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イワンレンドル
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イワン・レンドルは80年代を中心に活躍した元テニス選手である。現役時代の大半をチェコスロバキア籍で過ごしたが、キャリア晩年にアメリカ帰化した。近年ではアンディ・マレーコーチを務めたことで有名。

概要

80年代テニス界における最強選手の一人。80年代前半はジミー・コナーズビヨン・ボルグジョン・マッケンローらと争ったが、なかなか四大大会で勝てなかった。四大大会初優勝は84年の全オープン。翌年マッケンローから全に王座を奪うと約3年に渡って1位を維持している。キャリア後半はボリス・ベッカーステファン・エドベリらと争い90年代初めまでトッププレイヤーであり続けた。プレースタイルは安定感のあるストロークを武器とするベースライナーである。成績も非常に安定しており四大大会での連続準決勝進出10大会はロジャー・フェデラー更新するまで最長記録だった。最終的にランキング1位在位期間は270週に及び、こちらも引退当時の歴代記録である。ボレーはやや苦手だったようでネットプレーに分のあるウィンブルドンでは勝てなかった。彼はウィンブルドンタイトルのために自宅に芝生コートを設置した上、直前の全オープンスキップまでして備えたりもしていた。

ツアータイトル数やマッチ勝利数など積算系の数字ではコナーズに次ぐ数字を挙げている大選手なのだが、その割にはイマイチ影が薄い。最大の理由は四大大会決勝8勝11敗という勝負弱さにあると思われる。特に全オープンでは8年連続決勝進出という素晴らしい記録を持ちながら、同時に優勝が3回だけという最強選手としてはやや残念な結果に終わっている。ウィンブルドンでは2回決勝進出したが勝てなかった。特に2度の決勝の相手はオーストラリアパットキャッシュで実績的に格下の相手だったため「今度こそ」と思われたようだが、ストレートで敗れている。決勝で負け続けたため四大大会優勝前にランキング1位を経験しているが、このような選手はATP歴史上初めてだった(女子では最近増えてきている。男子では後にマルセロリオスが達成、リオスは男子一四大大会を勝てずに終わったNo1経験者となっている)。

引退後はあまり大きな動きはなかったが、近年になってアンディ・マレーコーチを務め、ウィンブルドン優勝に導いたことは特筆される。偶然なのかマレーの四大大会初優勝はレンドルと同じ5度の決勝(2012年の全オープン)だった。マレー側からは慰留されたようだが2014年になってコーチ契約は一旦解消された。自身が手に出来なかったウィンブルドンタイトルを取れたことで役割を果たしたと考えたのだろうか。その後チェコ後輩であるトマーシュ・ベルディヒからコーチ依頼されたようだが断ったらしい。2016年の全オープン後にマレーチームに再度合流するとの発表があった。レンドルと判れてからのマレーの手術のもあってかジョコビッチに全くと言っていいほど勝てなくなっているだけに、今後が期待される。マレーとの師が成功したことで、かつてのレジェンド級大選手をコーチに招聘するのが流行してきている。ベッカーノバク・ジョコビッチ、エドベリはフェデラーと、かつてレンドルと競った選手たちがコーチに就任した。また錦織コーチを務めるマイケル・チャンが全オープンで最年少優勝したときにも4回戦で対戦している。この試合はチャンが2セットダウンからアンダーサーブなども駆使した執念のプレイで大逆転したことで知られている。

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イワン・レンドル

1 ななしのよっしん
2015/01/18(日) 10:57:49 ID: YtoK69GtpP
記事作成乙
出来ればこの辺も追加してほしいです
・当時としては先進的な、強ストロー体のプレイ
ウィンブルドン勝利が欲しすぎて自宅にコートを設置
・滑り止めのおがくずをポケットに入れていた
石橋貴明のアイプレイトゥウィン!の元ネタレンドルの出演したミズノのCM
リスをよけて事故
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