ウィンストン・チャーチル(1874~1965)とは、大英帝国の政治家のひとりである。正式な名前はサー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル、政治家であると同時に作家としても頭角を現した稀有な人物である。また、画家としての才も持ち得ていた。
概要
植民地戦争の従軍記者(戦闘も自分で行ったことがある)から政治家に転身、第一次世界大戦においての海軍大臣、第二次世界大戦においての海軍大臣・首相を務めるなど、とにかく戦争の時代における政治家としての活動が目に付く人物である。
第一次世界大戦時に「塹壕の間の90m~180mおよび鉄条網を突破するために、農業用トラクターに防弾鋼板と機関銃を搭載した兵器が有効である」と提案したのが彼であり、このアイデアが現在まで「戦車」と呼ばれる兵器となった。この世界大戦は、現代戦と近代戦の転換点且つ、全欧州を焦土にしてしまった戦争であり、戦後チャーチルは「戦争からきらめきと魔術的な美が奪い取られてしまった。人類は自らを絶滅させることの出来る道具を手に入れた」と彼らしい言葉で評している。
この大戦でチャーチルは対オスマン帝国のガリポリ上陸作戦失敗の責任を取り海軍大臣を辞任している。敗北の原因の一つはオスマン帝国側で当時無名だったムスタファ・ケマル、後にトルコ共和国を建国し初代大統領となるケマル・アタテュルクが大活躍した事だった。
第二次世界大戦において、彼が最も衝撃を受けた時、それは戦艦プリンス・オブ・ウェールズを中核とする東洋艦隊が日本海軍航空隊(一式陸攻など)によって撃滅された時であったという。
彼は本大戦中ドイツとの戦いを強力に推し進める一方、自身が強烈な反共主義者であることもあってソ連の動きを警戒し、事前に勢力確保のための裏取引(バルカン取引)をモスクワで行い、その一方でポーランドの戦後処理についてはスターリンとまっこうから対立した。「大掃除にはもう少し時間がかかるが、ドイツはもはや負けだ。これからの問題はソ連だ。口をすっぱくして説明しても、アメリカ人にはこのことがわかってもらえないのだ」
戦後の1946年、チャーチルは「バルト海のシュテッテンからアドリア海のトリエステまで、鉄のカーテンが下ろされた」という演説を行い、スターリンはこれに対して「チャーチルは戦争屋だ、チャーチルとその友人は不思議なほどヒトラー一味に似通っている」と猛然と反論する。冷戦構造の本格化を示す歴史的な一幕となった。
以上が戦争指導者としてのチャーチルの大まかな一面。いっぽう文筆家としては1953年に「第二次世界大戦回顧録」でノーベル文学賞を受賞。このほか、英国のプロパガンダを「こんなものをプロパガンダと呼んでいるのか」と馬鹿にしていたドイツの宣伝相ゲッベルスからも「彼の文筆家としての能力は明らかだ」と戦争中に高い評価を受けているということも見逃せない。
彼と葉巻
大きい葉巻をくわえながらVサインをしている写真は特に有名であり、ロメオ・イ・フリスタ(ロミオとジュリエット)、タバカレラを愛飲していた。彼が吸い始めたのは軍事顧問としてキューバに行ったときと言われている。
ダンヒルやダビドフなどの高級たばこ店から購入しており、ドイツ軍の爆撃を食らった時にダンヒルからは「あなたの葉巻は大丈夫です」と電話が来るほどであった。
長さ178ミリ、直径18.65ミリ以上の葉巻はチャーチルサイズと呼ばれている。
くわえているだけが大半であまり煙を吸わずに半分になったら消すという吸い方であった。
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関連項目
- グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国
- スターリン(宿敵)
- ムスタファ・ケマル・アタテュルク
- 一式陸上攻撃機(チャーチルにショックを与えた航空機)
- 第二次世界大戦
- 英国面
- またまたチャーチル禿げる
- 首相
- 政治家の一覧
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