アンドレ・アガシ(Andre Agassi)とは、アメリカの元テニス選手である。
概要
Andre Agassi | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アメリカ合衆国: ラスベガス |
生年月日 | 1970年4月29日 |
身長 体重 |
180cm 80kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
デビュー年 | 1986年 |
引退年 | 2006年 |
テニス選手テンプレート |
1970年生まれで、86年のデビューから2006年の引退まで20年以上に渡って活躍した鉄人選手。
87年にツアー初タイトル、88年には18歳の若さで既にランキング3位に立っている。90年代にはピート・サンプラスに次ぐ四大大会5勝を挙げる。99年の全仏オープン優勝でロッド・レーバー以来5人目となるキャリア・グランドスラムを達成した。97年に女優のブルック・シールズと結婚するも、極度の不振で一時は100位以下までランキングを落としてしまう。ここから99年全仏オープン優勝に至る復活劇は語り草になっている。シールズとは99年4月に離婚し、その後は女子テニス選手のステフィ・グラフと交際・結婚している。なおアガシは96年アトランタ五輪、グラフは88年ソウル五輪のシングルスをそれぞれ制しており、世にも珍しい「同一種目の五輪金メダリスト夫婦」である。
2000年代に入ると同世代の強豪が徐々に姿を消していくなか奮闘。特に全豪オープンに強く、2000年から2003年まで負けなしで3回の優勝を挙げた(2002年は欠場)。2003年には当時のランキング1位史上最年長記録を立てている。四大大会での優勝は2003年の全豪が最後となったが、2005年の全米オープンでは35歳で決勝に進出している(ロジャー・フェデラーに敗れて準優勝)。翌2006年の全米オープンを最後に現役を引退した。
非常にコンパクトなテイクバックからライジングで叩くストロークの天才だった。90年代はサンプラスをはじめビッグサーバーの活躍が目立つなか「世界一のリターナー」と呼ばれた。また30歳前の引退も少なくないプロテニス界にあって、アラサーになってからの方が四大大会優勝が多いという珍しい選手でもあった。2000年ごろから活躍し始めたニューボールズ世代の選手たちともフェデラーに8連敗した以外はおおむね互角に渡り合っている。さすがにラファエル・ナダルには勝てなかったが、15歳以上の年齢差を考えると対戦しているだけでも十分凄い。錦織圭とは現役時代の対戦は無かったが、2014年11月、エキシビションマッチのドリームテニスARIAKEで対戦した。現役時代の日本人との対戦は松岡修造と1回だけあり、ストレートで勝っている。
落ち着いた坊さんルックのイメージが強いが、キャリア初期は金髪ロンゲに派手なウェアで注目を集めた。今ならチャラ男と叩かれるに違いない。もっとも引退後に発表された自叙伝によると、実はこの当時既にカツラだったとか。
引退後はあまり目立った活動は無かったが、2017年全仏オープンからノバク・ジョコビッチのコーチに就いた。しかし2017年シーズンはジョコビッチが故障のため早い段階でシーズンを切り上げてしまった。翌2018年4月にはジョコビッチのチームを離脱、結果的にコーチとしての手腕は見せ場が無かった。
主な実績
- ATPランキング1位(在位101週)
- 引退当時のATPランキング1位最年長記録(33歳133日、後にロジャー・フェデラーが更新)
- 男子史上5人目のキャリア・グランドスラムを達成
- 男子史上初のキャリア・ゴールデンスラムを達成
- 全豪オープン優勝4回(1995年、2000年、2001年、2003年)
- 全米オープン優勝2回(1994年、1999年)
- 1992年ウィンブルドン優勝
- 1999年全仏オープン優勝
- アトランタ五輪男子シングルス金メダル
- 全仏オープン準優勝2回(1990年、1991年)
- 1999年ウィンブルドン準優勝
- 全米オープン準優勝4回(1990年、1995年、2002年、2005年)
- シングルス通算優勝回数 60回
- シングルス通算マッチ成績 870勝274敗
- 全豪オープンでの優勝4回は引退当時のオープン化後最多記録(後にノバク・ジョコビッチ、ロジャー・フェデラーが更新)
関連動画
明らかに世代が違うのに90年代よりも2000年代の映像の方が目立っている。
関連商品
関連項目
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