アンリ・ピレンヌ単語

アンリピレンヌ
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アンリ・ピレンヌ1862~1935)とは、「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」でおなじみの「ピレンヌ・テーゼ」で有名なベルギー歴史学者である。

概要

ベルギー東部のヴェルヴィエに生まれ、リエージュ大学で学ぶ。当初は法律家を志していたがゴドフロワ・クルトの講義をきっかけに中世史に興味を持ち転向した。1883年から1885年にかけてパリライプツィヒベルリンに遊学し、特にドイツ近代歴史学から距離を置いたカール・ゴットハルトランプヒトとの出会いは経済史・文化史を重んじるその後の方法論にを与えた。

1885年に帰するとリエージュ大学の講師となり、翌年ヘント大学教授に就任する。第一次世界大戦ベルギーの占領という中断期間はあったものの、以降1931年までこの大学を離れることはなかった。

彼の専門は中世都市研究で、またベルギーの体系的な一史を作り上げたという功績はあるものの、何はともあれ「ピレンヌ・テーゼ」である。これは当時古代世界が崩壊し中世社会が作り上げられた画期を4~5世紀のゲルマン民族の大移動にめていたのに対し、ピレンヌは地中海イスラームが進出した7~8世紀としたのである。

どちらかといえばヨーロッパではあまり受け入れられず、アメリカ日本の学界で席巻したそのは、彼の中世都市成立論などもそうだが、今となっては古めかしいものとなっている。しかしその「全体史」的な視点アナール学派の形成に一役買い、現在歴史学に与えたは大きいものとなっているのである。

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