インティライミとは、2002年生まれの日本の競走馬のことである。
主な勝ち鞍は'05京都新聞杯(GII)・'07朝日チャレンジC(GIII)・'07京都大賞典(GII)。
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通算成績~24戦5勝、2着3回、3着3回、着外18回 収得賞金 3億4158万6000円
概要
・・・05世代、ディープの世代です。
2005年クラシック世代の軌跡↓
ディープインパクト→クラシック三冠(しかも無敗での偉業)→7冠→顕彰馬
皐月賞2着馬 シックスセンス→故障引退
ダービー2着馬 インティライミ→故障
菊花賞2着馬 アドマイヤジャパン→故障引退
桜花賞馬 ラインクラフト→NHKマイル制覇→急死
オークス馬 シーザリオ→米オークス制覇→故障引退
秋華賞馬 エアメサイア→故障引退
最優秀ダートホース カネヒキリ→故障
そんな、ダービー2着馬のインティライミですが、名前の由来は、母名アンデスレディーから来ている。南半球にあるアンデス地方の言葉で太陽の祭りという意味。父は”日本総大将”スペシャルウィーク。クラシックを戦った同期には先述の日米オークス制覇を果たしたシーザリオがいる。初年度産駒はパッとしなかったもののこの年を境に種牡馬成績も上昇し、後の重賞馬を数多く輩出するようになった。母父ノーザンテーストはブルードメアサイアーとしても優秀な大種牡馬。
2歳-2004年
8月の小倉競馬場でデビュー、不良馬場をものともせず、新馬戦を単勝1番人気で制す。
続いて、新潟2歳ステークスに出走、姉オーバーザウォールに続いての姉弟重賞制覇が懸っていた、しかし、後方から追い上げるも、結果は6着と大敗、その後休養に入った。
3歳-2005年
休み明けのゆきやなぎ賞は道中スローペースになり、直線の瞬発力勝負に。イブキレボルシオンとの競り合いの結果、クビ差の2着に敗れた。デビュー4戦目の500万下条件戦は4角2番手から直線楽々抜け出し2着と5馬身差の圧勝。
続く京都新聞杯(GII)では、スタートでもたつき最後方からの競馬になったが、3コーナーから捲り気味に外を上がり、直線入口で先頭に立って押しきり、重賞初制覇を飾る。父スペシャルウィークが晩年で見せたような見事な追い込みだった。
そんな中、行われた東京優駿(日本ダービー) (GI)。
皐月賞で他馬を圧倒したディープインパクトの能力がずば抜けて高い分、それは更にそう感じさせるものだった。無敗での2冠達成に周りが期待する中、見事にその期待に応えたディープインパクト。しかし5馬身差を付けられてしまった、2着のインティライミは称賛に値する。前半は好位で折り合い、4コーナーで早目先頭に立ち、直線坂下までは一昨年のタップダンスシチーのジャパンカップを彷彿とさせるようなレースで「あわや」と思わせるシーンだった。もし今回のダービーにこの馬が出走していなかったら、ディープインパクトは直線で全くの独走になってしまっていた。きっとつまらないレース内容になっていたに違いない。
その後、菊花賞でディープインパクトの3冠阻止に期待され対抗とされるが、蹄を傷め、蹄葉炎寸前まで悪化。幸い、生命の危機は脱したものの、そこから大きく調子を崩し、長い低迷期に入ってしまった。
4歳-2006年
周囲の期待とは裏腹に、勝ち鞍どころか掲示板確保すらできない存在にまで落ちぶれることになる。
長期休養後の復帰戦、日経新春杯(GII)では久々の競馬に加えトップハンデの影響で3着に敗れる。
続く阪神大賞典(GII)では、ダービー以来となるディープインパクトとの対戦となったが、4秒差のブービー負け。距離が不向きだったとはいえ、力の差は歴然だった。
秋も京都大賞典(GII)、天皇賞(秋)(GI)と掲示板にすら載れずに苦しんでいたが、12月の中日新聞杯(GIII)で2着に入り、復調の兆しを見せた。
5歳-2007年
2007年は負傷した佐藤哲三の代わりに柴田善臣が手綱をとった。去年の中日新聞杯で復調気配を見せたため人気を集めたが、AJCC(GII)、中山記念(GII)とも人気に応えられず、特に中山記念では最下位であった。
佐藤哲三の故障も癒え、3ヶ月の休養を経て臨んだ金鯱賞(GII)で3着に入ると、続く宝塚記念(GI)でもコンマ9差の7着とまずまずの結果を残す。そして2007年9月8日に行われた朝日チャレンジC(GIII)で、それまでの先行策から一転、後方からレースを進め直線で大外に出すと、鋭い伸び脚を見せ豪快に差し切り、2年4ヶ月ぶりの勝利。
ディープを意識した戦法を棄て、愛馬が一番力を発揮できるものへと変えた佐藤哲騎手の判断も素晴らしかった。
さらに、京都大賞典(GII)ではポップロックやアルナスラインを下し、重賞2連勝。
この後にタップダンスシチーに続け!とばかりに、天皇賞(秋)を回避しジャパンカップ(GI)に出走したが、直線でメイショウサムソンの外に持ち出すも伸びず、10着に敗れた。
その後、有馬記念(GI)に出走、佐藤哲三は腰椎を骨折していたため、福永祐一が騎乗した。ファン投票の結果は5万769票の9位だった。終始2~3番手を好走するも、直線では伸びず、9着に敗れるという結果に終わってしまった。
6歳-2008年
6歳となった2008年大阪杯(GII)から始動、続いて金鯱賞(GII)に出走、しかし結果が出ず両レースとも7着に敗れることになる。その後の宝塚記念(GI)では単勝11番人気としながらも、終始3~4番手を走り続ける好走、しかし、これからという直線の攻防で四位騎手騎乗のアサクサキングスにぶつけられ騎手が立ち上がるほどの不利を受ける、エイシンデピュティ、メイショウサムソンの叩き合いに加わったがゴール前で力尽き、2頭に頭+首差及ばず3着に敗れた。悲願のG1タイトルにあと一歩届かなかった。
不利がなければ勝っていたのはこの馬だった、あの脚色なら間違いなく突き抜けていた・・・
佐藤哲三「自分ができることはやったんだけど…。泣きてえ!」、佐々木晶師「これからというところで不利。ジョッキーはステッキを落としていたらしい」とそれぞれコメントを残している。
レース後に放牧されたが9月に右前種子骨靱帯炎を発症していることが判明し休養。
7歳~8歳-2009~2010年
7歳になり迎えたおよそ11か月ぶりとなる復帰戦は3年連続出走の金鯱賞(GII)、レースでは終始4~5番手を進むが直線で伸びず、6着に敗れた。
ひと叩きして迎えた宝塚記念(GI)、大逃げを打ったコスモバルクに対して、好位から徐々に差を詰めるが、3角でつまずいてバランスを崩してしまった、さらに4角で再びつまずいて完全にバランスを崩してしまう、コスモバルクを交わし、先頭一団のまま直線を迎えるが、それが原因で直線で失速し12着と大敗を期してしまった。以後は衰えからか1度も掲示板に載ることができずに、2010年の小倉大賞典15着の後屈腱炎が判明し引退。
引退後
引退後は乗馬となり、慶應義塾大学馬術部に移動した。そこでは、新たなライバル早稲田大学と覇を競い、専用のTwitterまで作ってもらって近況が報告されていた。その様子は慶應大学のYouTubeチャンネルでも見ることができる。また、やまさき拓味『新・優駿たちの蹄跡』にも描かれた。
2013年2月を以て、「乗馬としてのさらなる成長のため」故郷のノーザンホースパークへ移動。2019年頃には乗馬を引退しており、現在は当歳馬を引率するリードホースを務めている。
なお、多少馬産に詳しい人は「なんで牡馬がリードホース?」と思うかも知れないが、フサイチホウオーの成功によって引退馬の再就職先として牡馬の起用が始まったからである。詳細は当該馬の記事を参照。
血統表
スペシャルウィーク 1995 黒鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
キャンペンガール 1987 鹿毛 |
マルゼンスキー | Nijinsky II | |
*シル | |||
レディーシラオキ | *セントクレスピン | ||
ミスアシヤガワ | |||
アンデスレディー 1986 栗毛 FNo.19 |
*ノーザンテースト 1971 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Lady Victoria | Victoria Park | ||
Lady Angela | |||
ペルースポート 1972 栗毛 |
*ガーサント | Bubbles | |
Montagnana | |||
グレートターフ | Red God | ||
*レディチャッター |
クロス:Northern Dancer 3×5、Lady Angela 4×5、Almahmoud 5×5
関連動画
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関連項目
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