- プロ野球選手一覧 > アレックス・オチョア
アレックス・オチョア(Alex Ochoa , 1972年3月29日-)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(外野手)。
日本での登録名は「アレックス」。日本では中日ドラゴンズ、広島東洋カープに所属した。
概要
OB | |
---|---|
アレックス・オチョア Alex Ochoa |
|
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | フロリダ州マイアミ |
生年月日 | 1972年3月29日 |
身長 体重 |
183cm 91kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1991年MLBドラフト3巡目 |
引退 | 2008年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
1991年のMLBドラフト3巡目でボルチモア・オリオールズに指名され、1995年にニューヨーク・メッツでメジャーデビュー。
MLB時代は守備要員として重宝され、メッツ→ツインズ→ブルワーズ→レッズ→ロッキーズ→ブルワーズ→エンゼルスと様々な球団を渡り歩いた。メッツ時代の1996年にサイクルヒットを記録、エンゼルスでは2002年のワールドシリーズ制覇を経験している。
2002年オフ、中日が獲得したはずだったケビン・ミラーが来日を拒否してレッドソックスに入団してしまったため、その代役として中日ドラゴンズに入団。背番号4。「オチョア」というファミリーネームが間抜けな響きだったため、登録名を「アレックス」とした。
中日では1年目からセンターに定着し、毎年20本前後の本塁打を放つパンチ力で主に5番・6番打者として活躍。そしてそれ以上に、見る者の度肝を抜く驚異的な強肩で知られた。2004年にはレフトの英智、ライトの福留孝介と鉄壁の外野陣を形成して優勝に大きく貢献、ゴールデングラブ賞も受賞。また同年4月13日の読売ジャイアンツ戦ではサイクルヒットを達成、NPBとMLBの両方でのサイクルヒットは史上唯一の記録である。
2006年、打撃成績・守備ともにやや衰えが見え始め、2億円超の高額年俸もネックになって、この年限りで中日を退団。
2007年はアメリカに戻り3Aでプレーしていたが、シーズン途中で広島東洋カープが獲得した。背番号43。広島での年俸は約2000万円で、一気に年俸が1/10に。広島では規定打席未満ながら打率.300をマークし活躍し、翌年も残留。
2008年は中軸として活躍し、なにげに来日以来初の打率3割(.306)をマークしたが、21併殺とゲッツーマシンでもあった。最大の武器であった肩にも衰えが見え始め、翌年から広い新球場となることもあって契約は更新されず、この年限りで現役を引退した。
引退後はボストン・レッドソックスのコーチ補佐に衆院。2012年はボビー・バレンタイン監督のもとでファーストベースコーチを担当した。
現在はスコット・ボラスが開業した高級スポーツジムの所長をしているらしい。
通算成績
通算:14年 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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MLB:8年 | 807 | 2387 | 2143 | 320 | 597 | 131 | 19 | 46 | 261 | 56 | 7 | 15 | 203 | 19 | 288 | 45 | .279 | .344 |
NPB:6年 | 765 | 3234 | 2933 | 372 | 847 | 153 | 5 | 97 | 416 | 17 | 1 | 14 | 255 | 31 | 474 | 74 | .289 | .350 |
関連動画
関連項目
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