93年、日本ダービー。
熱狂の2分25秒。
最後の直線を制した、その馬の名は……
ウイニングチケット(Winning Ticket)とは、1990年生まれの競走馬。
以上。
……だめ?そうだよなぁ。
主な勝ち鞍
1993年:東京優駿(GI) 、弥生賞(GII)、京都新聞杯(GII)
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「ウイニングチケット(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父*トニービン、母パワフルレディ、母父マルゼンスキーという血統。
母はスターロツチから繋がる日本有数の名牝系であり、近親にサクラユタカオー、サクラスターオー、ハードバージ等重賞馬がズラリと並ぶ超良血。母父マルゼンスキーも世界的良血、父トニービンはウイニングチケットが初年度産駒となる期待の種牡馬。素晴らしい血統である。半弟(父*サンデーサイレンス)には万年2着で有名なロイヤルタッチがいる。
生まれた時には鹿みたいな馬体だったというウイニングチケット。ところが素晴らしい相馬眼を持っていた伊藤雄二調教師は、生まれたばかりのウイニングチケットを見るなりシックスセンスを発動、栗東にとんぼ返りし、再びやってきた時にはすっかり彼を迎え入れる準備を終えていたという。伊藤調教師はマックスビューティやエアグルーヴらも一目見てその才能を見抜き、その場で購入話を持ち掛けたというが、どうやって才能を見抜いたのだろうか。
デビュー~3歳まで
伊藤調教師がデビュー前からダービーを意識していたというウィニングチケット。伊藤調教師はデビュー戦となる函館芝1200mの新馬戦に柴田政人騎手を鞍上に迎えた。
ウイニングチケットの母母ロッチテスコは柴田政人騎手の恩師・高松三太調教師が管理していた馬であり、柴田がデビュー戦を勝利に導いているという縁もあった。
後述するが柴田騎手はダービーへの思いを非常に意識している騎手。当然、この時から「マサトにダービーを」と考えていたのである。
ところが、不良馬場もあってデビュー戦を5着に負け、翌週折り返しの新馬で横山典弘騎手が乗って勝利。
休養明けの葉牡丹賞(中山芝2000m)も田中勝春騎手が乗って2着に4馬身差を付け圧勝。
こうなると義理堅い柴田騎手は乗りたがらない。自分が負けさせてしまい、横山騎手と田中騎手が勝たせた素質馬。若手騎手から奪う形になるのを嫌ったのだ。柴田騎手は若い頃、アローエクスプレスをクラシック直前で奪われるという経験をしていた。なので自分が同じ事をするのを極端に嫌っていたのである。
しかし、伊藤調教師は柴田騎手が乗り易いようにというだけで重賞のラジオたんぱ杯3歳ステークス(阪神芝2000mのGIII)ではなく、皐月賞を見越して当時はオープン競走だったホープフルステークスを選ぶという事までした。そこまでやられては柴田騎手も応えないわけにはいかない。ホープフルステークスで鞍上に戻り、2着に3馬身差を付ける圧勝。以降、翌年のクラシックをウイニングチケットと共に戦うことになる。
4歳弥生賞~皐月賞まで
休養明けの弥生賞は最後方からぶんまくって2着ナリタタイシンを2馬身差ぶっちぎるという派手派手なレースっぷりで圧勝。これはすげぇ、とファンは騒然となった。
そして迎えた皐月賞。ここには初対決となる白くて顔のでかい奴・ビワハヤヒデがいた。もちろん顔がでかいだけではなくて分厚い先行力を持つ強敵である。ウイニングチケットは2.0倍の一番人気。ビワハヤヒデは3.5倍の二番人気。三番人気のナリタタイシンは9.5倍と少し離れ、2強の様相を呈していた。
ところがこのレース、ウイニングチケットはレース前から激しくイレ込んでしまう。前走よりもやや前目の中段で足を溜めたが、4コーナーで先団に取り付くという強引な競馬でビワハヤヒデと並んで直線を向かえるが伸びを欠き、弥生賞で負かしたナリタタイシンに外から差されて5位入線。3位入線のガレオンが8着に降着となった為4着に敗れてしまう。
第60回東京優駿
明日への切符
夕焼けに大望を掲げ
星影に悲願を語り
だがほとんどの場合
夢は眠りの中に消える
皐月賞の敗戦で、もともと「ダービーの大本命」と言われ続けていたウイニングチケットの評価が下がり、第60回ダービーは「BWN」対決だと言われるようになった。
この三強、馬も馬だが、騎手も「岸騎手からの乗り代わりだったという事情があり、クラシック獲得が義務だった岡部幸雄騎手」「ダービーに勝ったら騎手を辞めても良いと言い切るほどダービーを切望していた柴田政人騎手」「若き天才としてダービージョッキーの称号は是が非でも欲しい武豊騎手」というそれぞれ負けられない事情を抱えていたのである。
特に岡部騎手と柴田騎手は同期であり、岡部騎手は既にシンボリルドルフでダービーに勝っている。年齢的にもこれがラストチャンスかもしれない柴田騎手の思いは並々ならぬものがあった。
23年前、21歳の若きホープだった柴田騎手はアローエクスプレスの主戦騎手だったが、皐月賞を前にトップジョッキー加賀武見騎手に乗り替わる事を宣告された。泣きながら師匠高松調教師に問い詰めるが、師匠もまた泣きながらも「悔しかったら加賀武見を超える騎手になれ!」と発破を掛けられて以降、柴田はトップジョッキーの仲間入りをする事となり、1988年には全国リーディングを獲得する等活躍。
しかしダービーだけはどうしても勝てなかった。
馬の能力よりも過去の恩義や人間関係を優先するあまり、ダービー有力馬に乗る機会が少なかった。
1978年、アローエクスプレスと同馬主、同調教師のファンタストで過去のリベンジと言わんばかりに皐月賞を制したが、ダービーでは体調不良と距離の壁に泣き10着。皐月賞を勝ったミホシンザンは骨折で回避。これまでダービーに18回乗ったが、1988年のコクサイトリプルと1991年のイイデセゾンでそれぞれ3着が最高だった。
実はシンボリルドルフのデビュー戦の騎乗に予定されていたが調子が良かった為、急遽新潟でデビューする事となり、札幌を主戦場にしていた柴田は岡部へルドルフを手放すという不運もあった。
柴田騎手は誰にでも丁重で、記者たちにも親切で気さくにインタビューに答えてくれる男であったのだが、このダービー前だけは取材を全て断ったという。
そして迎えた第60回東京優駿日本ダービー。三強は全て順調にこの日を迎えていた。1番人気はウイニングチケット。これは馬の実力を評価した事もあるが「マサトにダービーを!」と願う人々の願いが支持になって現れたのだと言われている。この年、柴田騎手は45歳。いわゆる団塊の世代であり、既に騎手としては高齢でありながら頑張る姿は同世代の星となっていた。彼に希望を託す同世代のファンが祈るように見つめる中、ダービーのゲートは開いた。
スタートで翌年のダービージョッキー・南井克巳騎手のマルチマックスが落馬するも、大歓声の中一斉に第一コーナーへ。ウイニングチケットはビワハヤヒデマーク。それを更に後方からナリタタイシンが狙うという展開。ペースは速く、馬群はばらけ、どこからでも行ける状態。ビワハヤヒデはウイニングチケットのプレッシャーからかジリジリと前へ出て行く。
ペースが上がった大けやきの向こう側で、ウイニングチケットがビワハヤヒデの内に並び掛けた。これによってビワハヤヒデはコース中央に馬を出さざるを得なくなり、内ラチ一杯を回ったウイニングチケットに一馬身引き離された。しかもハヤヒデの前には馬群が壁。この瞬間「おお! やった!」とチケットの馬券を持っていたファンは叫んだ。
しかし、流石はビワハヤヒデと岡部騎手。あっさり馬群を抜け出すと先頭に立ちつつあったウイニングチケットに猛然と襲い掛かった。こうなると追われる方は苦しい。外によれたチケットの内からビワハヤヒデ。更に外からナリタタイシン。
悲鳴と怒号が交錯する中、粘るウイニングチケットに並びかけ、交わし掛けるビワハヤヒデ。ああ、駄目だ。もう駄目だ。マサトの勝利を祈るファンは涙目。チケット軸の馬券を握り締める連中は「せめて2着に残ってくれ!」と叫んだ。残り1ハロン。ビワハヤヒデが首を伸ばし、確かに先頭に立ったかに見えた。
ところがここからなんとウイニングチケットがもう一度伸びる。伸びる。どおおお!と大歓声が上がる。顔も上げずにウイニングチケットの首を押し込む柴田政人騎手。その姿は正に人馬一体と言うに相応しかった。
ビワハヤヒデに半馬身。ナリタタイシンに更に一馬身の差をつけて、ウイニングチケットはゴール板を駆け抜けた。「やったマサト!」思わずファンはガッツポーズ。しかし柴田騎手はうつむいて勝利の味をかみ締めているようだった。柴田騎手はこれが実に19回目のダービー挑戦。正に「悲願のダービー制覇」だった。
府中の杜に響き渡る「マサト」コール。柴田騎手は「世界中のホースマンに、私が第60回日本ダービーに勝った柴田政人だと伝えたい」と胸を張った。ウイニングチケットは「柴田政人に届いたダービーへの『勝利への切符』」となり、伊藤調教師は「マサトにダービーをプレゼントできた事が嬉しい」と語った。正に大団円。競馬史上稀に見る、美しい物語の完成であった。
その後
……じゃねーよ。
いやいや。ウイニングチケットはこれで引退したわけでもない。当時のファンが「マサトってダービー勝ったら辞めるんだって?」と心配したように、柴田騎手が引退してしまったわけでもなかった。そもそも柴田騎手の元発言は「ダービーに勝ったら引退する、くらいの気持ちで乗らないとダービーには勝てない」というものであり、前半だけが独り歩きしてしまったものだった。
しかし、なんというか、あれほど美しい物語が出来上がってしまった時、登場人物のその後はどうしても付け足しのような物になってしまう。
柴田騎手はこの後、翌年4月に落馬事故を起こし、それが原因で引退した。その年も絶好調であったので、落馬が無ければまだまだ乗っていたと思われる。惜しまれる引退であった。が、ファンはどうしても「ダービーを獲って、安心してしまったのかな」と思ってしまったのだった。
ウイニングチケットは秋の京都新聞杯、勝つには勝ったがゴール寸前でクビ差捕らえると言うなんか無理やりな勝ち方であった。菊花賞ではビワハヤヒデに一番人気を譲り、夏に鍛えられてムキムキになっていたハヤヒデにちぎられるという屈辱を味わう。
続けてジャパンカップに出走するも、レガシーワールドとゴール板を間違えたコタシャーンの前に3着。有馬記念ではトウカイテイオー奇跡の復活に呑まれて11着に沈没。
翌年は復帰に手間取り、その間に柴田政人騎手は落馬。甥の柴田善臣騎手が乗っての復帰戦高松宮杯はナイスネイチャに離されるというあり得ない5着。おいおいダービー馬。
オールカマーでは武豊騎手が手綱を取ってビワハヤヒデの2着に入ったが、もうなんだかハヤヒデとはレベルの違いを感じさせる完敗であった。
そして秋の天皇賞。ビワハヤヒデとウイニングチケットの馬連は鉄板だと言われ、府中でもあるし、誰もが久々にライバル同士の名勝負が見られる、と思ったのだが……なんと2頭してレース中に屈腱炎を発症し、ウイニングチケットは8着、ビワハヤヒデは5着に沈んでしまう。えー……。見ていたお客さんは呆然であった。
結局その故障が原因でウイニングチケットはハヤヒデ共々引退した。「マサトの後を追うように」なんて言われたが、なんだか尻すぼみな感じの寂しい引退であった。
とにかく「マサトにダービーを獲らせるために、天から使わされた」とまで言われたくらい、ウイニングチケット=柴田政人悲願のダービー制覇の公式が出来上がってしまっている馬である。
だが、それ以外がまるっきり語られないというのはどうなのよ、という感じもある。担当の島厩務員と武豊騎手が「同級生の岸騎手から乗り変わった白い奴には勝たせない」と燃えていたとか、柴田騎手がダービーで使っていた鞭は鞭職人三代目の鈴木高志氏が二代目の死の際に作り上げた鞭だったとか、ウイニングチケットはレース後に蕁麻疹を出す繊細な馬だったとか、調教が嫌いだったとか、かわいい顔をしてるとか色々エピソードが多い馬なのであるが。
競走引退後
種牡馬入り後、トニービンの後継として期待されたのであるが、同世代のビワハヤヒデ・ナリタタイシンよりはマシという程度でパッとしなかった。中央重賞馬がたった一頭というのでは……。血統は悪くないのになぁ。
ただ、母系としてはオイスターチケットの子孫がなかなか勢いがあり、2021年には大阪杯を制したレイパパレを輩出していたりするので、後世にその血は残っていくだろう。
2005年の種牡馬引退後は去勢されて功労馬となり、浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUで同じくGI優勝馬であるタイムパラドックス(2022年死去)・スズカフェニックスと共に余生を送っている。
ビワハヤヒデとは、2010年に函館競馬場でのお披露目時に再会した。二頭してあの伝説のダービーの思い出話でもしたのだろうか。
2020年にナリタタイシンとビワハヤヒデが共に30歳で大往生したため、ウイニングチケットがBNW最後の存命馬となった。なお2021年8月18日にレガシーワールドが亡くなって以降は、彼が存命の国内GI勝ち馬としても最年長となっていた。
ウイニングチケットは30代を迎えたとは思えないツヤッツヤの馬体と若々しいダッシュでAERUの来場者を迎えていた。さらに2021年、ウマ娘プリティーダービーが大ヒットして引退競走馬への関心が高まった。ウイニングチケットもウマ娘化された一頭であり、その効果もあってAERUの来場者は増加。AERUも積極的にTwitterで動画を公開し見る人を和ませていた。
2023年2月18日、疝痛のため繋養されていたうらかわ優駿ビレッジAERUで死去。享年33。直前まで柵に降り積もった雪を口にするなど元気な様子を見せていただけに、Twitterでは多くの悲しみの声が聞かれた。
血統表
*トニービン 1983 鹿毛 |
*カンパラ 1976 黒鹿毛 |
Kalamoun | *ゼダーン |
Khairunissa | |||
State Pension | *オンリーフォアライフ | ||
Lorelei | |||
Severn Bridge 1965 栗毛 |
Hornbeam | Hyperion | |
Thicket | |||
Priddy Fair | Preciptic | ||
Campanette | |||
パワフルレディ 1981 黒鹿毛 FNo.11-c |
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
*シル | Buckpasser | ||
Quill | |||
ロッチテスコ 1975 鹿毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift | |
Suncourt | |||
スターロツチ | *ハロウエー | ||
コロナ | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Hyperion 4×5(9.38%)、Nasrullah 5×5(9.38%)
主な産駒
- ベルグチケット (1997年産 牝 母ベルグストーム 母父Stotm Cat)
- 主な勝ち鞍 1999年フェアリーステークス(GIII)
- ウイニングマミー (2001年産 牝 母ダイアマミー 母父ミュゲロワイヤル)
- トサローラン (2002年産 牡 母コマノローラン 母父*ネヴァーダンス)
- タイガンジョウジュ (2004年産 牡 母タイムフォーモサ 母父アスワン)
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関連項目
外部リンク
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