イスタンブル(Istanbulとは、トルコ共和国北西部にある同国最大の都市である。首都ではない。現地語に忠実に従って表記するとイスタンブルとなり、イスタンブールという名称は日本語訛りである。
概要
都市圏人口規模でいえばヨーロッパではモスクワに次ぐ第二の都市。トルコ国内では首都アンカラをしのぎ、最大の人口および経済規模を誇り、国の社会、経済、文化の中心都市として繁栄している。
歴史
イスタンブルという都市は、地中海沿岸地域の歴史において常に中心的な役割を担っていた。ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国という3つの世界帝国の帝都として繁栄していたことがその証左である。なお各帝国の詳細についてはそれぞれの当該記事を参照していただきたい。
古代ギリシア・ローマ帝国期
この街はギリシアによる植民都市から始まった。当初の名をビザンティオンといい、東ローマ帝国がビザンツ帝国と称される所以となっている。初期はしがない一植民市に過ぎず、帝都としての繁栄を謳歌するようになるのは313年のコンスタンティヌス帝によるローマ帝国遷都以降となる。コンスタンティノープルという名称はこの皇帝の名に由来するものである。しかしこの80年余り後にローマ帝国は広すぎる領土を維持できずに2つに分裂してしまう。
ビザンツ帝国期
395年・ローマの東西分裂後は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の都として帝都の地位を保つ。7世紀のイスラーム成立後は度々彼らによる簒奪の脅威に晒されたが、海に囲まれた地形、陸側の堅牢な城壁、秘密兵器「ギリシアの炎」により退け続けた。13世紀に一時期、同じキリスト教徒としては仲間であるはずの十字軍に占領されたが・・・。
4世紀以降長くキリスト教国家の大国として君臨してきたビザンツ帝国だが、イスラーム勢力による圧迫は止むことなく、1453年に遂にオスマン帝国に防衛線を破られ、帝都を占領されて滅亡した。これによりキリスト教国家の都市としては終止符を打つこととなった。
オスマン帝国期
ビザンツの帝都陥落以降はイスラーム世界の盟主たるオスマン帝国の帝都として、隆盛を誇ることとなる。オスマン帝国の領土拡張欲はすさまじく、ハプスブルク家の根拠地たるウィーンを包囲するに至るなど、ヨーロッパを恐怖のどん底に突き落とした。現在の欧州諸国がトルコの存在を恐れる理由の一端がこれである。
18世紀以降は次第にオスマン帝国の領土は縮小し、20世紀に入るころには完全に力関係が入れ替わった欧州諸国にかつて得た領土の大半を蚕食されてしまっていた。そして第一次世界大戦によって瀕死状態だった帝国はとどめを刺されてしまう。戦勝国はかつて奪われたキリスト教の中心地たるコンスタンティノープルを取り戻さんとばかりに(主としてギリシアが)攻め込んできたが、祖国分裂の危機を感じて立ち上がった英雄ムスタファ・ケマルによって撃退され、帝都は守られた。だがしかし、もはや帝国としての面目は維持できる状態には無く、皇帝および皇族は追放され、行政は新たに誕生したアンカラ新政府が担うこととなり、長らく帝都として君臨してきた地位は1924年に返上することとなった。
現在
皇帝の所在地としての地位は失ったものの、約1600年もの間、3帝国の都として存在してきた街に残された遺産は、今日では世界中から観光客を惹き付けてやまないこの街の大きな魅力となっている。また、トルコ最大の都市として、またイスラーム地域の経済、文化、社会の中心としての地位は帝政崩壊後も揺らぐことなく存在し続けている。
なお、日本語書籍では多くがビザンツ帝国滅亡時点を以て都市名をイスタンブルと表記するようになるが、実際にその名を使うようになるのは20世紀に入って共和制に移行してからである。オスマン帝国の帝都としての自称は「コスタンティニエ」であり、コンスタンティノープルという英語名がオスマン帝国滅亡後まで使われていた。
地理
イスタンブル県はヨーロッパとアジアにまたがる世界唯一の自治体である。県およびイスタンブル市街の中央をボスポラス海峡が走り、大陸を割る形となっている。ボスポラス海峡を通じて北は黒海、南はマルマラ海経由で地中海に接続している。特にほとんどの黒海沿岸諸国にとってはこのルートが唯一の他海域に接続する海路であるために、大型船舶が列を成してひっきりなしに通行している。
陸側に目を向けると、ヨーロッパ側の旧市街、新市街と、アジア側のカドゥキョイ地区に大まかに分けられる。
- 旧市街
帝国の遺産が数多く残されている地区であり、観光の目玉となっている。
主要な名所・地区・・・スルタンアフメト地区(ブルーモスク、アヤソフィア、グランバザールなど)、国鉄スィルケジ駅、エミノニュ桟橋 - 新市街
ビジネスエリアや洒落たショッピングスポットがある。
主要な名所・地区・・・イスティクラール通り、軍事博物館、ガラタサライ、ベシクタシュ、レヴェント(ビジネス街) - アジア側
カドゥキョイはどちらかというと下町的な趣のエリア。
主要な名所・地区・・・国鉄ハイダルパシャ駅、フェネルバフチェ
交通
航空路
ヨーロッパ側にあるアタテュルク国際空港(IST)がイスタンブル及びトルコの玄関口となる。2013年2月現在で日本へは成田国際空港に毎日1往復、関西国際空港に週5往復の直行便が設定されている。共にトルコ航空が運航しており、ANAとのコードシェア便。他にもヨーロッパや中東から様々な航空会社が飛ばしているので、経由便の選択肢も多い。
アジア側にはサビハ・ギョクチェン空港(SAW)がある。ヨーロッパや中東発の航空機の中にはこちらに着く便もある。
海を越える交通路
海をまたぐ街の特性上、海上交通路が非常に発達している一方で陸上交通路に対しては制約が大きく、懸案となっている。
海越えの水上交通は市民の足となっており、船舶がバス感覚で利用されている。また沿岸主要都市に向かう船舶も数多く往来している。
自動車用の道路橋は二か所ある(ボスポラス大橋、ファーティフ・スルタン・メフメト大橋)が、交通需要に耐え切れず渋滞が常態化しており、交通のボトルネックとなっている。海を越えて広がる街と大橋の風景は、イスタンブルの今を象徴するシンボル的存在である。
海峡横断鉄道はオスマン朝時代より悲願であった、ボスポラス海峡下を通過するマルマライ・トンネルが日本のゼネコンにより建設された。このトンネルを通過する路線は2013年10月に開業し、祝賀式典にはエルドアン首相とともに日本の安倍晋三内閣総理大臣が招待された。
市内交通
空港から市街地へ向かうには地下鉄→路面電車へ乗継かハワシュというリムジンバスを利用する。
地下に大抵何か(遺跡とか人骨とか)が埋まっているという特殊な事情を抱えており、交通網の整備が遅れており、交通インフラは都市の規模に比べると貧弱と言わざるを得ない。
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関連項目
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