと考えた。
この学問の区分けを踏まえた上で、上記の著書の項目を見ていただきたい。アリストテレスの思想が、「理論」「実践」「制作」のすべてに渡っていることが分かるだろう。
本稿では、彼の思想すべてについて説明することは不可能である。そこで、彼の思想の中でも重要な点に絞って説明を行うことにする。
形而上学
形相と質料
初めに、『形而上学』『自然学』において展開されている基本的な思想について説明する。
例えば、家を建てることを考えてみよう。家を建てるにあたって、家の模様・形・構造などを考えることがまず必要である。家の構造が決定された後、木材や鉄骨などを用いて、実際に家を建てる作業を行う。
このとき、家の構造などが「形相」、木材や鉄骨などの材料が「質料」に該当するのである。
ここで重要なのは、形相は普遍的に存在するものではなく、「個物に内在」するものであるという点だ。つまり、形相は個物を離れたところには存在せず、個物と結びついている、ということである。
これが、「イデア」という現実界を離れた普遍的な概念を想定し、イデアが個物とは離れて存在すると考えたプラトンとの大きな違いであり、アリストテレスがプラトンを批判する理由でもある。
可能態と現実態
この「形相」「質料」の議論を踏まえた上で、アリストテレスは『形而上学』においてこのようなことを述べる。
先ほどの例で、家を建てるための木材を考えてみる。木材は、それ自体では家を建てるための材料ではない。木材は家を建てるためだけの材料ではないので、「橋を架ける」「燃やす」など、他の用途にも使うことができるからである。
つまり、このとき木材は、「家を建てる」「橋を架ける」「燃やす」など、複数の可能性を持っている。いいかえれば、「家」「橋」「燃料」など、いくつかの形相を可能性として含んでいるということであり、この状態が「可能態」である。
では、実際に木材が家を建てるために使われている場面を考えてみよう。このとき、木材は「橋」「燃料」などの他の形相を放棄し、「家」の形相のために使われている。これは、可能性として持っていた一つの形相が実現されている状態であり、これが「現実態」である。
やがて家を建て終わった状態を考える。このとき、木材は家の形相を完全に実現し終えている。これが「完全現実態」である。
以上のように、形相と質料は、可能態→現実態→完全現実態という段階を経て、現実に置いて実現されゆくわけである。
自然学
自然の階段
さて、ここまでの議論が、アリストテレスの自然観・宇宙観と結びついてくる。
アリストテレスは、すべての個物は、自らが持つ形相の実現に向けて運動していると述べる。そして、その形相の実現度合に応じて、世界の個物の階層が決まるのだと述べる。これが「自然の階段」である。
先ほどの例で考えてみよう。ただの木材は可能態であるが、家を建てるために使われた木材は完全現実態である。このとき、形相の実現度合が高いのは後者であり、後者のほうが世界において上位の階層にある。
次に、家を建てるために使われた木材と人間を比べてみる。先ほどは、「家」が形相であり、木材はその質料であった。 しかし、人間の立場に立って考えてみよう。人間にとって、家を建てること自体が目的なのではなく、何か目的があって家を建てるはずである(住む、売るetc.)。この場合、「住む」「売る」などが形相、家は質料であり、「住む」「売る」は家よりも上位にある。
アリストテレスは、上位の階層にあるものは下位にあるものの形相であり、下位のものは上位のものの質料であるという世界の階層を考えた。このような自然観を「目的論的自然観」「目的論的宇宙観」などという。
不動の動者
このように考えると、人間の形相・質料とは何か、という疑問がわいてくる。人間の形相は魂であり、肉体は質料である。しかし、人間の魂を質料とするようなものが存在するに違いない。アリストテレスは、それは「不動の動者」だという。
「不動の動者」とは分かりにくい概念だが、「神」のことだと考えると分かりやすいだろう。「不動の動者」には、「自らは他のものに動かされることはなく、他のものを動かす」というニュアンスがある。
それよりも上位のものがいないため、質料として使われることはなく(不動)、形相としてのみ存在する(純粋形相)。そして、最初から形相が実現されているのだから、「完全現実態」である(動者)。
アリストテレスによれば、この「不動の動者」こそは純粋形相であり、それ自体で求められる「最高善」であるという。この議論は、後の倫理学に関わってくる。
なお、この「不動の動者」という概念は、キリスト教的な唯一神として読み替えられ、中世のスコラ哲学において議論された。
倫理学
次に、アリストテレスの倫理学について説明する。『ニコマコス倫理学』における議論である。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の冒頭で、人間の生きる目的とは幸福であることであり、そのためには「徳(アレテー)」が重要だと述べる。
では「徳」とは何か? アリストテレスは、徳を「知性的徳」「習性的徳」に分けて説明する(なお、後者は「倫理的徳」と呼ぶこともあるが、本稿では「習性的徳」と表記する)。
この二つは違いが分かりにくいが、次のように考えると分かりやすいかもしれない。習性的徳というのは、一般的な「道徳的な徳」である。一方、知性的徳というのは、正しい判断ができるとか理性的であるとかいった、正しい思考をすることができる「徳」である。人柄はよいのだが頭が悪い人は、習性的徳はあるが知性的徳はない、といえるだろう。知性的徳はアリストテレスの倫理学に、習性的徳は政治学に関わってくる。
知性的徳
知性的徳については、「観想(テオリア)」が必要だと述べている。「観想」とは、学問区分でも少し述べたが、真理を発見する理性的な態度であり、そのような生活(観想的生活)をすることが幸福だと述べている。
なぜそれが「幸福」なのか? ここで、「不動の動者」を思い出していただきたい。「不動の動者」はそれ自体が形相なのであった。人間においても、何かの目的のために行動するよりも、真理を発見すること自体を目的に生活することが、「不動の動者」に近いことであり、「最高善」なのである。
習性的徳
習性的徳については、「中庸(メソテース)」であることが必要だと述べた。例えば、勇気とは蛮勇と臆病の中間にあるときに「徳」となる。蛮勇寄りであっても、臆病寄りであってもいけない。
勘違いされやすいが、中庸とは「中途半端」という意味ではない。過不足のないちょうどよい徳、という意味である。
政治学
次に、アリストテレスの政治学について説明しよう。
前述したように、人間の目的とは幸福であり、それは最高善である。アリストテレスは、最高善が国家という共同体において実現されると考えた。
アリストテレスは、国家の形態を「王制」「貴族制」「民主制」に分類する。そして、この三つの堕落形態として、「僭主制」「寡頭制」「衆愚制」を考えた。彼によれば、王制→僭主制→貴族制→……→民主制→衆愚制→王制と、国家の形態は堕落と革命が繰り返され、循環するのである。
国家においては様々な層が存在するが、それぞれの層が、前述した「中庸」を持つことによって、国家が上手く運動すると述べている。例えば、貴族は支配、奴隷は服従、といった中庸である。
文学
最後に、アリストテレスの文学観について説明しよう。
アリストテレスは芸術の中でも詩学を重視しており、『詩学』という本を書いている。これによれば、芸術の基本は「模倣(ミメーシス)」である。例えば、文学は自然や世界を模倣する芸術である。
なお、アリストテレスは悲劇を叙事詩や喜劇よりも上位にあるものと見ており、文学の最高形態だと述べている。人間は、悲劇を見ることによって「浄化(カタルシス)」を味わうことができると述べている。
後世への影響
プラトンと同様、西洋思想に甚大な影響を及ぼした哲学者である。哲学に限っても、中世スコラ哲学ではアリストテレスが教科書とされていたし、アリストテレス研究を行った哲学者は、イブン・シーナー(アヴィセンナ)・イブン・ルシュド(アヴェロエス)・トマス・アクィナス・デカルト・カント・ヘーゲル・ハイデッガー……と、挙げればきりがない。
また、政治学・倫理学・文学・動物学・天文学……と、あらゆる思想においてアリストテレスの影響があるといっても過言ではない。
一方で、アリストテレスの誤った学説が広まってしまったという弊害もある。例えば、アリストテレスの四元素説は、デモクリトスの原子論の代わりに長らく支配的であったし、天動説はコペルニクスやガリレオの地動説を否定するほどに支配的であった。
語録
関連商品
関連項目
- 哲学
- 形而上学
- ソクラテス
- プラトン
- アリストテレス論理学
- アリストテレス倫理学
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