サー・ウィリアム・ローワン・ハミルトン(1805-1865)は19世紀アイルランドの酔いどれ数学者である。数理物理、幾何光学などで画期的な業績を上げた大天才だが、肝心の四元数で数学的評価が……お察し下さい。
凄い発見をするのに、どこか時代とズレている。そんなマンガみたいな天才を挙げるとすれば筆頭候補がこの人だろう。
ハミルトン、その人生
華麗なる神童時代
幼少時よりその才能は際立っており、五歳の時には英語の他、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語と古典語を一通りマスターしてホメロスを暗誦したと伝えられる。その後言語オタクとして育てられ、八歳でフランス語とイタリア語、十歳でサンスクリット、アラビア、ペルシャ、カルデア(古代バビロニア語)、シリア、ヒンドスタン、マレー、マラッタ、ベンガル語と何に使ったのか分からないような言葉までマスターした。近所にインド大使が訪問した際に、現地語で手紙を書いて驚かれたなんて話もあり、実際に使いこなせていたようだ。(古代バビロニア語なんか覚える辺り、ハミルトンのアレな部分も見え隠れしている感じだが)
高校生の頃に当時の最先端レベルの数学を学び始め、大学に入る頃には既に一流の研究者として将来を嘱望されていた。大天才で人物も魅力的、低迷していたイギリス数学界が期待を寄せたのも当然である。もっとも本人は詩人になりたかったらしいが、「君は自然科学をやりなさい」と冷静につっこんだのが、かの桂冠詩人ワーズワースだったりする。言語の才能と詩の才能は別ということだろう。
やがて在学中に幾何光学の理論などを完成させたハミルトンは、そのまま学部四年で天文台長への就職が決まる(そのため大学は卒業していないらしい。なにそれ)。さらに幾何光学で得た変分原理の考え方を力学へと拡大したのが、現在ハミルトン力学と呼ばれる解析力学の一種である。ハミルトン力学は量子力学や統計力学の分野で絶対になくてはならない超重要理論となっており、それゆえハミルトンの名声はむしろこちらの方で高かったりする。
余談だが、この頃の業績の一つに円錐屈折の予言というのがある。これは自らの導いた光学理論から円錐屈折という物理現象が起こることを「数学的な理論面から予言した」というもので、数年後に実際の現象として確認された。数学理論から物理現象を予言した事例はハミルトンが初めてだそうで、やはり時代を先取った天才だったことが分かる。
四元数降臨ス
古典的な複素数の考え方では、「負の数の平方根」という直感的には怪しげなやり方で虚数が導入される。これに対して、二実数の組(a,b)を考えて、組同士の四則演算を「そういうもの」として人工的に定義してやれば公理的に複素数が構成できる。ハミルトンの第一の発見である。
この考えを発展させると、(a,b,c...)といった高次元の演算体系が考えられるのではないか?そして、もしそのようなものがあれば、平面の変換を複素数の演算で表現できるように、空間内の変換を超複素数によって表現できるのではないか?これが四元数の着想を生む。
最初ハミルトンは三元数を構想していたが実は間違いで、ある時突発的に「積の可換性を外した四元数」が条件に合うことを発見する。時は1843年10月16日、ダブリンはブルーム橋のたもとのことで、伝説的な四元数発見の逸話である。「これは明日の科学全てを記述するスタンダードだ!」とハミルトンは大興奮したことであろう。以降の人生はほとんど全て四元数の研究に捧げられたといっても過言ではない。
ところがこの四元数がまさかの大コケ。ハミルトンの評価は異端理論吹聴の廉で却って下がってしまうのだ。
一応断っておくと、ハミルトンの四元数大構想は全くの的外れというわけではないのである。空間的な多元量を統一的に取り扱う、「ベクトル」の考え方を打ち出したのは他ならぬ四元数で、その世界観は確かに未来を見ていた。ベクトル解析も線形代数も四元数の強い影響を受けて発展したわけで、偉大な一歩を踏み出した天才の仕事には違いない。ただ実利的にはベクトル解析のできそこないに過ぎなかったというか、理論はこの上なく美しいが、使うとなると変態過ぎる魔性の数学を生み出してしまったのがハミルトンの不幸だった(ちなみに四元数体系は本当に美しい)。
なおハミルトン・ケイリーの定理という有名な行列の定理があるが、これは紛れもなくこのハミルトンである。ただハミルトンは別に行列に関わっておらず、四元数の対応する内容をヒントに弟子のケイリーが考えた定理というのが真相。本人にしてみれば不本意な名前の残りかたかもしれない。こんなんばっかである。
晩年、そして死後
初恋を生涯引きずっただとか、奥さんが病弱だったとかハミルトンの人生は色々あったようだ。晩年は酒漬かりになりながらそれでも四元数の可能性を追い求めた。ハミルトン信者以外誰もついていけなかったようだが……。
最後は四元数に固執する二流数学者として死ぬ。死因はアル中の果ての痛風発作。享年60歳。
ハミルトンの死後も信者達は四元数の布教に精を出すが、世の大勢はベクトル解析に向かっていった。
ところが二十世紀も後半になって全然関係ない工学分野で突如リバイバルし、今では確固たる地位を築いてしまった。君もやってるそのポリゴンゲー、多分どっかで四元数を使っている。世の中何が起こるか分からんものである。
ハミルトン、その教え
ハミルトンのオサレセンス
結構忘れられがちだが、言語オタクから始まったハミルトンはオサレなネーミングセンスの持ち主で、かっこいい用語を幾つも残している。なんとかと天才は紙一重。
- ∇
- ナブラと読む。ちなみに読みを提供したのはマクスウェル
- スカラー、ベクトル、テンソル
- ベクトルは元天文系の用語らしいが、数学的に用いたのはハミルトンが初出。スカラー、テンソルはいずれもハミルトンの造語。ただし、現在ではベクトル解析、テンソル解析にパクられて意味も全然違う。
- Quaternion
- 四元数の英語名。実はこれも造語である。
……こういう所が教祖肌なのだ、この人は。
ハミルトン卿の愉快な仲間達
- クラーク・マクスウェル
- ハミルトンの代表的信者。彼は『電気磁気論』にて電磁方程式を四元数で定式化するという暴挙に出た。ベクトルベースの物理に未来を見た点ではやはり天才に違いないが、顧客が本当に必要だったものはベクトル解析だった。
- アーサー・ケイリー
- ハミルトンの一番弟子。四元数を発展させて八元数なるものを作ったりしている。師匠と違ってまともな人。
- ウィラード・ギブスとオリヴァー・ヘヴィサイド
- マクスウェルの著作をベクトル解析に直した人達。ハミルトン涙目。
- カール・フリードリヒ・ガウス
- ここにガウスの名前が出て嫌な予感がしたアナタ。正解である。ガウスはハミルトンに先駆けること25年前に四元数を発見していたがそのまま誰にも知られることなく1900年まで塩漬けになっていた。またお前か!
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