アントワーヌ・マルモンテル(1816~1898)とは、19世紀フランスのピアニスト、作曲家、著述家であり、フランスのピアニズムのすべての源流に位置づく存在である。
名前は正確には合成名でアントワーヌ=フランソワ・マルモンテル。
概要
1816年にパリの南にあるクレルモン・フェランに生まれた。1827年にパリ音楽院に入学し、ピエール・ジメルマンにピアノの師事を受けた。ピアノ科ではあったものの、ヴィクトル・ドゥルランに和声法を、フロマンタル・アレヴィにフーガを、ジャン=フランソワ・ルジュールに作曲法を学び、ほとんどのクラスで優秀な成績を収める秀才ぶりを見せた。
そして彼の人生の転機がジメルマンの後任に選ばれたことである。このポストは当時同じくジメルマンの最愛の弟子であったシャルル=ヴァランタン・アルカンが必ず射止めるだろうというものであったのだが、アルカンや同じく兄弟弟子のエミール・プリューダンを抑え彼が選ばれるというまさしく大逆転劇が行われたのであった。
とはいえ選ばれたマルモンテルは以降1887年まで教授を務め、数多くの生徒を送り出すことになる。ルイ=ジョセフ・ディエメ(ディエメール)、アンリ・ギイ、クロード・ドビュッシー、アルベール・デュオーパ、ジョルジュ・ビゼー、ヴァンサン・ダンディ、テオドール・デュポア、ガブリエル・ピエルネ、フランシス・プランテ、エドワード・マクダウェル、イサーク・アルベニス、マルグリット・ロン、そして自分の息子でもあったアントナン・マルモンテルとのちのフランスを代表する作曲家たちが数多く並んでいるのだ。
その中でも特筆すべきはディエメである。彼の弟子にはアルフレッド・コルトーやロベール・カサドシュ、ラザール・レヴィ、イヴ・ナットとフランスを代表するピアニストたちが並びそこからさらに数多くのピアニストの系譜が広がっていくのである。
フランスのピアニストといえば彼の友人でもあったフレデリック・ショパンの系譜も忘れてはいけないが、フレンチ・ピアニズムの源流といえば決して外すことのできない存在、それがマルモンテルなのである。
また著述家としては19世紀のピアニストたちを知るのに貴重な著作を多く記しており、『著名なピアニストたち』はピティナのホームページで読むことができる。フランス音楽史に興味があるものは一読の価値があるだろう。
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作曲家としても活動し多くの曲を残しているのだが、ニコニコには弟子のディエメの音源しかないようだ
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