イタルトランスとは、イタリアの食品業界向け物流企業である。
MotoGPのMoto2クラスに参戦する『イタルトランス・レーシング』のスポンサーとして知られる。
物流企業としての概要
食品企業の物流業務を代行する
イタルトランスは物流企業として食品企業とスーパーマーケットの橋渡し役を担っている。
「食品企業が物流部門を持ち、自社トラックを走らせて食品をスーパーマーケットに届ける」という形態もありうるが、それを完璧に行うことのできる企業は数少ない。トラックを用意するのにお金がかかるし、商品を傷めずに配送するのにもコツが必要である。
イタルトランスは食品企業に対して「貴社の物流事業を代行いたします。商品の梱包、温度管理、配送をしっかり行います」と売り込み、食品企業に替わって梱包、配送を行う会社である。
こちらのページにはイタルトランスの顧客がずらっと並んでいる。コカコーラ、ハイネケンといった日本人にもなじみのある名前も見られる。cameoやLoackerやPATAといった菓子製造企業、ItalmillやRobertoといったパン製造企業、GalbaniやLatteria SoresinaやZanettiといった乳製品製造企業のような食品製造企業が主要な取引先となっている。
イタルトランスの仕事というのは食品企業とスーパーマーケットの仲介役で、宅配便のような末端消費者向けのサービスはこれまでほとんど行っていない。ゆえにイタルトランスを「イタリア版佐川急便」「イタリア版ヤマト運輸」と考えるのは適切でない。
温度管理と衛生管理を週7日行う
食品を傷めずに運搬するにはそれ相応の工夫をしなければならない。
イタルトランスは巨大な倉庫を持っており、そこでは温度が最適に保たれている。
またイタルトランスの使用するトラックも温度管理が完璧に行われる車両となっている。そうした温度管理は人工衛星を使って制御するのだという。
さらに驚くべきことに、車両の温度調節機能が故障したときのための移動式修理工場がある。つまり、車両を迅速に修理するための備品が揃っているトラックが走っているのである。
温度を管理するだけではダメで、倉庫内や車両内は常に清潔にせねばならない。倉庫の清掃も国際的な食品基準にのっとって完璧に行われ、車両の清掃も1日1度きっちり行われる。
こうした作業は週7日行われる。スーパーマーケットは土日も営業するため、当然イタルトランスも土日が仕事であり、定休日というものが存在しない。
イタリア北部が本拠地
イタルトランスの主な守備範囲は、北イタリアである。ポー川流域のパダノ=ヴェネタ平野を中心とするのが北イタリアで、ここはイタリア国内で最も経済的に繁栄している。こちらのページを見ると、主な拠点が北イタリアに集中していることがよく分かる。
イタルトランス発祥の地は北イタリアの大都市ミラノの青果市場である。
本社はロンバルディア州ベルガモ県のカルチナーテにある。
ちょっと本社を衛星写真で見てみよう・・・実に敷地が広い。トラックがずらっと並んでいる。
画像検索すると、巨大倉庫の画像が次々とヒットする。
公式動画
Youtubeに公式動画がアップロードされている。荘厳な音楽をバックにイタルトランスを紹介している。
広大な倉庫が映っている。ただ広大なだけでなく、上にもスペースが広がっていて圧巻。
大活躍するフォークリフト。高いところまで爪が動いていく。
マイナス25度に保たれた極寒の冷凍庫。
トラックは大事な商売道具なのできっちり整備する。
機械を使い、トラックを完璧に清掃する。
人工衛星などを使い、配送状況をしっかり管理している。
順調に成長
生真面目な仕事っぷりが功を奏し、イタルトランスの業績は堅調に推移している。
こちらのページを見ると、保有トラックの台数がじわじわと増加していることが分かる。2018年の時点で800台のトラックを保有している。
イタルトランス・レーシング
イタルトランスは二輪レースチームを持っている。2010年から2022年現在までMotoGPのmoto2クラスに参戦している。
戦績
なかなかの強豪チームという印象があり、しばしばライダーを表彰台に送り込む。
2013年には中上貴晶が4戦連続2着の好成績を残している。2020年にはエネア・バスティアニーニがチャンピオンを獲得した。
# | ライダー | 国籍 | 成績 | 順位 | |
2010年 | 44 | ロベルト・ロルフォ | 優勝1回、3位1回 | 14位 | |
39 | ロベルティアーノ・ピエトリ | ポイント獲得1回 | 40位 | ||
2011年 | 71 | クラウディオ・コルティ | シングルフィニッシュ1回 | 25位 | |
39 | ロベルティアーノ・ピエトリ | ポイント獲得果たせず | 33位 | ||
2012年 | 71 | クラウディオ・コルティ | 2位1回、シーズン途中解雇 | 14位 | |
30 | 中上貴晶 | シングルフィニッシュ5回 | 15位 | ||
24 | トニ・エリアス | コルティの代役で後半4戦出場 | 16位 | ||
2013年 | 30 | 中上貴晶 | 2位4回、3位1回 | 8位 | |
60 | フリアン・シモン | シングルフィニッシュ5回 | 13位 | ||
2014年 | 21 | フランコ・モルビデリ | シングルフィニッシュ6回 | 11位 | |
60 | フリアン・シモン | シングルフィニッシュ5回 | 17位 | ||
2015年 | 21 | フランコ・モルビデリ | 3位1回 | 10位 | |
36 | ミカ・カリオ | 4位1回 シーズン途中解雇 | 15位 | ||
57 | エドガー・ポンス | カリオの代役で後半5戦出場 | 29位 | ||
2016年 | 54 | マティア・パシーニ | 4位2回 | 11位 | |
2017年 | 54 | マティア・パシーニ | 優勝1回、2位2回、4位3回 | 6位 | |
5 | アンドレア・ロカテリ | ポイント獲得3回 | 28位 | ||
2018年 | 54 | マティア・パシーニ | 優勝1回、4位5回 | 9位 | |
5 | アンドレア・ロカテリ | シングルフィニッシュ3回 | 15位 | ||
2019年 | 33 | エネア・バスティアニーニ | シングルフィニッシュ9回、3位1回 | 10位 | |
5 | アンドレア・ロカテリ | シングルフィニッシュ1回 | 18位 | ||
2020年 | 33 | エネア・バスティアニーニ | 3勝してチャンピオン獲得 | 1位 | |
19 | ロレンツォ・ダラポルタ | ポイント獲得2回 | 27位 | ||
2021年 | 16 | ジョー・ロバーツ | シングルフィニッシュ4回、4位2回 | 13位 | |
19 | ロレンツォ・ダラポルタ | ポイント獲得3回 | 27位 | ||
2022年 | 16 | ジョー・ロバーツ | |||
19 | ロレンツォ・ダラポルタ |
2020年シーズンはコロナ禍が吹き荒れる中で行われた異様なシーズンで、レース中止が相次ぎ、全15戦で行われた。
その中でVR46のルカ・マリーニが快進撃を続け、第9戦カタルーニャGPを終えた時点でランキング首位、イタルトランス所属のエネア・バスティアニーニが20ポイント少ない2位、VR46のマルコ・ベッツェッキが36ポイント少ない3位、MarcVDSのサム・ローズが47ポイント少ない4位だった。
ところが第10戦フランスGPでルカ・マリーニがLa Chapelle(6コーナー)にてとんでもないハイサイド転倒をしてしまう(動画)。これで左足首を痛めてマシンのフレームも曲がり(記事)、この後の数戦で成績を落としてしまった。
第11戦アラゴンGPでずっと先頭を引っ張っていたのはマルコ・ベッツェッキだった。そのままゴールインすれば彼がランキング首位に立っていた。しかし残り2周の2コーナーで単独の転倒を喫してしまい(動画)、レース後は頭を抱えてひどく落ち込んでいた。そして続く第12戦テルエルGPでも転倒し(動画)、チャンピオン争いから大きく後退してしまった。
第10戦フランスGPから第12戦テルエルGPを3連勝したのはサム・ローズで、第12戦テルエルGPを終えた時点でランキング首位に躍り出た。しかし第13戦ヨーロッパGPで2位走行中に転倒し(動画)、第14戦バレンシアGPのFP3で大転倒して右手首を大きく痛めた(動画)。これで大きく調子を落としてしまった。
エネア・バスティアニーニは、大きな転倒を喫することもなく順調にポイントを積み重ね、最終戦第15戦ポルトガルGPでも5位に入り、見事にチャンピオンを獲得した。最終戦の様子はMarcVDSの記事の『戦績』の項目も参照のこと。
ドルナによって2020年チャンピオン動画が作られた(動画)。最終戦恒例のチャンピオン撮影会やFIMの年間表彰式にも呼ばれている(動画1、動画2)。全員マスクをしていて、いかにもコロナ禍真っ最中ということを感じさせる。
名物クルーチーフを引き抜いてくる
イタルトランスは名高いクルーチーフを引っ張ってくる事でも有名である。アントニオ・ヒメネス(グレッシーニレーシングに所属してトニ・エリアスや中野真矢を担当 2015年加入)、アリージ・デガネッロ(グレッシーニレーシングに所属してマルコ・シモンチェリを担当 2015年加入)、ジョヴァンニ・サンディ(マックス・ビアッジ、原田哲也などを担当 2016年加入)、といった大ベテランを次々引き抜いてきた。
この動画でマティア・パシーニの後ろにいる作業中の白髪お爺ちゃんがジョヴァンニ・サンディである。ジョヴァンニ・サンディは傘持ちを務めるのが好きで、この動画やこの動画でも傘持ちしている。
2018年アルゼンチンGPではイタルトランス所属のマティア・パシーニが優勝したのだが、その時ジョヴァンニ・サンディはマティアを出迎えている(動画)。そして表彰式に参加していて、スパークリングワインをぶっかけられる前に小走りで退散している(画像)。
チーム監督
2010年のチーム初年度からチーム監督を務めていたのがルイージ・パンセラである。すくなくとも2016年頃に至るまでチーム監督を務めていた。この写真の右の人。ライダーやメカニックの勧誘を行うのが仕事である。
2020年10月頃にはジョヴァンニ・サンディがチーム監督に昇進していたようで、ジョー・ロバーツとイタルトランスが契約を済ませた後の発表において代表格として登場している(記事)。
スペシャルカラーで走らない
イタルトランスは、イタリアのチームにしては珍しく、スペシャルカラーでレースに臨むことが少ない。
イタルトランスの会社カラー(青、水色、白)をしっかり世間にアピールすることを優先していて、
どのレースでも青、水色、白のカラーリングでレースする。
唯一の例外は2013年日本GPである。この年に大活躍していた中上貴晶のため、チームがわざわざ日本国旗を意識したスペシャルカラーを用意してくれた(画像1、画像2)。カタカナの字体でちょっと笑ってしまう。
女性メカニック?
2016年頃には、イタルトランス・レーシングの服を着た女性メカニックらしき人の姿があった(画像1、画像2、画像3、画像4、画像5)。
この人はイレーネ・サデリーニ(Irene Saderini)と言い、女性テレビレポーターである。Twitter、Instagram、Facebookのアカウントがある。テレビ番組の一環として、イタルトランス・レーシングのメカニックを職場体験したということらしい。
せっかくなのでイレーネ・サデリーニのことを紹介しておきたい。1985年頃、イタリア北部の南チロルで生まれた。ガルダ湖で育ったという。ANSA通信というイタリアの通信社に所属し、アフガニスタンの首都カブールやアルメニア共和国など戦争まっただ中の紛争地域に駐在した。いわば戦争特派員で、かなり根性がある。2013年頃まで、お堅い感じのジャーナリストで、ハフィントンポストに寄稿もしている(記事)。
2014年頃、La Repubblica.it という有力サイトの二輪ジャーナリストが負傷して、席が空いた。そこでイレーネに「代わりを務めないか」と声がかかった。イレーネは「他に良い仕事もないし・・・」という消極的な理由でOKの返事を出した。それからはMotoGPのことを理解しようと努め、できる限りパドックに出向き、取材をした。そうしているうちにSKY(イタリアのケーブルテレビ局)のテレビリポーターに抜擢された。
2014年から2016年までMotoGP担当で、2017年からはスーパーバイクの担当に移った。
かつてダニロ・ペトルッチと付き合っていて、画像検索すると画像が多くヒットする。
主要人物
イタルトランスは1985年に創業した。創業当時の保有トラックはたったの1台で、
北イタリアの大都市ミラノの青果市場を走り回っていた。
創業当時から今に至るまでイタルトランスの屋台骨を支えているのが、ベリーナ兄弟である。
ベリーナ兄弟の片割れ。
この画像でマティア・パシーニと握手している。この画像ではアンドレア・ロカテリと握手している。
ベリーナ兄弟のもう片方。
この動画でインタビューに答えている。このときは直々にダカールラリーに参加した。
ダカール・ラリーとは、南米大陸をクルマで横断する競技で、とても過酷であることで知られている。
相当のモータースポーツ好きであるらしい。
クラウディオ・ベリーナの奥さん。一部のMotoGPファンには有名である。
たまにMotoGPにやってくる。
2017年最終戦バレンシアGPにやってきて、中上貴晶の傘持ちをしていた。
2018年最終戦バレンシアGPにやってきて、イタルトランス・レーシングのピットにいた。
いくつか画像がある。画像1、画像2
中上貴晶のSNSにしばしば登場する。画像1、画像2
2013年の日テレのテレビ放送では「ラウラさんはイタルトランスの副社長」と紹介されていた。
2016年の記事では「イタルトランスのAmministratore delegato(英語のCEOに相当)」と紹介され
本人のものと思われるこのSNSでは「Dirigente(管理者)」と短い言葉が書いてある。
まあ要するに、お偉いさんだということに変わりはない。
イタルトランスが同業他社を買収したという記事に代表者として名前が出てくる。記事1、記事2
イタルトランス紹介動画で、ジェルマーノ、クラウディオ、ラウラの3人が話し合いをしているシーンが
映し出されている。
この3人がイタルトランスの中枢であり、経営陣だということになる。
イタルトランス・レーシングのライダー選びを始めとして、あらゆることが3人の合議によって
決められる。こちらの記事でも、3人の名前がライダーの口から出てくる。
豪邸
2012~2013年に中上貴晶がイタルトランス・レーシングで走っていたとき、
なんとイタルトランス副社長ラウラ・ベルトゥレッシさんの家に居候させてもらっていた。
そのお宅を訪問してみようという企画が日テレG+で立ち上がり、2013年サンマリノGPに
現地取材していた福田充徳さんと坂田和人さんが訪ねていくことになった。
ラウラ邸はベルガモにあった。イタルトランス本社はカルチナーテにあるので、そのすぐそばである。
ベルガモの中でも高い場所にあり、乗用車でかなり走ったあと、結構歩いて上っていったという。
すると二階建ての建物が見えてきた。(地下室があるので実際は三階建てとなる)
玄関などはわりと簡素な構えで、扉のデザインもさほど奇抜ではなく、気圧される雰囲気ではない。
扉を開けて入ってみると、部屋が広い。リビングがとにかく広い。ソファが5個ほどある。
何か現代芸術的なセンスの絵画が描かれた扉をガラガラッと横に動かすと、横幅1mほどのテレビがある。
だいたい45型か46型ほどのサイズ。
ちょっと進むと、エレベータがある。内装を真っ赤にこしらえてあって、天井は鏡張りで、
まるで高級キャバクラのよう。
外に出るとプールがあり、カビ一つ生えていない。業者が定期的にメンテナンスしているのだろう。
プールの横にはトランポリンがあり、これはまだ理解できるのだが、そのさらに近くには
仏像の首がデーンと置いてあった。その首の大きさは1mぐらいだろうか。
緑色で目を閉じた仏像の首が、どういう経緯か分からないがイタリアまで運ばれてきて、鎮座している。
プールの近くには小屋があり、なんとラクダが飼われている。
「映像には映っていないけど、孔雀も飼われていた」と坂田さんが証言している。
家の中には仮面舞踏会用の仮面がいっぱい飾ってある壁があった。
仮面舞踏会というのは、正体を知られたくない立場の人がお忍びで参加するため仮面を被る舞踏会だが、
それ用の仮面がある。デーモン小暮閣下みたいな仮面がある。
家の中に1mぐらいの巨大な亀の甲羅があった。
畳2枚分ぐらいの豹だか虎だかの毛皮絨毯が敷いてあった。それがそこら中にあったという。
ラウラさんは珍しいものを集めるのが好きらしい。
外にはSLSやマセラッティが置いてあった。
SLSはメルセデス・ベンツのAMG部門が作った高級車で、こういうクルマ。お値段3,000万円ほど。
マセラッティはフィアット傘下のスポーツカーメーカーで、こういうクルマ。お値段は1,500万円ほど。
トイレに入ってみると部屋のような広さになっている。
ワインを貯蔵している様子を見せてもらうと、部屋そのものがワインセラーという感じ。
普通のワインセラーはこんな感じの棚だが、ラウラ邸のワインセラーは棚ではなく部屋である。
そのワインセラーの部屋には、またデカいテーブルがある。
プロシュート(Prosciutto。豚のもも肉のハムのこと。こういうハム)を切るための道具であるらしく、
ちょっと古めかしい感じのデカい器具である。
・・・・・・とまあ、こんな感じの豪邸だった。この豪邸にはラウラさんと旦那と娘さん、
お手伝いさん3人と中上貴晶の合計7人で住んでいた。
2013年を限りに中上貴晶はイタルトランス・レーシングとの契約が終わり、
2014年はチームアジアに移籍することになった。
このため、中上も「さすがに退出しなきゃいけないな」と思い、部屋を片付け荷物をまとめておいた。
2013年最終戦バレンシアGPを終えてラウラ邸に戻ると、ラウラさんに「話がある」と呼ばれた。
行ってみるとラウラさんが「来年はどこに住むの」と尋ねてくる。
さあ・・・まだ決まっていません、スペインかイタリアか、そのどこかでしょうと答えると、
なんとラウラさんが「ウチに住みなさい」と言ってきた。何という厚恩であろうか。
結局2014年も、チームアジア所属だというのにラウラ邸に住まわせてもらうことになった。
2014年の中上貴晶は2013年とはうって変わって絶不調に陥り、ポイント獲得が精一杯になった。
このため、環境を変えることを決意、2014年を限りにラウラ邸をお邪魔することにして、
中上はバルセロナに引っ越していった。バルセロナにはHRCの拠点もあり、CARサン・クガという
立派なトレーニング施設もあるので、それゆえ引っ越し先に選ばれた。2018年現在も住んでいる。
イタルトランス・レーシング以外のレース出資
中上貴晶の個人スポンサー
2013年12月31日をもってイタルトランス・レーシングと中上貴晶の契約が満了し、
中上はチームアジアへ移籍していった。
普通ならこれで手切れとなるのだが、なんとイタルトランスは中上の個人スポンサーになってくれた。
2018年現在もスポンサー関係が続いており、中上のレーススーツの左鎖骨や、
ヘルメットの左右や、ヘルメットを脱いだときに被るキャップにITALTRANSの青い文字が見える。
2018年鈴鹿8耐の時もイタルトランスの名前が入ったヘルメットを被っている。
チームアジアのスポンサー
2014年1月1日から中上貴晶がチームアジアに移籍するのに伴い、なんとイタルトランスは
チームアジアのスポンサーになってくれた。
2014年、2015年、2016年、2017年、2018年と、マシンの片隅にITALTRANSの文字が見える。
それにしても・・・イタルトランスというのはイタリア国内専門の企業で、一切海外進出していない。
隣国フランスにすら拠点を構えていない。もちろん、アジアへの進出など全くしていない。
このため、チームアジアのスポンサーになるメリットなど皆無のはずなのだが、
信じがたいことに温かい支援をしてくれている。
ダカール・ラリーに参加
ちょくちょくダカール・ラリーに参加している。
先述のように、経営陣の一角であるクラウディオ・ベリーナがモータースポーツ大好きで、
ダカール・ラリーで直々にハンドルを握ってトラックを運転している。
2011年大会・・・画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7、画像8
2012年大会・・・画像1、画像2
2013年大会・・・画像1
2015年大会・・・画像1、画像2、画像3
最近は本業が忙しいのか、ダカール・ラリーの画像が上がっていない。
モンツァ・ラリー・ショーに参加
たまにモンツァ・ラリー・ショーに参加している。
これは毎年11月頃にイタリア・ミラノ郊外のモンツァサーキットで行われるショーで、
イタルトランスも車を出している。
2011年大会・・・画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
2017年大会・・・画像1、画像2
全日本に参加
イタルトランスは全日本にジュニア・チームを持っている。
イタルトランス・レーシングのSNSを見ていると、唐突に日本人少年ライダーの画像が出てくる。
例えば、こんな画像がいきなり出てくる。イタルトランスに加えてPATA(イタリアの菓子企業)の
ロゴまで入っていて、MotoGPのイタルトランス・レーシングと全く同じカラーリング。
驚いて調べてみると、全日本のチームであるらしいことが分かった。画像1、画像2
なんと2015年から支援している。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
さらには2013年からポケバイだかミニバイだかのレースを支援している。
画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
「HO VINTO!」はイタリア語で「僕は勝った!」という意味。
「sono salito sul podio」はイタリア語で「僕は表彰台に上った」という意味。
それにしても・・・・・・イタルトランスは純然たるイタリア国内向け企業で、一切海外進出しておらず、
全日本にチームを持つメリットが絶無のはずなのだが、なんとまあ支援の手を差し伸べてくれている。
一体全体、この優しさはどういうことなのだろう。
ちなみにイタリア人というのは「きちっと規律を守る」ということを少し苦手にしている。
イタリア人の遅刻癖は有名で、「18時に会おう」と約束したら18時に家を出る、というのが
ごく普通のイタリア人の感覚である。一事が万事、全てその調子なのがイタリアである。
「イタリア人 遅刻」で検索するとイタリアのお国柄がよく分かるだろう。
イタリアの中にも生真面目な人がいて、そういうイタリアの風潮を苦々しく思っている。
そういう人が日本人社会に接すると激しく感動し、一気に日本人びいきになるらしい。
イタルトランスの重役たちも、イタルトランスの社風から感じられるように、まことに生真面目である。
イタルトランスが日本人びいきになっているのはそうした背景があるのではないだろうか。
関連リンク
- イタルトランス・レーシング公式サイト
- イタルトランス・レーシング公式Facebook
- イタルトランス・レーシング公式Instagram
- イタルトランス・レーシング公式Twitter(あまり更新されない)
- イタルトランス・レーシング公式Youtubeチャンネル(あまり更新されない)
関連項目
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- 0pt