アンリ・エルツ(1803~1888)とは、19世紀に活躍した作曲家・ピアニストで、ヴィルトゥオーソのひとりである。
概要
ウィーンのユダヤ系の家庭に生まれた(そのため厳密にいえばドイツ語のハインリヒ・ヘルツが正しい表記ともいえる)。父親とダニエル・ヒュントンに幼いころから音楽教育を受け、1816年にはパリ音楽院に入学した。そこではアントワーヌ・マルモンテルの弟子であったヴィクトール・ドゥルラン、加えてアントニーン・レイハ(アントン・ライヒャ)の師事を受けて、次第にヴィルトゥオーソピアニストとして名声を高めていった。
特に1845年から1851年にかけてのアメリカへの演奏旅行を記した『アメリカ紀行』を記しており、アメリカで活動した初期のピアニストのひとりとしても名を残している。
妻は高級娼婦であり、リヒャルト・ワーグナー、ハンス・フォン・ビューロー、テオフィル・ゴーティエ、エミール・ド・ジラルダンといった音楽家・芸術家たちの集まるサロンを形成していた、ラ・パイヴァである。彼女の出費のためにエルツは音楽家活動を続けてお金を集めなければならなかったともいえる。
8つのピアノ協奏曲をはじめとした多くの曲を作っていながら、最近まではフランツ・リストやフレデリック・ショパンたちと作ったヘクサメロンでしか知られない存在となってしまっていた。彼に関しても近年のクラシック音楽を取り巻く環境の中でようやく取り上げられるようになった作曲家であり、まだほとんど未開拓の存在であるのだ。
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残念ながらないようだ。
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