アルビレックス新潟とは、Jリーグに加盟しているプロサッカークラブである。
概要
|
ホームタウンは新潟県新潟市と聖籠町。ホームスタジアムはデンカスワンスタジアム。チームカラーはオレンジと青。
「新潟イレブンサッカークラブ」として1955年に創設される。1994年にJリーグへの加盟を目標に新潟県サッカー協会の強化指定を受け「アルビレオ新潟FC」と名称を変更し、1997年に商標上の問題で現在の名称となる。
1999年にJ2に加盟。2001年、2002年と二年連続で惜しくもJ1昇格を逃す。翌2003年にJ2で優勝し、悲願のJ1昇格を決めた。しかし2014年以降は中位~降格ギリギリという順位で低迷し、2017年についに降格、2018年からはJ2で再出発となる。
2001年~2005年までの反町康治監督期はカウンター主体の守備的なチームスタイルだったが、2006年より鈴木淳がチームの指揮をとるようになってからは、サイドアタックに主眼を置いた攻撃的なスタイルへと変化を遂げつつある。
2010年以降の概略
2010年からは黒崎久志が指揮をとった。
しかし、2010年こそ中位だったが、2011年はもはやお家芸とも言える戦力流出によって大きく低迷。2012年もチームの立て直しを図れず5月半ばに黒崎は辞任した(事実上の解任。チームにとってはJ2参戦以来初めてのシーズン途中の監督辞任)。
その後は、柳下正明新監督のもとで残留争いを戦い抜く。2012年のJ1降格争いは、後2戦を残して11位のジュビロ磐田から下は全て降格の可能性ありという大混戦となっていた。15位以内に入れなければ降格となる。アルビは後2戦を残し17位、この状態でアルビが残留するには
既に自力残留はできず、運ゲーをこなす必要があった。新潟の残りの対戦カードは2位のベガルタ仙台とぶっちぎりで最下位のコンサドーレ札幌の2チーム。後者は流石に勝てるだろうが仙台との対戦が問題だった。
よしんば勝ったとしても上のチームが負けなければチャンスはない。
11月24日とのベガルタ仙台戦は、1-0と辛勝。この結果優勝争いも決着しサンフレッチェ広島が優勝決定、仙台は2位確定となった。がこの試合で柳下監督は退場。最終戦は指揮官不在で挑むことに。
ガンバは引き分けとなり、11位の磐田は残留確定、13位のアントラーズと14位の大宮が勝利したため残留確定、この時点でアルビはセレッソが勝つと降格確定になってしまっていたがセレッソが負けたので首の皮一枚繋がり最終戦に賭けることができた。
後1戦、この時点で降格圏内になったのは14位に後退したセレッソ大阪を含めた下位4チームとなった。アルビはまだ17位。アルビ残留の条件は最終戦前で
結局勝って祈るしかないということに変わりはなかった。そして運命の12月1日。コンサドーレ札幌に4‐1で大勝、同時に15位のヴィッセル神戸がサンフレッチェ広島に0‐1、16位のガンバ大阪がジュビロ磐田に1‐2で敗れたため、ギリギリで15位に入り残留を決めた。そして、2013年シーズンの柳下監督続投も決まった。
2013年シーズンも開幕で出遅れたがFW川又堅碁の大ブレーク(23得点はリーグ2位)もあって7位の好成績を残した。柳下監督は2014年も続投。
2014年シーズンはケガ人とまた戦力流出で12位に終わった。最終戦は延期となったが詳細は関連項目参照。
2015年は更に低迷し終盤まで残留争いに加わる体たらくだったが何とか15位まで巻き返し残留した。柳下監督は責任を取り辞任した。
2016年は吉田達磨を監督に迎え挽回を図るものの、前半13位と低調な結果。またしても戦力放出に悩まされ、下のヴァンフォーレ甲府と名古屋グランパスに敗戦を喫する等去年に引き続いて残留争いに加わることに。9月末に吉田は解任、後4戦を残し監督交代になってしまった。後任は片渕浩一郎。
降格チームは早い時期に最下位定位置になったアビスパ福岡と後半戦ボロボロの湘南ベルマーレがすでに確定、残り一枠を磐田・名古屋・甲府と争うことになった。最終戦を前にアルビは勝ち点30でギリギリの15位で名古屋に勝ち点で並ばれていた。ただ得失点差は3と大勝、大敗でない限りまずひっくり返されない差は持っていた。ただ名古屋は相手が格下で既に降格決定の湘南、アルビが戦うのは格上の広島、不利なのはこちらではあったが。
勝てば残留確定なのだが流石に厳しかったか、アルビは0-1で敗れた。残るは名古屋の試合結果である。サポーターはモニターに「名古屋が点を取らないように」と祈るしかなくなった…が程なくして名古屋が敗戦したという情報が知らされ、辛くも残留となった。
2017年は前年長野の監督であった三浦文丈を監督に迎えるが、開幕からダメダメで連敗街道を驀進し開幕からの10戦でわずか1勝という凄惨な結果で、結果5月7日に辞任した。後任にはあの呂比須ワグナーが就任した。就任直後の試合は勝利したが、6連敗。この後5ヵ月近くアルビが勝利することはなかった…
16戦勝ち無し、順位はぶっちぎりで最下位。いよいよ土俵際となり1戦の負けも許されない、勝ったとしても上位が負けなければ降格決定、と限りなく無理ゲーを戦うことになった。
10月14日のガンバ大阪との戦いを制しやっと勝ち点3を積み、ひたすら勝ち点を積み上げ上チームの後退を待つ。進退窮まってからのアルビは覚醒したように勝ちを重ねていった。
しかし11月18日に残留争い対象チームである広島が勝利したことで後2戦を残し残留の可能性が無くなり、ついにJ2への降格が確定した。だがアルビはそれでも残り2戦も勝ち、最後の最後で最下位を脱出して意地を見せた。ガンバ大阪戦以降は磐田に引き分け以外は全て勝利の5勝1分けである。最初からやれ。
残留はならなかったため呂比須は辞任し、後任は鈴木政一が就任しJ1への再起をかけることになった。・・・が、ここから長い苦闘が始まる事となる。
2018年は成績低迷で鈴木政一監督がシーズン途中で解任され、ヘッドコーチの片淵浩一郎が昇格して指揮を取ったものの16位でシーズンを終える。
2019年は開幕の出遅れで低迷。片淵監督は解任され、吉永一明が監督に就任(監督の途中交代は4シーズン連続だった)。一時は16位まで順位を落とすも、最終的には10位でシーズンを終える。
2020年はアルベルト監督が就任。開幕戦に勝ち首位に立ったものの、昇格圏内にいたのはそれが最初で最後になってしまい、以降は失速して11位でシーズンを終えてしまう。
2021年もアルベルト監督が続投。開幕5連勝でスタートダッシュに成功し、第14節まで負けなしで首位を堅持。「今年は行けるか?」・・・と思われたが、第18節での敗戦で昇格圏内から陥落すると二度と昇格圏内に戻ること無く6位でシーズンを終え、アルベルト監督は辞任(後に東京FC監督に)。
2022年はアルベルト監督下でコーチを勤めた松橋力蔵が監督に就任。だが、開幕は7戦2勝とスタートダッシュに失敗。「ああ、今年もダメか」・・・と思われたが、このシーズンのアルビレックスは違った。第8節で勝利すると、そこから8戦負けなし(と、ホーム新記録の10連勝を達成)で首位を奪い取る。第16節で敗れて首位から陥落したが、次節で横浜FCとの天王山対決を制して勢いを取り戻し、前半戦を首位で折り返す事に成功。後半戦は横浜、仙台(終盤は仙台に代わり岡山)との熾烈な昇格争いを繰り広げる。連敗せずに持ちこたえ、第35節での勝利で首位に立った後は首位を譲る事無く迎えた第40節・対仙台戦を3-0で勝利し遂にJ1復帰を果たす。次節は敗れたものの、優勝争いをしていた横浜が敗れた事で残り1試合を残してJ2優勝を決める。最終節のホーム戦を勝利し勝ち点84で終え(ちょうどJ2勝利数200勝目)、得点73、失点35(徳島と首位タイ)、得失点差38と、終わってみれば全てで首位となる最高の結果でシーズンを締めくくった。
さて、アルビレックスを語る上で欠かせないのはその観客動員の多さと主力の引き抜かれの多さである。新潟市という大都市圏から離れた場所にホームタウンを構えたこともあり、Jリーグ参入当初は平均観客数も数千人でスタジアムには空席が目立っていた。しかし、クラブ側の懸命な営業努力と理念に賛同した地元マスコミや地元企業のバックアップにより、次第に観客数も増え、現在ではJリーグ屈指の観客動員をほこる。特にホームスタジアムでの声援は浦和レッズとリーグ1・2を争うほどである。
しかし最近は低迷しており、かつてレッズに次いで不動の2位だった観客動員数は2013年に3位転落、2014年は4位に後退、2017年は6位止まりとなっている。
在籍した主なプレイヤーは、エジミウソン、ファビーニョ、山口素弘、鈴木慎吾、田中亜土夢、矢野貴章など。
スポンサーについて
ユニフォームスポンサー(胸)は1999年から一貫して亀田製菓。
2015年までは「亀田製菓」の表記であったが、2016年から亀田製菓の主力商品であり、レオ・シルバの大好物である「ハッピーターン」に表記が変更。なおレオ・シルバは翌年アントラーズに移籍している。本当戦力流出がお家芸だよなぁ…
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 新潟
- Jリーグ
- サッカー
- 亀田製菓(ユニフォームスポンサー)
- ハッピーターン(2016年~2018年のユニフォームに表記)
- 阪口大助(声優・レプリカユニフォームを着てテレビに出演するほどの熱狂的サポーター)
- 2014Jリーグ ディビジョン1 第34節 アルビレックス新潟 vs 柏レイソル
関連リンク
- 5
- 0pt