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ウイニングチケット
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93年、日本ダービー

きさえ許さない、3つのプライド突。

熱狂の2分25

最後の直線を制した、そのの名は・・・

2012年日本ダービーCMより

ウイニングチケット(Winning Ticket)とは、1990年生まれの競走馬

騎手柴田政人ダービーを勝たせたである。

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……だめ?そうだよなぁ。

な勝ち
1993年:東京優駿(GI) 弥生賞(GII)京都新聞杯(GII)

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
ウイニングチケット(ウマ娘)を参照してください。

概要

*トニービンパワフルレディマルゼンスキーという血統。
スターロツチから繋がる日本有数の名牝系であり、近サクラユタカオーサクラスターオーハードバージ重賞ズラリと並ぶ良血。マルゼンスキー世界的良血、トニービンはウイニングチケットが初年度産駒となる期待の種牡馬素晴らしい血統である。半(*サンデーサイレンス)には万年2着で有名なロイヤルタッチがいる。

生まれた時には鹿みたいな体だったというウイニングチケット。ところが素晴らしい相馬眼を持っていた伊藤雄二調教師は、生まれたばかりのウイニングチケットを見るなりシックスセンスを発動、東にとんぼ返りし、再びやってきた時にはすっかり彼を迎え入れる準備を終えていたという。伊藤調教師マックスビューティエアグルーヴらも一見てその才見抜き、その場で購入話を持ち掛けたというが、どうやって才を見抜いたのだろうか。

デビュー~3歳まで

伊藤調教師デビュー前からダービーを意識していたというウィニングチケット。伊藤調教師デビュー戦となる函館1200mの新馬戦柴田政人騎手上に迎えた。
ウイニングチケットのロッチテスコは柴田政人騎手の恩師・高松三太調教師が管理していたであり、柴田デビュー戦を勝利に導いているという縁もあった。
後述するが柴田騎手ダービーへの思いを非常に意識している騎手。当然、この時から「マサトダービーを」と考えていたのである。
ところが、不良馬場もあってデビュー戦を5着に負け、翌週折り返しの新横山典弘騎手が乗って勝利
休養明けの葉牡丹賞中山2000m)も田中騎手が乗って2着に4身差を付け圧勝。

こうなると義理堅い柴田騎手は乗りたがらない。自分が負けさせてしまい、横山騎手田中騎手が勝たせた素質。若手騎手から奪う形になるのを嫌ったのだ。柴田騎手は若い頃、アローエクスプレスクラシック直前で奪われるという経験をしていた。なので自分が同じ事をするのを極端に嫌っていたのである。

しかし、伊藤調教師柴田騎手が乗り易いようにというだけで重賞ラジオたんぱ杯3歳ステークス阪神2000mのGIII)ではなく、皐月賞を見越して当時はオープン競走だったホープフルステークスを選ぶという事までした。そこまでやられては柴田騎手も応えないわけにはいかない。ホープフルステークス上に戻り、2着に3身差を付ける圧勝。以降、翌年のクラシックをウイニングチケットと共に戦うことになる。

4歳弥生賞~皐月賞まで

休養明けの弥生賞は最後方からぶんまくって2着ナリタタイシンを2身差ぶっちぎるという手なレースっぷりで圧勝。これはすげぇ、とファンは騒然となった。

そして迎えた皐月賞。ここには初対決となるくて顔のでかいビワハヤヒデがいた。もちろん顔がでかいだけではなくて分厚い先行を持つ強敵である。ウイニングチケットは2.0倍の一番人気ビワハヤヒデは3.5倍の二番人気。三番人気ナリタタイシンは9.5倍と少し離れ、2強の様相を呈していた。

ところがこのレース、ウイニングチケットはレース前からしくイレ込んでしまう。前走よりもやや前の中段で足を溜めたが、4コーナーで先団に取り付くという強引な競馬ビワハヤヒデと並んで直線を向かえるが伸びを欠き、弥生賞で負かしたナリタタイシンに外から差されて5位入線。3位入線のガレオンが8着に降着となった為4着に敗れてしまう。

第60回東京優駿

明日への切符

夕焼けに大望を掲げ
に悲願を
だがほとんどの場合
は眠りの中に消える

それでも諦めるな、人よ
決して絶やすな、心の

挑み続ける者だけが
新たなを迎えられるのだ
闘志の尽きぬ者だけに
明日への切符は届くのだ

JRA名馬の肖像ウイニングチケットexit

皐月賞の敗戦で、もともと「ダービー大本命」と言われ続けていたウイニングチケットの評価が下がり、第60回ダービーは「BWN」対決だと言われるようになった。

この三強、だが、騎手も「騎手からの乗り代わりだったという事情があり、クラシック獲得が義務だった岡部幸雄騎手」「ダービーに勝ったら騎手を辞めても良いと言い切るほどダービーを切望していた柴田政人騎手」「若き天才としてダービージョッキー称号は是が非でも欲しい武豊騎手」というそれぞれ負けられない事情を抱えていたのである。
特に岡部騎手柴田騎手同期であり、岡部騎手は既にシンボリルドルフダービーに勝っている。年齢的にもこれがラストチャンスかもしれない柴田騎手の思いは並々ならぬものがあった。

23年前、21歳の若きホープだった柴田騎手アローエクスプレス騎手だったが、皐月賞を前にトップジョッキー加賀武見騎手に乗り替わる事を宣告された。泣きながら師匠高松調教師問い詰めるが、師匠もまた泣きながらも「悔しかったら加賀武見える騎手になれ!」と発破を掛けられて以降、柴田トップジョッキー仲間入りをする事となり、1988年には全リーディングを獲得する等活躍。

しかしダービーだけはどうしても勝てなかった。

よりも過去の恩義や人間関係を優先するあまり、ダービーに乗る機会が少なかった。
1978年アローエクスプレスと同馬主、同調教師ファンタスト過去リベンジと言わんばかりに皐月賞を制したが、ダービーでは体調不良距離の壁に泣き10着。皐月賞を勝ったミホシンザン骨折で回避。これまでダービーに18回乗ったが、1988年のコクサイトリプルと1991年イイデセゾンでそれぞれ3着が最高だった。
実はシンボリルドルフデビュー戦の騎乗に予定されていたが調子が良かった為、急遽新潟デビューする事となり、札幌戦場にしていた柴田岡部ルドルフを手放すという不運もあった。

柴田騎手にでも丁重で、記者たちにも切で気さくにインタビューに答えてくれる男であったのだが、このダービー前だけは取材を全て断ったという。

そして迎えた第60回東京優駿日本ダービー。三強は全て順調にこの日を迎えていた。1番人気はウイニングチケット。これはの実を評価した事もあるが「マサトダービーを!」と願う人々の願いが支持になって現れたのだと言われている。この年、柴田騎手は45歳。いわゆる団塊の世代であり、既に騎手としては高齢でありながら頑る姿は同世代のとなっていた。彼に希望を託す同世代のファンが祈るように見つめる中、ダービーゲートは開いた。

スタートで翌年のダービージョッキー南井克巳騎手マルチマックスが落するも、大歓の中一斉に第一コーナーへ。ウイニングチケットはビワハヤヒデマーク。それを更に後方からナリタタイシンが狙うという展開。ペースは速く、群はばらけ、どこからでも行ける状態。ビワハヤヒデはウイニングチケットのプレッシャーからかジリジリと前へ出て行く。

ペースが上がった大けやきの向こう側で、ウイニングチケットがビワハヤヒデの内に並び掛けた。これによってビワハヤヒデコース中央にを出さざるを得なくなり、内ラチ一杯を回ったウイニングチケットに一身引き離された。しかもハヤヒデの前には群が。この間「おお! やった!」とチケットの馬券を持っていたファンは叫んだ。

しかし、流石ビワハヤヒデ岡部騎手。あっさり群を抜け出すと先頭に立ちつつあったウイニングチケットに猛然と襲い掛かった。こうなると追われる方は苦しい。外によれたチケットの内からビワハヤヒデ。更に外からナリタタイシン

悲鳴と怒号が交錯する中、るウイニングチケットに並びかけ、交わし掛けるビワハヤヒデ。ああ、駄だ。もう駄だ。マサト勝利を祈るファン涙目。チケット軸の馬券を握り締める連中は「せめて2着に残ってくれ!」と叫んだ。残り1ハロンビワハヤヒデが首を伸ばし、確かに先頭に立ったかに見えた。

ところがここからなんとウイニングチケットがもう一度伸びる伸びる。どおおお!と大歓が上がる。顔も上げずにウイニングチケットの首を押し込む柴田政人騎手。その姿は正に人馬一体と言うに相応しかった。

ビワハヤヒデに半身。ナリタタイシンに更に一身の差をつけて、ウイニングチケットはゴールを駆け抜けた。「やったマサト!」思わずファンガッツポーズ。しかし柴田騎手はうつむいて勝利の味をかみ締めているようだった。柴田騎手はこれが実に19回ダービー挑戦。正に「悲願のダービー制覇」だった。

府中き渡る「マサトコール柴田騎手は「世界中のホースマンに、私が第60回日本ダービーに勝った柴田政人だと伝えたい」と胸をった。ウイニングチケットは「柴田政人に届いたダービーへの『勝利への切符』」となり、伊藤調教師は「マサトダービープレゼントできた事が嬉しい」とった。正に大団円競馬史上稀に見る、美しい物語完成であった。

その後

……じゃねーよ。

いやいや。ウイニングチケットはこれで引退したわけでもない。当時のファンが「マサトってダービー勝ったら辞めるんだって?」と心配したように、柴田騎手引退してしまったわけでもなかった。そもそも柴田騎手の元発言は「ダービーに勝ったら引退する、くらいの気持ちで乗らないとダービーには勝てない」というものであり、前半だけが独り歩きしてしまったものだった。

しかし、なんというか、あれほど美しい物語が出来上がってしまった時、登場人物のその後はどうしても付け足しのような物になってしまう。

柴田騎手はこの後、翌年4月に落事故を起こし、それが原因で引退した。その年も絶好調であったので、落ければまだまだ乗っていたと思われる。惜しまれる引退であった。が、ファンはどうしても「ダービーを獲って、安心してしまったのかな」と思ってしまったのだった。

ウイニングチケットは京都新聞杯、勝つには勝ったがゴール寸前でクビ差捕らえると言うなんか理やりな勝ち方であった。菊花賞ではビワハヤヒデに一番人気を譲り、に鍛えられてムキムキになっていたハヤヒデにちぎられるという屈辱を味わう

続けてジャパンカップに出走するも、レガシーワールドゴールを間違えたコタシャーンの前に3着。有馬記念ではトウカイテイオー奇跡復活まれて11着に沈没

翌年は復帰に手間取り、その間に柴田政人騎手は落。甥の柴田善臣騎手が乗っての復帰戦高松宮杯ナイスネイチャに離されるというあり得ない5着。おいおいダービー

オールカマーでは武豊騎手が手綱を取ってビワハヤヒデの2着に入ったが、もうなんだかハヤヒデとはレベルの違いを感じさせる敗であった。

そして秋の天皇賞ビワハヤヒデとウイニングチケットの馬連鉄板だと言われ、府中でもあるし、もが久々ライバル同士の名勝負が見られる、と思ったのだが……なんと2頭してレース中に屈腱炎を発症し、ウイニングチケットは8着、ビワハヤヒデは5着に沈んでしまう。えー……。見ていたお客さんは呆然であった。

結局その故障が原因でウイニングチケットはハヤヒデ共々引退した。「マサトの後を追うように」なんて言われたが、なんだかすぼみな感じの寂しい引退であった。

とにかく「マサトダービーを獲らせるために、から使わされた」とまで言われたくらい、ウイニングチケット=柴田政人悲願のダービー制覇の公式が出来上がってしまっているである。

だが、それ以外がまるっきりられないというのはどうなのよ、という感じもある。担当の厩務員と武豊騎手が「同級生騎手から乗り変わったには勝たせない」と燃えていたとか、柴田騎手ダービーで使っていた職人三代目鈴木高志氏が二代の死の際に作り上げただったとか、ウイニングチケットはレース後に蕁麻疹を出す繊細なだったとか、調教が嫌いだったとか、かわいい顔をしてるとか色々エピソードが多いなのであるが。

競走引退後

種牡馬入り後、トニービンの後継として期待されたのであるが、同世代のビワハヤヒデナリタタイシンよりはマシという程度でパッとしなかった。中央重賞がたった一頭というのでは……。血統は悪くないのになぁ。
ただ、系としてはオイスターチケットの子孫がなかなか勢いがあり、2021年には大阪杯を制したレイパパレを輩出していたりするので、後世にその血は残っていくだろう。

2005年種牡馬引退後は去勢されて功労となり、浦河町うらかわ優駿ビレッジAERUexitで同じくGI優勝であるタイムパラドックス(2022年死去)・スズカフェニックスと共に余生を送っている。
ビワハヤヒデとは、2010年函館競馬場でのお披露時に再会した。二頭してあの伝説ダービー思い出話でもしたのだろうか。

2020年ナリタタイシンビワハヤヒデが共に30歳で大往生したため、ウイニングチケットがBNW最後の存命となった。なお2021年8月18日レガシーワールドが亡くなって以降は、彼が存命のGI勝ちとしても最年長となっていた。

ウイニングチケットは30代を迎えたとは思えないツヤッツヤの体と若々しいダッシュAERUの来場者を迎えていた。さらに2021年ウマ娘プリティーダービーが大ヒットして引退競走馬への関心が高まった。ウイニングチケットもウマ娘化された一頭であり、その効果もあってAERUの来場者は増加。AERUも積極的にTwitter動画開し見る人を和ませていた。

2023年2月18日、疝痛のため繋養されていたうらかわ優駿ビレッジAERUで死去。享年33。直前まで柵に降り積もったを口にするなど元気な様子を見せていただけに、Twitterでは多くの悲しみのが聞かれた。

血統表

*トニービン
1983 鹿毛
*カンパラ
1976 黒鹿毛
Kalamoun *ゼダーン
Khairunissa
State Pension *オンリーフォアライ
Lorelei
Severn Bridge
1965 栗毛
Hornbeam Hyperion
Thicket
Priddy Fair Preciptic
Campanette
パワフルレディ
1981 黒鹿毛
FNo.11-c
マルゼンスキー
1974 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
*シル Buckpasser
Quill
ロッチテスコ
1975 鹿毛
*テスコボーイ Princely Gift
Suncourt
スターロツチ *ハロウエー
コロナ
競走馬の4代血統表

クロスHyperion 4×5(9.38%)、Nasrullah 5×5(9.38%)

主な産駒

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239 ななしのよっしん
2023/02/21(火) 18:00:51 ID: qMI/p+j579
ここまで長生きすれば大往生だな
シンザン記録に並ぶかえる可性はあると思ってたが逝ってしまったか
お疲れ様
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240 サーボモーター
2023/02/22(水) 02:41:15 ID: NPtyGGKVpD
AERUにオウケンブルースリーがやってきて
染んできて後は任せたという感じだったのだろうかね
タイムパラドックスが逝って1年
スズカフェニックス大丈夫なのだろうか
後1かチケゾーさんの誕生日
今年も迎えられるもんだと思ってた

長い間お疲れさまでした
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241 ななしのよっしん
2023/02/25(土) 18:06:50 ID: VrNIMOZB3v
グチケよ、ありがとう
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242 ななしのよっしん
2023/02/28(火) 22:06:16 ID: KchB8yiAtb
台に置かれたいつも使っていた無口を見るとやはりまだ寂しい気持ちになってしまう
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243 ななしのよっしん
2023/04/02(日) 15:17:26 ID: eZd1JM11mE
仕事の繁忙期も終わり、久々AERUさんとこのツイッターを覗いたら嫌な予感がして・・。遡ってみたらチケゾーお亡くなりになってたのかと。今さっき知ったばかりで、思い出とかなんとかより、今はただただ寂しい気持ちが強い。

32年という長寿な子だから、昔の競馬ゲームとかでもお染みの存在だったし、名前カッコいいから子供ながらに興味を抱いてた。あれから長い時間を経て、チケゾー大往生の当たりにすると、感慨深いものがあるしそれ以上に強い寂しさを感じる。自分の思い出ごと去っていってしまうようなそんな気分に。

チケゾー、長い間お世話になりました。あちらでも穏やかな日々を送っていただけることを。ご冥福をお祈りいたします
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244 ななしのよっしん
2023/06/30(金) 03:39:00 ID: MVBuGOVHhm
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245 ななしのよっしん
2023/09/13(水) 18:28:09 ID: CFlcUFdBRu
長生きの秘毎日ダッシュと旺盛な食欲だったのかな?
それのおかげか30越えてもかなり年なじいさんとは思えないほどツヤツヤだったし
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246 ななしのよっしん
2024/02/12(月) 05:59:59 ID: VrNIMOZB3v
あだ名がダサい
ゾーってなんだよ
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247 ななしのよっしん
2024/03/27(水) 17:49:09 ID: SUs8mEb9Id
>>245
歳相応に背中は落ちてたけどつけてしれっとパドック回せば買う人いたんじゃねえかなあってくらい晩年もすごかったね
ツヤもだけど筋肉
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248 ななしのよっしん
2024/05/03(金) 00:42:32 ID: AWuUHl86MG
レイパパレ引退して数ヶに昇ってしまうなんて
レイパパレの活躍を見るのが最後の楽しみだったのかな?
(マキバオー世界観)
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