基本データ | |
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正式名称 | アルゼンチン共和国 República Argentina |
国旗 | 絶賛募集中 |
国歌 | アルゼンチン国歌 |
国花 | アメリカディゴ (カイコウズ) |
国鳥 | セアカカマドドリ (スズメ目カマドドリ科) |
公用語 | スペイン語 |
首都 | ブエノスアイレス(Buenos Aires) |
面積 | 2,766,890km²(世界第6位) |
人口(’22) | 45,510,000人(世界第33位) |
通貨 | アルゼンチン・ペソ(ARS)為替 |
アルゼンチンとは、南アメリカ屈指の大国である。後述するが、現地の発音(スペイン語)はアルヘンティーナである。
チリと共にコーノ・スール(南アメリカ最南端を意味する言葉)の域内に収まる。
文化
南米では珍しく、西洋文化の影響が濃い国で、ルーツをたどればヨーロッパというものが多い。
建築物もヨーロッパ風のものが多く、首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」と称されている。市内には至る所にカフェがある。
一方でパンパや北西部のアンデスでの伝統的な田園生活(最終的にはインディヘナの伝統的な文化)からも影響を受けており、この二つの柱が相克しながら現在のアルゼンチン文化が出来上がっている。
国名
国名の由来は「銀」である。1516年にスペイン人探検家がある川の近くに上陸したとき、現地人が銀の首飾りを身につけていた。このため「この川の上流には銀の山があるに違いない」と思い、この川を「リオ・デ・ラ・プラタ」と呼ぶことにした。リオ・デ・ラ・プラタとはスペイン語で銀の川という意味。
独立直後は「リオ・デ・ラ・プラタ連合州」という国名だった。ところが、旧宗主国スペインの記憶を消し去りたい、という意見が大勢を占めたので、スペイン語表記をやめてラテン語表記に改めた。銀のラテン語表記「Argentum」に、地名を表す「tina」を付けた「Argentina」という国名とした。
また、独立したのは1810年頃であり、そのころはナポレオン戦争真っ盛りで、フランス軍がスペインに進駐して現地スペイン軍を掃討していた時期だった。忌々しい旧宗主国のスペインを圧倒しているフランスに対して憧れを抱き、フランス風に「Argentine」と綴って「アルジャンティーヌ」とフランス風に読んだ時期もある。この呼び方は次第に廃れて、やはり「Argentina」で行こう、となったのが1825年である。
「アルゼンチン連合」「アルゼンチン国」という国名だった時期もあるが、1860年10月8日にサンティアゴ・デルキ大統領が「アルゼンチン共和国」という国名を使用すると宣言。
とはいえ、今でも憲法上は「リオ・デ・ラ・プラタ連合州」「アルゼンチン連合」「アルゼンチン国」も正式な国号として扱っている。使用していないが、正式国号。
イギリス人はArgentinaを「アルジェンティーナ」と英語風に読んでいた。また、アルゼンチン共和国を「Argentine Republic」と書いて(なぜかArgentinaをArgentineに変化させている)「アルジェンティン・リパブリック」と読んでいた。この英語読みが世界中で流行り、日本にもこの英語風の名前が伝来して定着した。
しかしArgentinaは現地の言葉(スペイン語)では「アルヘンティーナ」と発音される。
日本人の、特にサッカーファンは現地人が「アルヘンティーナ」と呼ぶことを知っているのでそれを真似て呼ぶ人も多い。「アルヘン」と短縮する人もいる。
公用語
公用語はスペイン語で、首都ブエノスアイレス周辺はイタリア・ナポリ方言の影響が強い。
19世紀以降、アルゼンチンはイタリアから大量の移民を受け入れた。特に多かったのがイタリアの中でも貧しい地域である南部のナポリ地方からで、このためナポリの方言が色濃く残った。
アルゼンチンは人口・産業ともに首都ブエノスアイレスに集中する首都一極集中の国なので、ブエノスアイレスの特色がそのままアルゼンチンの特色を代表することになる。
アルゼンチンやチリやボリビアなどの国民は、自分たちが話すスペイン語をEspañol(エスパニョール)とは呼ばず、Castellano(カスティジャーノ)と呼ぶ。Castellanoとは、スペインの中央部を占めてスペインの中心となっているカスティーリャ地方のこと。「スペインの中心部のカスティーリャ地方からしっかり受け継いだ言葉」という意味合いである。心の根底に、スペイン中心部のカスティーリャ地方に対して憧れがあるのだと推察される。
パンパ
アルゼンチンにはパンパという途方もない広さの平野があり、そこには草が生い茂っている。地形図を見ても関東平野60ヶ分というパンパの広さがよく分かる。
入植者が牛を持ち込んでパンパの大草原に離したら、その牛が大繁殖してしまった。それから大畜産国として世界に名をとどろかすようになった。現在も人口よりずっと多くの牛が放牧されており、現地人の主食は牛肉になっている。
放牧された牛を追っかけつつ飼育していた人たちをガウチョという。アルゼンチン版カウボーイ。ガウチョたちの生き様はアルゼンチン人にとって1つの見本となっていて、「寛大で、他人のために自己犠牲を惜しまない」「勇敢」といった好ましいイメージがある。このため、アルゼンチン人にとってガウチョ精神は心の支柱である。日本人が武士道に対して好ましいイメージを持っているのと同じ。
経済
19世紀初頭頃はパンパの牛肉を塩漬けにしてヨーロッパに輸出していた。このころから輸出港はブエノスアイレスであり、ブエノスアイレスは大いに栄えた。
1870年頃にフランスで発明された冷凍船はアルゼンチン経済の発展を大きく後押しした。冷凍船発明前はヨーロッパに行くまで暑い赤道を越えねばならず、肉が傷みやすかった。冷凍船のおかげでパンパの牛肉を冷凍して新鮮なまま輸出できるようになり、アルゼンチンは経済発展。南米随一の近代国家として台頭することになった。全土に鉄道を建設、識字率も一気に向上、平均6%の経済成長率を30年連続記録、国民一人あたりのGDPは世界第4位、と屈指の富裕国になった。
ところが第二次世界大戦が終わるころあたりから斜陽になりはじめ、1949年には外貨を使い果たした。農業は堅調なのだが工業の発展が今ひとつで、世界中の交通が発達して農業が競争にさらされてくると頼みの綱の農業の競争力が落ちてしまう。1960年代には日本にもGDPを逆転された。
そして外国の銀行や政府から金を借りては返済しきれず外国債の債務不履行(デフォルト)を1927年と1951年と1956年と1982年と1989年と2001年と2014年と2019年と2020年に起こしている。まさに踏み倒し常習犯。こういうことをすると国債を発行しても全く売れなくなり、金融市場から資金を調達できなくなる。つまりは外国の銀行が金を貸してくれなくなる。そうなると交通などのインフラへの大規模投資ができず、商工業の発展がさらに遅れてしまう。現在も工業化の遅れがあり、なかなか上手くいっていない。
2000年代以降著しい経済発展を遂げているブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5ヶ国をまとめてBRICSというが、アルゼンチンはその仲間に入れていない。それどころか知識層が海外に流出する事態も起きており、課題は山積みである。詳しくは下の動画シリーズを。
政治
第二次世界大戦以降のアルゼンチンは軍部によるクーデターが続いた。建国以来軍部の力が強く、政局が混乱するとすぐにクーデターが起こり、軍人が大統領になった。
特に有名なのが1976年から1982年の軍部政治で、1978年にサッカーワールドカップをアルゼンチンで開催して見事にアルゼンチンが初優勝を果たすのだが、このとき観戦に訪れた観光客や記者たちにより「アルゼンチンは軍部が仕切る怖い国」という評価が世界的に知れ渡った。
また、1982年には国民の不満をそらすため軍部がイギリスとフォークランド紛争(マルビナス戦争)を起こした。結果はもちろん完敗で、しかもアルゼンチン人にとって心の故郷であるヨーロッパ諸国がこぞって英国を支持、アルゼンチン人は強いショックを覚えることになり、やっと軍部政治から脱却するようになった。
1983年から選挙で選ばれた政治家が大統領になる例がずっと続いており、また軍縮も進んで文民統制が行われるようになっていて、かつての軍部政治のイメージはだいぶ薄れてきている。
国際関係
イタリアと仲が良い
19世紀以降、アルゼンチンはヨーロッパからの移民を大量に受け入れた。特にイタリアからの移民が多く、アルゼンチンとイタリアの友好関係の基礎になっている。「母をたずねて三千里」もイタリアのジェノヴァからアルゼンチンのブエノスアイレスへ出稼ぎに行った母親を探しに行く少年の物語である。
このためイタリア人のアルゼンチン人への感情は家族に向けるようなものになっている。セリエA(イタリアサッカーリーグ)の各クラブはアルゼンチン人選手を優先的に雇う傾向がある。これは1980年代から現在までずっと続いていて、たびたび日本のサッカー雑誌で「アルゼンチンは第二のイタリアだから両国は親戚同士」と説明されていた。
イタリア系のアルゼンチン人が同国においては最大勢力である。他にスペイン系、ドイツ系なども多い。
イギリスと仲が悪い
1982年に勃発したフォークランド紛争(アルゼンチン側はマルビナス戦争と呼ぶ)で、イギリスと戦火を交えた。現在もフォークランド諸島(アルゼンチンはマルビナス諸島と呼ぶ)の領有権をお互いに主張、外交関係は冷え込んでいる。詳しくはフォークランド紛争、フォークランド諸島の記事を参照のこと。
ブラジルは永遠のライバル
南米大陸の両雄であるブラジルとは永遠のライバルで、両国とも「南米一の国」と自認していて、ライバル意識が非常に強い。サッカーワールドカップやコパ・アメリカ(サッカーの南米大会)等では強い対抗意識を持って試合に臨む。ブラジル人に田舎の国はどこかと聞くと「アルゼンチン」となり、アルゼンチン人に田舎の国はどこかと聞くと「ブラジル」と答えが返ってくるという。
なお、ブラジル経済は現在急成長しており、南米開催のオリンピックもリオデジャネイロに先を越されてしまった。両者の均衡は崩れつつあるのかもしれない。
チリと仲が悪い
ビーグル水道で領土問題を抱えていたチリとは伝統的に仲が悪い。ローマ法王の仲裁等が無かったら冗談抜きで戦争が起こりかねないほど。2004年にも事前に連絡なくチリへの天然ガスの輸送を停止するなど、仲の悪さは全く改善されていない。まあ隣国との関係なんてどこもそんなものである。
スペインと仲が良い
旧宗主国で同じスペイン語を母語にするスペインとは仲がよい。独立は戦争を伴った喧嘩別れだったので
独立直後は反スペイン感情が根強かったが、現在ではその感情は解消されている。スペインにはスペイン語圏にネットワークを張り巡らすような企業がいくつもあり、ラテンアメリカのスペイン語圏国家とはどこも仲がよい。
アメリカ合衆国とは親しくない
アメリカ合衆国とはそんなに親密な関係があるわけではない。1823年にアメリカ大統領のモンローが議会において「ヨーロッパ諸国は南北アメリカ大陸に対して干渉すべきでない」と提言し、それ以降の米国はモンロー主義を採用、ヨーロッパとは関係を持たない立場を鮮明にした。このモンロー主義はもう1つの意味があり、「南北アメリカ大陸は米国の勢力圏にする」という意味合いで実際にカリブ海諸国を米国の勢力圏に組み入れている。アルゼンチンはこの米国の外交姿勢に反発、「我々は今まで通りヨーロッパと仲良くする」と宣言、その通りにヨーロッパ諸国との親密な外交を続け、米国とは距離を置いた。現在も米国とは一定の距離を置く関係である。
ナチス・ドイツとの関係
第二次大戦中に実権を握ったフアン・ペロンが親独親ナチスだったこともあり、戦争に敗れドイツでの居場所を失ったナチス要人を多く匿ったことでも知られる。かのアドルフ・アイヒマンもその1人である。1970年代の軍部政権時に行われた「汚い戦争」も、戦時中のドイツの偽札計画に関連した人間が偽イギリスポンドを作って流通させた利益が使われたとも言われている。
日本との関係
地球の反対側にある日本とは特段仲が良くもなければ仲が悪いわけでもない。フォークランド紛争(マルビナス戦争)の最中、日本は米国や英国やEC(現在のEU)から何度も「アルゼンチンに対して禁輸措置をとれ」と圧力を掛けられたが、得意の「まことにごもっともではございますが、しかしながら~」というのらりくらり戦術でかわし、戦争が終わる最後まで禁輸措置をとらなかった。日本は資源ほぼゼロの貿易立国なので、簡単に禁輸措置をとるわけにはいかなかったのである。その一方で国連ではアルゼンチンを積極支持せず、アルゼンチンへの撤退勧告に賛成票を投じている。
歴史を専攻する(特に大正から戦前にかけての国際関係絡み)人やミリオタなら、南米移民船から空母に改造された「海鷹」こと「あるぜんちな丸」で、競馬ファンならG2重賞「アルゼンチン共和国杯」でお馴染みだろう。2016年には安倍晋三首相が57年ぶりにアルゼンチンを公式訪問した。57年間行っていなかったわけで、そんなに親しい間柄ではない。
一方で、南米大陸全般に言えることだが、明治から昭和にかけて移民を多く送り込んだため日系人がそこそこいる。日本語を日常的に使うコミュニティはさすがに少なくなっているようだが日本語が通じる事もある。日本は国籍が血統主義であり本人が日本国籍の放棄を日本政府に伝えなければ日本国籍を保持できるため、本人が日本国籍を持っていることを知らないパターンもある。なんとシーサーがお出迎えしてくれる公園がある。
食事
パンパには人より多くの牛が放牧されているので、現地人の主食は牛肉である。1人あたり牛肉消費量は
日本の10倍とされる。美味しい牛肉料理をかなりの安価で頂くことができる。
アサードという、素朴な焼き肉料理が人気。日本の焼き肉は薄いのを金網に乗せるが、アルゼンチンのアサードはデカい肉塊をゴロンと金網の上に置く。休日に炭をおこしてせっせと焼き肉の準備をするのは男性の仕事である。どこの家にも焼き肉用の金網があり、スポーツなどを観戦しながら1日かけてアサードを楽しむ。
牛肉を飽きるほど食べることができるのであまり魚食は流行っていない。血のソーセージや日本ではあまり食べない内臓もよく食べる。特に下味を付けずそのまま焼くのでこれらの希少部位はクセがあり慣れが必要。やや高級な肉料理屋でも凝った味付けをしないのが通例。
美食の国イタリアからの移民を大量に受け入れたおかげで、ピザ、パスタ、ラザニア、ミラネーサ、エンパナーダといったイタリア料理が伝わっている。
肉料理に合わせるための赤ワインの生産も盛んで、生産量は世界5位で上質と評価されている。しかし海外輸出の量はさほど多くない。
マテ茶は国民的飲料であり、ビタミン・ミネラルが豊富で「飲む野菜」とも言われている。
飲み方が独特で、瓢箪などで作った専用のコップ(このコップもマテと呼ぶ)にマテの葉を大量に盛り、お湯をかけつつボンビージャという金属製のフィルター付きストローで啜る。始めの方はとても濃くかなり苦いが、何度もお湯を継ぎ足しするのでそのうち適度な濃さになる。
家族や友人で回し飲みすることも多い。コロナ禍によって御上からは回し飲みを辞めるように指示され減ってはいるものの、絆を示す伝統である等と従わない人々もいるとか。
外出時もよくマテを飲むので1kg入りのデカイ茶葉の袋とお湯の入った水筒とボンビージャ&マテのセットを携帯している人が観光地などにたくさんいる。ボンビージャ&マテのセットは銀色の美しい装飾を施しているのでお土産としても人気。
スポーツ
山ほど牛肉を食べて力が付くからだろうか、著名なスポーツ選手を次々輩出するスポーツ大国である。
サッカーではディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシなどサッカー史上に残る名選手を多く輩出する。サッカーアルゼンチン代表はFIFAワールドカップ優勝3回の強豪であり、対戦が決まった国の大半は絶望する。
テニスもトップクラスに位置している。しかも名選手は男女問わない。
ラグビー、バスケットボール、ボクシング、F1でも名選手や名チームを輩出している。
アルゼンチンタンゴ
アルゼンチンといえばやはりタンゴ。
貧しい移民でごった返す19世紀のブエノスアイレスで男達が酒場で鬱憤晴らしにダンスを踊るようになり
しだいに男と女がペアで踊るようになった。これがアルゼンチンタンゴの始まりである。動画で見てみると荒々しさと情熱が特徴的なダンスだと分かる。始まったときは上流階級の人たちから「粗野」「下品」と評されたが、次第に情熱が人々の胸を打つようになり、国際的にも評価が高まっていった。
ブエノスアイレス、特にラ・ボカとサン・テルモはタンゴ・リオプラテンセの中心として有名。だが、一時はかなり廃れていた。アストル・ピアソラがいなかったら一体どうなっていたか……。
アルゼンチンタンゴ独特のリズムはカンドンベを下敷きにして、ハバネラ、ミロンガなどの影響を受けてボカで育ったと言われている。
観光
アルゼンチンは南北に長い大国であり、熱帯から氷河までさまざまな観光資源を持っている。
北東のブラジルとの国境付近の熱帯雨林地帯に、世界最大の滝、イグアスの滝がある。米国のナイアガラの滝よりはるかに大きく、米国からやってきたセオドア・ルーズベルト大統領夫人が「Poor Niagara!」と叫んだ。「可哀想なナイアガラ」「ナイアガラはしょぼいわね」という意味。特に大きい滝が「悪魔の喉笛(Garganta Del Diablo)」という滝で、ここにある。
北西のボリビアとの国境付近の山岳地帯に、ウマワカ峡谷がある。カラフルな岩山が広がっている。近くにはサボテンがそこら中に生えている。
北西のここに、サリーナス・グランデスという塩湖がある。一面真っ白で太陽光が反射してまぶしい。塩湖自体が茨城県と同じ広さ。売るほど塩があるので輸出している。塩で作った家もある。二輪レースの最高峰であるMotoGPは開催前に何らかのプレイベントを行うのが恒例で、2015年はジャック・ミラー選手がこの塩湖で疾走している。撮影時に転倒してバイクを破壊した。
南東の沿岸部のここに、ヴァルデス半島があり、ホエールウォッチングを楽しめる。黒くてでかいクジラが豪快に海水面を泳ぐ様を見物できる。
南方のパタゴニアは南極に近く、風が強烈で、氷雪に覆われている。パタゴニアの南西のこの場所に、ロス・グラシアレス国立公園があり、巨大な青っぽい氷河がある。長い間圧縮されて空気をほとんど含まなくなり、青い色になった。太陽光に輝く様子を船で見物できる。ペリト・モレノ氷河が有名で、それがアルヘンティーノ湖に落下する。ビルの大きさの氷が轟音を立て崩れ落ちる様子の動画はYoutubeで検索すると出てくる。この動画は素晴らしい。
この場所に、「記念碑の塔」があり、イギリス系移民から贈呈された時計台がある。緑色の丸い屋根。
フォークランド紛争(マルビナス戦争)の前までは「イギリスの塔」と呼ばれていた。
ブエノスアイレスのど真ん中にオベリスクという巨大な四角い白柱が立っている。オベリスクに向かって道が整備されているので遠くからもよく見える。神を召喚したりスピリチュアルな効能を発揮したりはしない模様。
この場所に、フロラリス・ヘネリカという銀色の巨大な花びらのモニュメントがある。開閉する機構があるが、頻繁に故障する。
その他にも富裕層向け墓地、劇場をそのまま使った本屋、大統領邸など、定番の観光地がたくさんある。
郊外に出ると、別荘のような立派な外観のヨーロッパ風の住宅が多く見られる。しかし、中心街を含めどの建物も攻撃力の高い柵で覆われており、番犬を飼っている家も散見される。泥棒や強盗が多いのだろう。リュックや旅行カバン、サイフ、スマホなどを不用心に持っていると盗られるので観光時は注意すべし。独り歩きは禁物。
あとトイレは紙を流せない。公衆トイレはトイレットペーパーが盗られて無くなっていることも多いので尻を拭く紙を多めに持ち歩くと安心。
著名なアルゼンチン人
ニコニコ大百科に記事がある人物は太字
サッカー選手
- アリエル・オルテガ
- アンヘル・ディ・マリア
- エステバン・カンビアッソ
- エルナン・クレスポ
- ガブリエル・バティストゥータ
- カルロス・テベス
- キリ・ゴンサレス
- クラウディオ・カニーヒア
- ゴンサロ・イグアイン
- セルヒオ・アグエロ
- ディエゴ・シメオネ
- ディエゴ・マラドーナ(伝説的サッカー選手)
- ディエゴ・ミリート
- ニコラス・ブルディッソ
- ネストル・センシーニ
- パウロ・ディバラ
- ハビエル・サネッティ
- ハビエル・サビオラ
- ハビエル・マスチェラーノ
- パブロ・アイマール
- フアン・セバスティアン・ベロン
- フアン・パブロ・ソリン
- フアン・ロマン・リケルメ
- フェルナンド・レドンド
- マウロ・イカルディ
- マリオ・ケンペス
- マルセロ・ガジャルド
- マルセロ・ビエルサ
- ラウタロ・マルティネス
- ラモン・ディアス
- リオネル・メッシ(伝説的サッカー選手)
- リカルド・アルバレス
- ロドリゴ・パラシオ
- ロベルト・アジャラ
- ワルテル・サムエル
その他のスポーツ選手
軍人・政治家
- マヌエル・ベルグラーノ
- ホセ・デ・サン=マルティン
- フアン・マヌエル・デ・ロサス
- フアン・ペロン
- マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン [エビータ]
- ラウル・アルフォンシン
- クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル
- エルネスト・チェ・ゲバラ
宗教家
作家・歌手・俳優など文化人
- ホルヘ・ルイス・ボルヘス(作家)
- マヌエル・プイグ(作家)
- キリーノ・クリスティアーニ(アニメ作家・マンガ家)
- リベルタ・ラマルケ(アルゼンチンタンゴの歌手、女優)
- カルロス・ガルデル(アルゼンチンタンゴの歌手、俳優)
- アストル・ピアソラ(作曲家)
- アタウアルパ・ユパンキ(歌手・ギタリスト)
- メルセデス・ソーサ(歌手)
- グラシェラ・スサーナ(歌手・ギタリスト)
- マルタ・アルゲリッチ(ピアニスト)
学者
架空の人物
- アラン・パスカル(キャプテン翼の登場人物)
- ガブリエル・ガルバン(キャプテン翼の登場人物)
- ガルトーニ(キャプテン翼の登場人物)
- サトルステギ(キャプテン翼の登場人物)
- ファン・ディアス(キャプテン翼の登場人物)
- バビントン(キャプテン翼の登場人物)
関連動画
関連項目
- 国の一覧
- フォークランド紛争
- フォークランド諸島
- 母をたずねて三千里
- サッカーアルゼンチン代表
- アウトドローモ・テルマスデリオオンド
- アルゼンチンモリゴキブリ
- アルゼンチンGP(MotoGP)
- アルゼンチン共和国杯
- あるぜんちな丸
- 今日は、アドルフ・アイヒマンが逮捕された日なんですよ(暗黒微笑)
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