アルゼンチン単語

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アルゼンチン
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基本データ
名称 アルゼンチン共和国
República Argentina
国旗 Bandera de la Argentinaexit
国歌 Himno Nacional Argentinoexit_nicovideo
アメリカディゴ
(カイコウズ)
アカカマドド
(スズ目カマドドリ科)
公用語 スペイン語
首都 ブエノスアイレス(Buenos Aires)
面積 2,766,890km²(界第6位)
人口(’23) 約4,554万人(世界第34位)
通貨 アルゼンチン・ペソARS

アルゼンチンexitとは、南アメリカである。

後述するが、公用語スペイン語による発音はアルヘンティーナである。

漢字表記は亜尓然丁、亜爾然丁、根廷。

チリと共にコーノ・スール(南アメリカ最南端)の域内に収まる。

文化

南米ではしく、西洋文化が濃いで、ルーツをたどればヨーロッパというものが多い。

建築物ヨーロッパのものが多く、首都ブエノスアイレスは「南米パリ」と称されている。内には至る所にカフェがある。

一方でパンパや北西部アンデスでの伝統的な田園生活(最終的にはインディヘナの伝統的な文化)からもを受けており、この二つの柱が相しながら現在のアルゼンチン文化が出来上がっている。

国名

名の由来は「」である。1516年にスペイン人探検があるの近くに上陸したとき、現地人がの首飾りを身につけていた。このため「このの上流にはの山があるに違いない」と思い、このを「リオ・デ・ラ・プラタ」と呼ぶことにした。リオ・デ・ラ・プラタとはスペイン語という意味。プラタ(Plata)はリオ(Río)はという意味である。

独立直後は「リオ・デ・ラ・プラタ連合州」という名だった。ところが、旧宗スペイン記憶を消し去りたい、という意見が大勢を占めたので、スペイン語表記をやめてラテン語表記に改めた。ラテン語表記「Argentum」に、地名を表す「tina」を付けた「Argentina」という名とした。

また、独立戦争をしたのは1810年頃であり、そのころはナポレオン戦争っ盛りで、フランス軍がスペインに進駐して現地スペイン軍を掃討していた時期だった。忌々しい旧宗スペインを圧倒しているフランスに対して憧れを抱き、フランスに「Argentine」とって「アルジャンティーヌ」とフランスに読んだ時期もある。この呼び方は次第にれて、やはり「Argentina」で行こう、となったのが1825年である。

「アルゼンチン連合」「アルゼンチン」という名だった時期もあるが、1860年10月8日にサンティアゴ・デルキ大統領が「アルゼンチン共和国」という名を使用すると宣言。

とはいえ、今でも憲法上は「リオ・デ・ラ・プラタ連合州」「アルゼンチン連合」「アルゼンチン」も正式な号として扱っている。使用していないが、正式号。

イギリス人はArgentinaを「アルジェンティーナ」と英語に読んでいた。また、アルゼンチン共和国を「Argentine Republic」と書いて(なぜかArgentinaをArgentineに変化させている)「アルジェンティン・リパブリック」と読んでいた。この英語読み世界中で流行り、日本にもこの英語名前が伝来して定着した。

しかしArgentinaは現地の言葉(スペイン語)では「アルヘンティーナ」と発音される。

日本人の、特にサッカーファンは現地人が「アルヘンティーナ」と呼ぶことを知っているのでそれを真似て呼ぶ人も多い。「アルヘン」と短縮する人もいる。

国旗

アルゼンチンの国旗は、横に水色水色の三色縞模様が伸び、ん中に太陽徴を取り入れたものである。

1810年5月18日から5月25日まで1週間かけて五月革命と呼ばれる騒乱が起こり、これがきっかけで独立戦争が始まり、1816年7月9日にアルゼンチンは独立を宣言した。五月革命の最終日である1810年5月25日に民兵隊が起したのだが、1810年5月25日は途中まで悪だったが途中から晴れ太陽が見えた。この日の太陽を「5月太陽」として国旗に取り入れることにした。イン帝国太陽インティを描くことに決め、デザインは当時の中南米で流通していた8エスクード硬貨に刻まれているものを流用した(画像検索例exit)。

1812年はスペインとの独立戦争の最中だったが、独立軍とスペイン軍の両方が黄色の旗を使っていて紛らわしい状況だった。そこで、独立側の将軍であるマヌエル・ベルラーノが2月13日になって政府に「水色の旗を採用しよう」と提案し、5日後の18日に軍事政権がその提案を採用することを宣言した。

ヌエル・ベルラーノは国旗の色を決めた人物であるので、彼の命日である6月20日は「国旗の日」としてアルゼンチンの祝日となっている。

公用語

公用語スペイン語で、首都ブエノスアイレス周辺はイタリアナポリ方言が強い。

19世紀以降、アルゼンチンはイタリアから大量の移民を受け入れた。特に多かったのがイタリアの中でも貧しい地域である南部ナポリ地方からで、このためナポリ方言が色濃く残った。

アルゼンチンは人口・産業ともに首都ブエノスアイレスに集中する首都一極集中のなので、ブエノスアイレスの特色がそのままアルゼンチンの特色を代表することになる。

アルゼンチンやチリボリビアなどの民は、自分たちが話すスペイン語をEspañolエスパニョール)とは呼ばず、Castellano(カスティジャーノ)と呼ぶ。Castellanoとは、スペインの中央部を占めてスペインの中心となっているカスティーリャ地方のこと。「スペインの中心部のカスティーリャ地方から受け継いだ言葉」という意味合いである。

パンパ

アルゼンチンにはパンパという途方もない広さの平野があり、そこにはが生い茂っている(画像検索例exit)。地形図を見ても関東平野60ヶ分というパンパの広さがよく分かる(画像検索例exit)。

入植者がを持ち込んでパンパの大草原に離したら、そのが大繁殖してしまった(画像検索例exit)。それから大畜産として世界に名をとどろかすようになった。現在も人口よりずっと多くのが放牧されており、現地人の食は牛肉になっている。

放牧されたを追っかけつ飼育していた人たちをガウチョという。アルゼンチン版カウボーイ。ガウチョたちの生き様はアルゼンチン人にとって1つの見本となっていて、「寛大で、他人のために自己犠牲を惜しまない」「勇敢」といった好ましいイメージがある。このため、アルゼンチン人にとってガウチョ精神は心の支柱である。日本人武士道に対して好ましいイメージを持っているのと同じ。

経済

牛肉の輸出による経済の発展

1816年にアルゼンチンは独立したが、そのころはパンパで育つからできた牛肉漬けにして便でヨーロッパに輸出していた。ただし輸送に冷凍庫がなく、輸送が暑いを越えてからヨーロッパに到着するため牛肉が傷みやすく、ヨーロッパ向けの輸出は小規模のままだった。ちなみに、この当時から要な輸出港は首都ブエノスアイレスだった。

1870年頃にフランスで発明された冷凍はアルゼンチン経済の発展を大きく後押しした。冷凍のおかげで牛肉を冷凍して新鮮なままヨーロッパへ輸出できるようになり、アルゼンチンはヨーロッパ向けの輸出を大きく伸ばして経済発展を謳歌し、南米随一の近代国家として台頭することになった。全土に鉄道を建設し、識字率を一気に向上させ、均6%経済成長率を30年連続で記録し、民一人あたりのGDP世界第4位にまで上昇させ、世界の富裕になった。

第二次世界大戦では中立を保って連合枢軸国の両方に農産物や畜産物を輸出し続け、大量の外貨を蓄えた。

工業化の遅れと経済の没落

ところが第二次世界大戦が終わってからアルゼンチン経済斜陽になりはじめ、1949年にはくも外貨を使い果たした。農業畜産業は堅調なのだが工業の発展が今ひとつで、世界中の交通が発達して農業畜産業が競争にさらされてくると国家全体の輸出量が落ちてしまう。1960年代には日本にもGDPを逆転された。

2000年代以降著しい経済発展を遂げているブラジルロシアインド中国南アフリカの5ヶをまとめてBRICSというが、工業化の遅れているアルゼンチンはBRICSのような経済発展をしていない。それどころか知識人層がイタリアスペインといった海外に流出する事態も起きており、課題は山積みである。

9回の債務不履行

アルゼンチンは、固定相場制を維持する的で外銀行政府から外貨を借りてから返済しきれなくなる事態、すなわち外貨建て国債債務不履行デフォルト)を1827年と1890年と1951年1956年1982年1989年2001年2014年2020年に起こしている(記事1exit記事2exit)。建してから9回も債務不履行をしており、まさに踏み倒し常習犯である。

こういうことをすると政府が外貨建て国債を発行して外の金融市場で売ろうとしても全く売れなくなり、政府に外貨を貸してくれなくなる。そうなると中央銀行の外貨準備高が少ないままになって固定相場制を維持できなくなり、貿易の確実性が減って企業が経営の見通しを立てづらくなり、企業が投資しにくいになり、工場の建設が難しくなり、工業の発展がさらに遅れてしまう。

固定相場制を維持しながら輸出を伸ばせば中央銀行の外貨準備高の余剰が増えるので外貨建て国債を返済できて債務不履行を回避できる。しかしアルゼンチンは工業化が遅れていて農業畜産業の競争力が低いままなので、そうしたことが難しいである。

インフレの原因その1 変動相場制と米国の積極財政

アルゼンチンの名物と言えばインフレーションであり、しばしばハイパーインフレの状態にまで化する。

すでに述べたようにアルゼンチンは債務不履行の常習犯国家なので、アルゼンチン政府ドル建て国債を発行して外政府銀行にそれを売ることでドルを借り入れてドルの準備高を増やそうとしても、なかなか順調にいかない。そのためアルゼンチンの中央銀行ドルの準備高が常に不足気味であり、ドル固定相場制を維持しにくく、変動相場制になりやすい。

そうした中で米国政府積極財政をして米国実質利子率を上昇させると、ドル買い・アルゼンチンペソ売りの勢いが強まり、ドル高・アルゼンチンペソ安の圧力が掛かる。アルゼンチンの中央銀行ドルの準備高が少ないので、アルゼンチンはドル固定相場制をほとんど維持できず、アルゼンチンペソが安くなる。「米国政府積極財政をして米国実質利子率を上げると新興国通貨安になる」という現象世界中で見られるが、アルゼンチンはその典例が盛んに発生する。

通貨が安くなると、短期において実質為替レートも上昇して輸入しにくくなる。輸入しにくくなると内において原材料が少なくなって物資が不足し、不利な供給ショックとなってインフレとなる。

2023年のアルゼンチンは記録的なインフレとなったが、その原因の1つはやはり米国実質利子率の上昇だった(記事exit)。2020年以降の米国コロナ禍ウクライナ戦争に対応するために政府購入を増やしており、実質利子率を上昇させる財政政策を続けていた。

インフレの原因その2 労働組合の強さ

アルゼンチンは産業別労働組合体のであり、伝統的に労働組合の力が強く、ゼネラルストライキ(ゼネスト)が頻繁に起こる。ストライキが多いと不利な供給ショックとなってインフレの原因となる。

アルゼンチンの労働組合の強さの原因の1つは、「パンパに大量のがいるのだから、困ったらそのを食べて生き残れるのであり、企業が潰れても困らない」といった強気な心理を労働者が持っている点である。「労働運動をやりすぎたら企業が潰れて自分たちが困ってしまう」という心理があれば労働組合御用組合になって労働運動が抑制されるが、アルゼンチンの労働者にはそうした心理が少ない。

資源の呪い

繰り返しになるが、アルゼンチンにはパンパという広大平野があり、そこで人口よりも多いと言われるほどに大量の自然に繁殖しており、が次から次へ湧いてくるである。つまりパンパのはアルゼンチンにとって一種の天然となっている。

天然恵まれは工業がなかなか発展しないことがあり、その労働者の労働意欲が低いままになることがある。そのことを経済学において資源の呪いという。

そしてアルゼンチンはという天然恵まれており、工業化が全く進んでおらず、労働運動しいことから労働者の労働意欲の低さを推察できる。つまりアルゼンチンは資源の呪いが発動したの一種と言える。

後述するように、アルゼンチンはシェールオイルリチウムといった天然が豊富に存在することが分かっており、今後はそうした天然の採掘が増えていくことが予想される。しかし、そうなったらさらに資源の呪いが強力に発動するかもしれない。

エネルギー・鉱物資源

アルゼンチンはシェールオイルシェールガスの埋蔵量が多いことが分かっている。2013年の時点で、米国の統計によればアルゼンチンのシェールオイル生産量は中国米国に次ぐ世界3位になっているという(記事exit)。南部パタゴニア西部ネウケン州にあるバカ・ムエルタにはシェールオイルシェールガスが大量に埋蔵されており、石油会社YPFが海外石油企業の技術提供を受けつつ採掘を進めている(地図検索例exit)。

またアルゼンチンはリチウムの埋蔵量の多さでも知られている。リチウム電気自動車スマホバッテリー原材料として有望な資であるのだが、アンデス山脈の各地のには炭酸リチウムが豊富に埋蔵されている。アンデス山脈に近いボリビアチリとアルゼンチンには世界の推定埋蔵量の60が集中しており、これをリチウムトライアングルという(記事1exit記事2exit)。アルゼンチンでは、北東部のオラロスにおいて日本豊田通商が現地企業と協力して炭酸リチウムの採掘をしている(地図検索例exit)。

解説動画

政治

アルゼンチンは建以来軍部の力が強く、政局が混乱するとすぐにクーデターが起こって軍人が大統領になるようなであり続けた。特に第二次世界大戦以降のアルゼンチンは軍部によるクーデターが続いた。

有名なのが1976年から1982年の軍部政治である。1978年サッカーワールドカップをアルゼンチンで開催して見事にアルゼンチンが初優勝を果たすのだが、このとき観戦に訪れた観光客や記者たちにより「アルゼンチンは軍部が仕切る怖い」という評価が世界的に知れ渡った。

また、1982年には民の不満をそらすため軍部がイギリスフォークランド紛争マルビナス戦争)を起こした。結果は敗で、しかもアルゼンチン人にとって心の故郷であるヨーロッパがこぞって英国を支持してアルゼンチン人は強いショックを覚えることになり、やっと軍部政治から脱却するようになった。

1983年から選挙で選ばれた政治家大統領になる例がずっと続いており、また軍縮も進んで文民統制が行われるようになっていて、かつての軍部政治イメージはだいぶ薄れてきている。

国際関係

イタリアと仲が良い

19世紀以降、アルゼンチンはヨーロッパからの移民を大量に受け入れた。特にイタリアからの移民が多く、アルゼンチンとイタリアの友好関係の基礎になっている。「母をたずねて三千里」もイタリアのジェノヴァからアルゼンチンのブエノスアイレスへ出稼ぎに行った母親を探しに行く少年物語である。

このためイタリア人のアルゼンチン人への感情は家族に向けるようなものになっている。セリエAイタリアサッカーリーグ)の各クラブはアルゼンチン人選手を優先的に雇う傾向がある。これは1980年代から現在までずっと続いていて、たびたび日本サッカー雑誌で「アルゼンチンは第二のイタリアだから両国戚同士」と説明されていた。

イタリア語スペイン語はよく似た言語であり、スペイン語話者がイタリア語話者にスペイン語で話しかけても、イタリア語話者がスペイン語話者にイタリア語で話しかけても、なんとなく意味が伝わるという。アルゼンチンとイタリアの友好関係はそういう面でも強固である。

アルゼンチンにおいてはイタリア系が最大勢力である。ちなみに他にはスペイン系やドイツ系などが多い。

イギリスと仲が悪い

1982年に勃発したフォークランド紛争(アルゼンチン側はマルビナス戦争と呼ぶ)で、イギリスと戦火を交えた。現在フォークランド諸島(アルゼンチンはマルビナス諸島と呼ぶ)の領有権をお互いに外交関係は冷え込んでいる。詳しくはフォークランド紛争フォークランド諸島の記事を参照のこと。

ブラジルは永遠のライバル

南米大陸の両雄であるブラジルとは永遠のライバルで、両国とも「南米一の」と自認していて、ライバル意識が非常に強い。サッカーワールドカップコパ・アメリカサッカー南米大会)等では強い対抗意識を持って試合に臨む。ブラジル人に田舎はどこかと聞くと「アルゼンチン」となり、アルゼンチン人に田舎はどこかと聞くと「ブラジル」と答えが返ってくるという。

なお、ブラジル経済現在急成長しており、南米開催のオリンピックリオデジャネイロに先を越されてしまった。両者の均衡は崩れつつあるのかもしれない。

チリと仲が悪い

ビーグル領土問題を抱えていたチリとは伝統的に仲が悪い。ローマ法王の仲裁等がかったら冗談抜きで戦争が起こりかねないほど。2004年にも事前に連絡なくチリへの天然ガスの輸送を停止するなど、仲の悪さは全く改善されていない。まあ隣との関係なんてどこもそんなものである。

スペインと仲が良い

旧宗で同じスペイン語語にするスペインとは仲がよい。独立戦争を伴った喧嘩別れだったので
独立直後は反スペイン感情が根強かったが、現在ではその感情は解消されている。スペインにはスペイン語圏にネットワークり巡らすような企業がいくつもあり、ラテンアメリカスペイン語国家とはどこも仲がよい。

アメリカ合衆国とは親しくない

アメリカ合衆国とはそんなに密な関係があるわけではない。1823年にアメリカ大統領のモンロー議会において「ヨーロッパは南北アメリカ大陸に対して干渉すべきでない」と提言し、それ以降の米国はモンロー義を採用、ヨーロッパとは関係を持たない立場を鮮明にした。このモンロー義はもう1つの意味があり、「南北アメリカ大陸米国の勢力圏にする」という意味合いで実際にカリブ米国の勢力圏に組み入れている。アルゼンチンはこの米国外交姿勢に反発、「々は今まで通りヨーロッパと仲良くする」と宣言、その通りにヨーロッパとの密な外交を続け、米国とは距離を置いた。現在米国とは一定の距離を置く関係である。

ナチス・ドイツとの関係

第二次大戦中に実権を握ったフアン・ペロンナチス・ドイツだったこともあり、戦争に敗れドイツでの居場所を失ったナチス要人を多く匿ったことでも知られる。

かのアドルフ・アイヒマンもその1人であり、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで暮らしていたところをイスラエルモサド拉致された。詳しくは「今日はアドルフ・アイヒマンが逮捕された日なんですよ」の記事を参照。

1970年代の軍部政権時に「汚い戦争」と呼ばれる弾圧が行われ、多数の左知識人や労働組合員が投されて獄死させられた。「汚い戦争」を実行する際の資金として、軍部が偽札(偽の英国ポン紙幣)の製造をしていたとも言われている。そしてその偽札の製造には、戦時中のナチス・ドイツベルハルト作戦英国ポン紙幣を偽造して英国経済混乱させようとした)に参加していた人間が関わっていたという。

日本との関係

地球の反対側にある日本とは特段仲が良くもなければ仲が悪いわけでもない。フォークランド紛争マルビナス戦争)の最中、日本米国英国やEC(現在EU)から何度も「アルゼンチンに対して禁輸措置をとれ」と圧力を掛けられたが、得意の「まことにごもっともではございますが、しかしながら~」というのらりくらり戦術でかわし、戦争が終わる最後まで禁輸措置をとらなかった。日本は資ほぼゼロの貿易立なので、簡単に禁輸措置をとるわけにはいかなかったのである。その一方で国連ではアルゼンチンを積極支持せず、アルゼンチンへの撤退勧告に賛成票を投じている。

2016年には安倍晋三首相が57年ぶりにアルゼンチンを公式訪問した。57年間行っていなかったわけで、そんなにしい間柄ではない。

一方で、南米大陸全般に言えることだが、明治から昭和にかけて移民を多く送り込んだため日系人がそこそこいる。日本語日常的に使うコミュニティはさすがに少なくなっているようだが日本語が通じる事もある。日本籍が血統義であり本人が日本国籍の放棄を日本政府に伝えなければ日本国籍を保持できるため、本人が日本国籍を持っていることを知らないパターンもある。また、首都ブエノスアイレスの中には「うるま園」という公園があり(地図検索例exit)、日系移民が集まる場所の1つとなっていて、門には沖縄像として有名なシーサーが2体置かれている(画像検索例exit)。

歴史を専攻する(特に大正から戦前にかけての際関係絡み)人やミリオタなら、南米移民から空母改造された「海鷹」こと「あるぜんちな丸」で、競馬ファンならG2重賞アルゼンチン共和国杯」でお染みだろう。

食事

パンパには人より多くのが放牧されているので、現地人の食は牛肉である。1人あたり牛肉消費量は
日本の10倍とされる。美味しい牛肉料理をかなりの安価で頂くことができる。

アサードという、素焼き肉料理人気日本焼き肉は薄いのを金網に乗せるが、アルゼンチンのアサードはデカい塊をゴロンと金網の上に置く。休日に炭をおこしてせっせと焼き肉の準備をするのは男性仕事である。どこのにも焼き肉用の金網があり、スポーツなどを観戦しながら1日かけてアサードを楽しむ。

牛肉を飽きるほど食べることができるのであまり食は流行っていない。血のソーセージ日本ではあまり食べない内臓もよく食べる。特に下味を付けずそのまま焼くのでこれらの希少部位はクセがあり慣れが必要。やや高級な肉料理屋でも凝った味付けをしないのが通例。

美食のイタリアからの移民を大量に受け入れたおかげで、ピザパスタラザニアミラネーサ、エンパナーダといったイタリア料理が伝わっている。

肉料理に合わせるためのワインの生産も盛んで、生産量は世界5位で上質と評価されている。しかし海外輸出の量はさほど多くない。

マテ民的飲料であり、ビタミンミネラルが豊富で「飲む野菜」とも言われている。
飲み方が独特で、瓢箪などで作った専用のコップ(このコップもマテと呼ぶ)にマテの葉を大量に盛り、お湯をかけつボンビージャという金属製のフィルター付きストローで啜る。始めの方はとても濃くかなり苦いが、何度もお湯を継ぎ足しするのでそのうち適度な濃さになる。
家族友人で回し飲みすることも多い。コロナ禍によって御上からは回し飲みを辞めるように示され減ってはいるものの、を示す伝統である等と従わない人々もいるとか。

外出時もよくマテを飲むので1kg入りのデカイ葉の袋とお湯の入った水筒ボンビージャ&マテのセット携帯している人が観光地などにたくさんいる。ボンビージャ&マテのセット銀色美しい装飾を施しているのでお土産としても人気

スポーツ

山ほど牛肉を食べて力が付くからだろうか、著名なスポーツ選手を次々輩出するスポーツである。

サッカーではディエゴ・マラドーナリオネル・メッシなどサッカー史上に残る名選手を多く輩出する。サッカーアルゼンチン代表FIFAワールドカップ優勝3回の強であり、対戦が決まったの大半は絶望する。

テニストップクラスに位置している。しかも名選手は男女問わない。

ラグビーバスケットボールボクシングF1でも名選手や名チームを輩出している。

競走馬産が盛んで、南米では最大の規模である。アルゼンチンの種牡馬として*サザンヘイローが有名である。

アルゼンチンタンゴ

アルゼンチンといえばやはりタンゴ。

貧しい移民でごった返す19世紀のブエノスアイレスで男達が場でらしにダンスを踊るようになり
しだいに男と女がペアで踊るようになった。これがアルゼンチンタンゴの始まりである(記事exit)。動画で見てみると荒々しさと情熱が特徴的なダンスだと分かる。始まったときは上流階級の人たちから「粗野」「下品」と評されたが、次第に情熱が人々の胸を打つようになり、際的にも評価が高まっていった。

ブエノスアイレス、特にラ・ボカとサン・テルモはタンゴ・リオラテンセの中心として有名。だが、一時はかなりれていた。アストル・ピアソラがいなかったら一体どうなっていたか……。

アルゼンチンタンゴ独特のリズムカンドンベを下敷きにして、ハバネラミロンガなどのを受けてボカで育ったと言われている。

観光

地方

アルゼンチンは南北に長い大であり、熱帯から氷河までさまざまな観光を持っている。

北東のブラジルパラグアイとの付近の熱帯地帯に世界最大のとして知られるイグアスの滝がある(画像検索例exit)(地図検索例exit)。米国ナイアガラの滝よりはるかに大きく、米国からやってきたセオドアルーズベルト大統領夫人が「Poor Niagara!」と叫んだ。「可哀想なナイアガラ」「ナイアガラはしょぼいわね」という意味。特に大きいが「悪魔の喉Garganta Del Diablo」というである(地図検索例exit)。

北西のボリビアとの付近の山岳地帯に、ウマワカ峡谷がある(画像検索例1exit画像検索例2exit)(地図検索例exit)。カラフルな岩山が広がっている。近くにはサボテンがそこら中に生えている。

北部の内陸地帯に、サリーナスグランデスというがある(画像検索例exit)(地図検索例exit)。一面真っ白太陽が反射してまぶしい。自体が茨城県と同じ広さであり、売るほどがあるので輸出している。で作ったもある(画像検索例exit)。バイクレースの最高峰であるMotoGPは開催前に何らかのプレイベントを行うのが恒例であるが2015年ジャック・ミラー選手がこので疾走している(動画exit)。

南東の沿部にヴァルデス半島があり、ホエールウォッチングを楽しめる(画像検索例exit)(地図検索例exit)。くてでかいクジラ快に面を泳ぐ様を見物できる。

南方のパタゴニア南極に近く、が強で、氷に覆われている。パタゴニアの南西に、ロスグラシアレス国立公園があり、巨大なっぽい氷河がある(画像検索例exit)(地図検索例exit)。長い間圧縮されて空気をほとんど含まなくなり、い色になった。太陽く様子をで見物できる。ペリト・モレノ氷河が有名で、それがアルヘンティーに落下する。ビルの大きさの氷が音を立て崩れ落ちる様子の動画Youtube検索すると出てくる(検索例exit)。この動画exit素晴らしい

首都

首都ブエノスアイレスにも様々な観光名所がある。

沿いの場所に「記念碑の」があり、イギリス移民から贈呈された時計台がある(画像検索例exit)(地図検索例exit)。緑色の丸い屋根が印的である。フォークランド紛争マルビナス戦争)の前までは「イギリス」と呼ばれていた。

道路と細い道路が交差するところにオベリスクという巨大な四柱が立っている(画像検索例exit)(地図検索例exit)。1936年に建てられ、高さは67.5メートルである。このオベリスクがあるあたりは共和広場といわれる。2022年ワールドカップでアルゼンチンが優勝したときは共和広場が人でいっぱいになった(画像検索例exit)。

沿いの場所にフロラリス・ヘネリカという銀色の巨大なびらのモニュメントがある(画像検索例exit)(地図検索例exit)。開閉する機構があるが(動画exit)、頻繁に故障する。

その他にも富裕層向け墓地劇場をそのまま使った本屋、大統領邸など、定番の観光地がたくさんある。郊外に出ると、別荘のような立な外観のヨーロッパの住宅が多く見られる。

中心を含めどの建物も攻撃力の高い柵で覆われており、番犬を飼っているも散見される。窃盗や強盗が多いのだろう。リュック旅行カバンサイフ、スマホなどを不用心に持っていると盗られるので観光時は注意すべきである。もちろん独り歩きは禁物である。

あとトイレを流せない。トイレトイレットペーパーが盗られてくなっていることも多いのでを拭くを多めに持ち歩くと安心である

著名なアルゼンチン人

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サッカー選手

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軍人・政治家

宗教家

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学者

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アルゼンチン

397 ななしのよっしん
2025/01/01(水) 06:31:51 ID: PiFU0xVVLv
ミレイをリバタリアンしたお前よりネオコンと看做した自分の方が正しいだろ。ミレイはアメリカイスラエルに好意的なんだが?
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398 ななしのよっしん
2025/01/01(水) 12:59:22 ID: VAu9ZtF1T6
ネオコンとリバタリアンで言ったら後者の方が圧倒的に正しいと思うよ
リバタリアンでないとするのは良いけど、そのために縁もゆかりもない米国のイデオロギー持ってきたら何の話にもならんだろ
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399 ななしのよっさん
2025/01/01(水) 20:45:07 ID: ugP4Vsq2is
日本アルゼンチンの立場は逆転していくんだろうけど、ここまで混乱と失政を繰り返さないと立ち直れないとなると日本の将来は暗いだろうな。失われた100年になりそうだ。
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400 ななしのよっしん
2025/01/01(水) 21:48:42 ID: PiFU0xVVLv
>>398
ミーゼスリバタリアン政府による防は否定してないが中絶政府による法規制の部分を見ても明らか右翼だからリバタリアンではい。日本で言う所の条例の範囲で規制するなら分かるが。
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401 ななしのよっしん
2025/01/01(水) 21:51:20 ID: PiFU0xVVLv
>>399
集りだらけの日本は最貧になる可性がある
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402 ななしのよっしん
2025/01/05(日) 14:41:38 ID: AnpuX/+7wq
インフレ率こそ鈍化しているが、2024年度のGDP成長率は前年で鈍化、貧困率は上昇
見たところマイナス面が立つけど、経済の動向は長いで見るべきだからミレイ氏の政策がアルゼンチンにとってプラスになるかまだ分からんかな
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403 ななしのよっしん
2025/02/06(木) 08:04:14 ID: AC0ZXGeAGH
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404 ななしのよっしん
2025/02/06(木) 08:21:41 ID: Dd/CY+nv2x
もう全にミレイ政権アルゼンチンアメリカ植民地だよね。やたらトランプに追従しているし、最近の各保守のトレンドかな?(イスラムは除く)
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405 ななしのよっしん
2025/02/06(木) 19:15:22 ID: roc257D8Xr
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406 ななしのよっしん
2025/02/07(金) 20:28:47 ID: PiFU0xVVLv
>>403
WHO脱退は朗報だろ
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