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インスリン(Insulin)とは、血糖値を低下させるホルモンである。インシュリンとも。
概要
インスリンは、膵臓ランゲルハンス島のβ細胞(B細胞)から分泌されるホルモンである。アミノ酸51個からなる、分子量約5,800のペプチド。空腹時でも基礎分泌(basal:ベーサル)として一定量のインスリンが分泌されているが、摂食などで血糖(血中のグルコース濃度)が上昇すると、その濃度に依存して分泌量は上昇する。こちらは追加分泌(bolus:ボーラス)と呼ばれる。インスリンの主な生理作用は次の通り。
- 血糖降下作用 - 細胞のグルコース(ブドウ糖)の取り込みを促し、血糖を下げる。
- グリコーゲン合成促進作用 - グリコーゲンへの変換を促し、エネルギーを貯蔵する。
- 脂肪合成促進作用 - 脂肪酸やトリアシルグリセロールへの変換を促し、エネルギーを貯蔵する。
- タンパク質合成促進作用 - 生体に必要なタンパク質への変換を促す。
これらの同化作用(小さな分子から大きな分子を生成する代謝反応)は、インスリンの重要な作用である。インスリンは、ランゲルハンス島α細胞(A細胞)から分泌されるグルカゴン、δ細胞(D細胞)から分泌されるソマトスタチンなどとともに、血糖の維持・調節に関与している。
現在、インスリンそのものが枯渇することで高血糖をきたす1型糖尿病の治療や、インスリン抵抗性の増大や分泌能の低下によって高血糖をきたす2型糖尿病の治療に、ヒトインスリン製剤、インスリンアナログ製剤、インスリン分泌促進薬などが使用されている。下の「医薬品」の節で述べる。
歴史
インスリンの発見
1869年、当時まだ医学生だったドイツのパウル・ランゲルハンスが、島のように集合した細胞群が膵臓に存在することを発見した。これはのちに彼の名を冠してランゲルハンス島と名付けられるが、当時はその機能について分からなかった。
1889年、ドイツの医師オスカル・ミンコフスキーとヨーゼフ・フォン・メーリングは、別の研究のため、イヌの膵臓を摘出する実験を行ったが、その後イヌの尿に糖が多く含まれていることを発見した。これにより、膵臓と糖尿病の関係が示唆された。
1901年、アメリカの病理学者ユージン・オピーにより、膵臓ランゲルハンス島不全が糖尿病に係わることが報告された。ランゲルハンス島の具体的な役割は判明していなかったが、糖尿病にランゲルハンス島が関与していることは明らかとなった。
そして1921年、カナダの医師フレデリック・バンティングと、医学生で助手を務めたチャールズ・ベストが、膵臓から血糖を下げる物質を抽出することに成功した。単に膵臓を摘出するだけでは、膵臓で合成される種々の消化酵素によって、膵臓そのものが消化されてしまう。そこでバンティングは、膵管を縛って膵臓の一部を委縮させておくことで、摘出後の膵臓そのものの消化を抑え、目的の物質を抽出できないかと考えた。そしてスコットランド出身の医学者ジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウドを説得し、研究室を借りて実験を行うと、血糖を下げる物質の抽出を成功させた。マクラウドはそれを確認すると、すぐに研究チームを組み、生化学者のジェームス・バートラム・コリップとともにこの物質を大量に精製する方法を開発した。翌1922年には、14歳の1型糖尿病患者に投与され、血糖を下げる効果が実証された。
ランゲルハンス島より分泌され血糖を下げるこの物質は、島を意味するIslet(アイレット)より、Isletin(アイレチン)と名付けられたが、のちにラテン語で島を意味するInsula(インスーラ)より、Insulin(インスリン)と改められた。そしてインスリンの発見からわずか2年後の1923年、インスリン発見の功績により、バンティングとマクラウドの2名はノーベル生理学・医学賞を受賞した。バンティングはノーベル賞の賞金をベストと分け合い、マクラウドはコリップと分け合った。
ノーベル賞
インスリンの発見により、バンティングとマクラウドがノーベル生理学・医学賞を受賞したが、ほかにもインスリンに係わる研究でノーベル賞を受賞した研究者が存在する。
イギリスの生化学者フレデリック・サンガーは、タンパク質を構成するアミノ酸配列(一次構造)を特定する方法(サンガー法)を考案、インスリンの一次構造を決定した功績により、1958年にノーベル化学賞を受賞した。ちなみに、サンガーはDNAの塩基配列を特定する方法(ジデオキシ法)を考案したことで、1980年に2度目のノーベル化学賞を受賞している。
イギリスの生化学者ドロシー・ホジキンは、X線回折法(X線が回折する現象を利用して、結晶状の物質の構造を決定する方法)により、ペニシリンやビタミンB12の構造を決定、1964年にノーベル化学賞を受賞したが、1969年にはインスリンの構造も決定した。
アメリカの医学研究者ロサリン・ヤローは、ラジオイムノアッセイ(放射性物質を利用して、体内の微量物質の量を測定する方法)を開発、1977年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。ラジオイムノアッセイは、糖尿病患者のインスリン量の測定などに利用された。
構造
インスリンは、アミノ酸21個からなるA鎖と、アミノ酸30個からなるB鎖が、ジスルフィド結合によって結合したタンパク質である。ジスルフィド結合は、2つのチオール基(R-SH)がカップリングした結合(R-S-S-R')で、A鎖とB鎖のシステイン残基間に2つ、A鎖内のシステイン残基間に1つ存在する。以下にそのアミノ酸配列を示す。
- A鎖:H-Gly-Ile-Val-Glu-Gln-Cys-Cys-Thr-Ser-Ile-Cys-Ser-Leu-Tyr-Gln-Leu-Glu-Asn-Tyr-Cys-Asn-OH
- B鎖:H-Phe-Val-Asn-Gln-His-Leu-Cys-Gly-Ser-His-Leu-Val-Glu-Ala-Leu-Tyr-Leu-Val-Cys-Gly-Glu-Arg-Gly-Phe-Phe-Tyr-Thr-Pro-Lys-Thr-OH
インスリンの前駆体(プロインスリン)の中央部分が切り離されることで生成する。このとき切り離されたペプチドはCペプチドと呼ばれ、患者のインスリン分泌能を評価する指標となる。インスリンそのものの量で分泌能を評価しないのは、それが体内で合成されたインスリンなのか、インスリン製剤投与によるものなのか判断できないためである。また、患者がインスリンに対する抗体を獲得すると、インスリンを排除してしまうため、やはりインスリンそのものの量では分泌能を評価できない。
機序
インスリンの分泌は、血中のグルコース(ブドウ糖)の濃度と密接に関係している。膵臓ランゲルハンス島のβ細胞は、細胞表面のグルコーストランスポーター2(GLUT2)を介して、血中のグルコースを細胞内へ取り込んでいる。取り込まれたグルコースは、解糖系およびクエン酸回路を経て代謝され、アデノシン三リン酸(ATP)を生じる。グルコース濃度が上昇すると、ATPが増加し、ATP感受性K+チャネル(KATPチャネル)が阻害される。β細胞の膜電位を調節しているチャネルが阻害されたことで脱分極、膜電位の変化により電位依存性Ca2+チャネル(VDCC)が開口、細胞内にCa2+が流入する。その結果、インスリンを内包している分泌小胞が細胞膜に融合、エキソサイトーシスによってインスリンを放出する。
β細胞から分泌されたインスリンは、全身に分布し、肝臓、筋肉、脂肪細胞などの細胞表面にあるインスリン受容体(IR)に作用する。IRはチロシンキナーゼ活性をもち、インスリンが結合するとリン酸化されて活性型になる。活性化したIRはインスリン受容体基質1(IRS-1)をリン酸化し、リン酸化されたIRS-1がホスファチジルイノシトール-3-キナーゼ(PI3K)に結合し活性化する。活性化されたPI3Kは、プロテインキナーゼB(PKB)/Aktを活性化、活性化されたPKB/Aktが、グルコーストランスポーター4(GLUT4)を細胞膜へと移動させる。細胞表面に浮上したGLUT4を介して、グルコースは急速に細胞内に取り込まれる。その結果、血糖は低下する。
インスリンは、肝臓や筋肉において、グリコーゲンシンターゼを活性化、グリコーゲンの合成を促進する。また、肝臓ではアセチルCoAカルボキシラーゼなども活性化、脂肪酸合成を促進し、脂肪組織ではトリアシルグリセロール合成を促進する。筋肉ではアミノ酸の取り込みも亢進、タンパク質合成を促進する。
医薬品
インスリン製剤
糖尿病は、インスリンの作用が絶対的ないし相対的に不足することで、血糖が基準範囲を逸脱、高血糖を示す病態である。インスリンそのものが枯渇する1型糖尿病、インスリン抵抗性の増大や分泌能の低下による2型糖尿病などがある。これら糖尿病の治療に、インスリン製剤が用いられている。インスリンを注射することで、不足しているインスリンを補うというもの。とくに、インスリンの分泌が絶対的に不足している1型糖尿病において、唯一の治療法である。インスリンを投与しなければ、生体はグルコースの代わりにケトン体を利用しようとする。ケトン体の過剰合成により糖尿病性ケトアシドーシスをきたすと、昏睡状態に陥り、死亡することもある。
インスリン製剤は、以前はブタやウシ由来のインスリンが用いられていたが、ヒトのインスリンとはアミノ酸配列が数か所異なるため、長期投与すると抗体が産生されアレルギー反応を引き起こすことがある。現在は、遺伝子組換えによって完全なヒトインスリンを合成することが可能となっている。
しかし、ヒトインスリン製剤は、注射後にインスリンの作用が発現するまでタイムラグがあり、それを見越して食事の30分前に投与しなければならない。そこで、食事の直前に投与すればよい超速効型のインスリンアナログ[1]が開発され、臨床で使用されている。ただし、いずれも投与後に食事を摂る必要がある(インスリン注射後に摂食しなければ、低血糖に陥り命に係わる)。また、食事の前に注射するインスリンは食後のインスリン追加分泌(ボーラス)に相当するものだが、空腹時も含めて常に分泌されるインスリン(ベーサル)に相当する長時間作用型のインスリンアナログも開発されている。こちらは空腹時血糖のばらつきを抑えたり、睡眠中の低血糖を防いだりする目的で使用されている。
2017年8月現在、世界で使用されているインスリン製剤のほぼ全ては注射製剤である。静脈内に投与するタイプのものもあるが、皮下に注射するタイプが主流。毎日使用するものなので、簡単に使用できるようにキット化されて患者本人が自己注射できるようにした、プレフィルド(pre-filled:充填済み)タイプのものが広く使われている。また、インスリンを皮下に持続注射し続けることができる携帯型ポンプなども存在している。
アメリカでは過去に吸入式(気道に吸い込むタイプ)のインスリン製剤が販売開始されたことが2回あったが、あまり普及せず2回とも商業的に失敗して市場から撤退している。経口式(飲み薬タイプ)のインスリン製剤も開発は進められている。
インスリン分泌促進薬およびインクレチン関連薬
インスリン分泌を促す効果のある医薬品も、糖尿病の治療に用いられる。分類としては、スルホニルウレア系およびグリニド系のインスリン分泌促進薬、インクレチン関連薬(DPP-4阻害薬およびGLP-1アナログ)がそれにあたる[2]。これらはインスリン自体を補充するのではなく、患者の膵臓から分泌されるインスリンを増加させることで血糖を下げる効果を発揮する。したがって、インスリンの分泌が相対的に不足している2型糖尿病に適応。
スルホニルウレア(SU)系のインスリン分泌促進薬(グリベンクラミド、グリメピリドなど)は、膵臓ランゲルハンス島β細胞膜に存在するSU受容体に作用し、ATP感受性K+チャネルを閉口させることでインスリン分泌を促す。グリニド系の速効型インスリン分泌促進薬(ナテグリニド、ミチグリニドなど)はSU構造をもたないが、SU系と同様にSU受容体に作用し、インスリン分泌を促す。
DPP-4阻害薬(シタグリプチン、アログリプチンなど)は、インスリン分泌に関与するインクレチンを分解する酵素DPP-4(ジペプチジルペプチダーゼ-4)を阻害する。インクレチンとして、GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)やGIP(グルコース依存性インスリン分泌刺激ポリペプチド)が知られており、これらは血糖依存的に(血糖値が上昇すると)インスリン分泌を促す。GLP-1アナログ製剤(リラグルチド、エキセナチドなど)は、GLP-1受容体に作用し、血糖依存的にインスリン分泌を促す。インクレチンの作用は血糖値に依存しているため、低血糖を起こしにくい。
関連動画
関連リンク
関連項目
脚注
- *インスリンアナログとは、インスリンの類縁体を意味する。インスリンの構造の一部を置換したり、脂肪酸などを結合させたりしたもの。たとえば、超速効型のインスリンアナログの一つ、インスリンアスパルト(ノボラピッド®)は、インスリンB鎖28番目のプロリンをアスパラギン酸に置き換えたものである。
- *糖尿病の治療には、α-グルコシダーゼ阻害薬、ビグアニド系やチアゾリジン系の血糖降下薬、SGLT2阻害薬も用いられているが、本稿では割愛する。
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