インディ500とは、アメリカのインディアナポリス・モーター・スピードウェイで開催されるレースイベントである。正式名称はインディアナポリス500マイルレース。
概要
アメリカ最大のモータースポーツイベントであり、世界三大レースの1つに数えられる(ほかはF1モナコGP、ル・マン24時間レース)。現在はインディカー・シリーズの1戦に組み込まれている。1911年に第1回が開催され、100年を超える歴史を持つ(第一次・第二次世界大戦による中止があるため、2016年にようやく100回に達した)。
レースは1周2.5マイル(約4km)の角を丸くした長方形状のオーバルコースを200周、計500マイル(約800km)を走行して競われる。平均時速は250km/hを超えるため、道のりにして東京から広島(815km)までを3時間15分程度で走り切る計算となる。なおこのコースを全コーナー全開で走れるのはインディカーだけである。
注目度、開催日数、賞金額、その他全てが別格。普段インディカーに興味がない人でもインディ500は観るほどのビッグイベントであるため、いつもは空白も目立つ観客席も35万人が押しかけて超満員になる。そのためインディ500の一勝はシリーズ王者と同じくらい価値があると言われている。インディ500のウィナーがチャンピオンと称されるのもそのためである。
予選結果にもポイントが与えられる上、決勝のポイントも2倍なのでチャンピオンシップ上での意味も大きい。
なおF1で使用されたインディアナポリスのインフィールドのロードコースも改修され、インディ500の前にレースが開催されるようになったが、こちらは普通のレースと同じ扱いである。
日本人ドライバーでは1991年のヒロ松下が参戦して以来、多くのドライバーが参戦しており、高木虎之介と松浦孝亮がルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。そして2017年には佐藤琢磨が日本人初となる優勝を達成している。琢磨は2020年にも日本人初のフロントロー(3番手)スタート、そして2度目の優勝を果たしている。
2020年の第104回大会は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、通常の5月から8月23日に時期を変更、さらに感染予防のため無観客開催で実施された。
開催方式
練習走行
5月の第2週の週末に、初参加するドライバーとしばらく参加していないドライバーを中心に、ルーキー・オリエンテーション・プログラムが開催される。
翌週の月曜日から金曜日までは、全ドライバーによる練習走行が行われる。特に金曜日は「ファスト・フライデー」と呼ばれ、練習走行にもかかわらず、最速タイムを出したドライバーには賞金が与えられる。
予選方式
基本的には各ドライバーが1台ずつコースインして競い合うスーパーラップ形式となる。ただし測られるのはタイムではなく、コース内での平均速度である(まあ距離が決まってるのでどっちも同じ意味になるが、伝統的にオーバルトラックでは平均速度が表示される)。アタックできる試技(アテンプト)は1回につき4周。
予選一日目
アテンプトの記録によって、1~9位、10~30位、31位以下のドライバーに振り分けられる。以前はポール・デイと呼ばれ、この日にポールポジションから9位までが決定していた。
1日目は何度でもアテンプトが行え、前のアテンプトのタイムを取り消すかどうか選択できる。取り消した方が優先的にアテンプトに参加できる。また、33位までのドライバーにはポイントが与えられる。
予選二日目
5月第3週の日曜日に行われる。セグメント1、2とファストナイン・シュートアウトの3つのセッションに分かれる。
セグメント1では一日目で10~30位だったドライバーが出走して、10~30位内でグリッドが決まる。
セグメント2では一日目で31位以下となったドライバーのグリッドを確定する。参戦が33台以下の場合は行われない。かつて予選二日目はパンプ・デイと呼ばれ、このように予選脱落者を決めるセッションが二日目のメインとなっていた。
そしてファストナイン・シュートアウトで9位からポールポジションが確定する。ファストナイン出走者にはボーナスポイントが与えられる。
カーブ・デイ
第4週の金曜日に行われる最後の練習走行。ここで決勝向けのセッティングを決めていく。
決勝
第4週(または最終週)の日曜日に決勝が行われる。翌日は戦没将兵追悼記念日(メモリアルデー)というアメリカの祝日になるため、レース前には戦没者への黙祷をはじめとするセレモニーが催され、その後にアメリカ国歌の演奏が行われる。この国歌演奏終了直後にアメリカ空軍の戦闘機や爆撃機などが上空で派手なデモフライトを行うのも恒例となっている(担当する機種、部隊は毎年違っており、2020年はコロナに立ち向かうアメリカを象徴するかのようにアメリカ空軍の有名なデモフライト部隊であるサンダーバーズが展示飛行を行った)。
またこれらセレモニーに先立ち、開催地であるインディアナ州を歌った「Back home again in Indiana」が歌われる。
マシンをホームストレート上に並べたあと(F1のようなレコノサンスラップはなく、手押しで並べる)、サーキットのオーナーであるロジャー・ペンスキーが挨拶を行い、最後に「Drivers, start your engines!」という号令をかけて、全マシンのエンジンを一斉に始動するのが2021年の時点ではここ数年の恒例となっている。
スタート形式はローリング・スタートだが、インディカー・シリーズでは、このレースを含め500マイルレースのみ3列スタートとなる(通常は2列スタート)。
他のレースでは上位3位までが表彰台に上がって表彰されるが、インディ500では優勝者しか表彰されない。2位は「最も速かった敗者」という扱いを非公式に受ける。
なおインディ500は予選・決勝の1位から33位まで賞金が与えられる他、最多リードラップ者、リードラップ記録者、最初にクラッシュした者にまで賞金がつく。
優勝者への恒例行事
優勝者は大きなボトルに入った牛乳を飲むのも恒例となっている。
1933年に優勝したルイス・メイヤーは、レース終了後に今度優勝したときには大好きなバターミルクを用意してほしいとリクエストした。そして3年後に再び優勝した際にはバターミルクをボトルごと渡され、それをゴクゴク飲んだ。それを目撃した牛乳会社が、これは宣伝になると着目し翌年からは牛乳が渡されるようになった。
しかし、1993年に優勝したエマーソン・フィッティパルディは、自身がオレンジ農園を経営していたため牛乳より先にオレンジジュースを飲んだが、そのせいで牛乳会社からの賞金を貰えなかった上に謝罪する羽目になったとか。また、1976年からはドライバーのサインの入ったキルトが贈られる。
その後チームのスタッフ達と共に、フィニッシュラインのレンガにキスをする。
レース終了後も様々なメディアを引っ張り回され、ナスダックの始業ベルを鳴らしたり、同日にデイトナで行われるNASCARのコカ・コーラ600のウィナーと会って記念撮影したりする。
日本での放送
かつては地上波で、TBS、日本テレビが中継していたが、現在は有料チャンネルGAORAがインディカー・シリーズの一環として独占生中継している。GAORAでは決勝の実況は村田晴郎が務める頻度が高く、解説は松田秀士を中心にこれまでインディ参戦経験のある日本人ドライバー(武藤英紀、松浦孝亮など)が務めている。
2013年は佐藤琢磨のロングビーチでの優勝による盛り上がりに対応し、GAORAの協力でニコニコ生放送での有料生中継が決定した。2014年以降もGAORAがニコニコ公式チャンネルを開設し有料生中継を実施している。
2017年に佐藤琢磨がインディ500で優勝した際は、アメリカのTV局でGAORAの実況席の映像が流され、その興奮ぶりが伝えられた。
2019年からは開催翌日にNHK BS1で録画放送を実施。実況は日本国内のサーキットでの場内実況等でお馴染みのピエール北川、解説はこちらもインディ参戦経験がある中野信治が務めている。
豆知識
- 予選を突破し決勝に進出するだけでも多額の賞金(現在は最下位でも20万ドル程)が出る為、賞金目当てでインディ500のみスポット参戦するケースも少なくない。松田秀士もその一人だったという。
- ビッグネームであり典型的な高速オーバルであるためインディカーの代名詞として知られるが、戦略的にはインディカーの中でもかなり特殊なオーバルである。松浦孝亮は初参戦時、「とにかく最初の10周は何もするな。ここでは今までの経験が全く通用しない」とチームに言われたという。
- とにかくスリップストリームがよく効くので、これをうまく使えるかが勝敗のカギを握る。2016年にはルーキーのアレキサンダー・ロッシがチームメイトのスリップストリームを使わせてもらいながら燃費戦略を敢行。これにより通常より1スティントを他より3~5周長くしてピット回数タイミングをずらし、ファイナルラップにはガス欠を起こしたものの惰性で走り切り見事第100回インディ500を制した。
- 4~6速をトップギアとして用い、前車に詰まったら4速、通常時は5速、追い風やスリップでスピードが伸びるときは6速を用いる。この3枚のギア比のセッティングも勝敗のカギの1つだ。
- F1等に比べれば体力をそれほど必要としないので、女性や高齢ドライバーも参戦する。大事なのは恐怖に打ち勝つ精神力、そして経験や技術力。
- 高速でマシンが不安定になるので、マシンが宙を舞うような危険なクラッシュも多発するが、2003年以降死者は出ていない。
- 武藤英紀は増量に失敗したため、ゴム紐の部分に鉛を入れた「鉛のパンツ」を履いてマシンに積ませられるバラスト量を誤魔化した事があるという。ちなみにこのパンツは当時チームメイトだったマルコ・アンドレッティも使わせてもらったとか。
- 一見全ターンが同じに見えるが、実は1・3コーナーと2・4コーナーで構造が微妙に異なっている。
- インに引かれている白線を踏むのはタブーとされていたが、カルロス・ムニョスが白線を踏み超える走法で好成績を収めてからは、みんなが白線を一瞬踏んで走るようになっている。
- エントリー台数が34台以上の場合、予選2日目終了時点で33位以内に入れなければ予選落ちとなるが、予選を通過したドライバー(チーム)からマシンを借りて代わりに決勝を走るという荒業がある。これはインディ500のみドライバーではなくマシンをエントリーさせる方式の為。勿論、予選を通過したマシンを所有するチームやスポンサーの同意が必要であり、同意が得られてもファンからのブーイングは覚悟する必要がある。
歴史こぼれ話
- 第1回インディ500は、ドライバーに加えて後方確認とマシン修理を行うメカニックの二人乗りであった。しかしレイ・ハルーンは「二人乗らなければならないとは規約に書いていない」と言って、運転席の前にミラーをぶらさげた。これが自動車史上初めてのバックミラーだと言われている。このミラーは運転中振動でほとんど見えなかったというが、彼はこのレースで優勝し、記念すべき第1回のチャンピオンとなった。
- オーバルコースのレイアウトは建設当初からほとんど変わっていないが、路面は変化している。最初はマカダムという細かな砕石をコールタールで固めた舗装だったが、レース中に剥がれ多数の死者を出した。そのため第1回インディ500の時までにレンガに変更した。インディアナポリスを「ブリックヤード(レンガの庭)」とも呼ぶのはその名残である。現在のインディアナポリスはアスファルト舗装だが、フィニッシュラインにだけレンガが残されている。
- 過去には欧州との交流も盛んで、1950年代にはF1世界選手権の一戦に組み込まれていた。近年は欧州から参戦するドライバーは皆無だったが、2017年にフェルナンド・アロンソがモナコGPを欠場して参戦したことで話題を集めた。
- 1964年に満タン状態のガソリンタンクが爆発して死亡事故が発生してから、燃料にメタノールを用いている。
- 2011年トップを走っていたルーキーのJR・ヒルデブランドがファイナルラップの最終コーナーでまさかのクラッシュ、残った勢いでストレート上を滑りながらフィニッシュラインに到達するも2位となり、優勝を逃す珍事が発生した。尚、この時優勝したのはスポット参戦だったダン・ウェルドンで彼の生涯最後の勝利でもあった。(彼は同年の最終戦ラスベガスで起きた多重クラッシュに巻き込まれて亡くなっている)
- レース一家として名高いアンドレッティ家が中々勝てないレースで、ライバルのアンサー家が何度も優勝しているのに対しアンドレッティ家は1969年にマリオ・アンドレッティが1勝したのみである。通称"アンドレッティ家の呪い”
関連項目
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