ウォルト・ディズニー(Walt Disney)とは、ウォルト・ディズニー・カンパニーの創設者であり、夢の国の創造主である。
本名はウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney)で、ウォルト・ディズニーはペンネーム。
概要
世界一有名なねずみの生みの親の一人。
また、初代ミッキーマウスの声優でもある。
肩書きは漫画家、アニメーター、演出家、脚本家、プロデューサー、声優、映画監督、そして実業家などなど……。
人生を辿っていくと非常に多岐に渡るため、その見方や時期によってウォルトの評価は大きく変わる…のかもしれない。
いずれにせよ、アニメ史において、計り知れないほど偉大な功績を残した人物であろうことに変わりはない。
彼の生み出した数々のアニメーションは多くの人の笑いや感動を呼び、また後世の同業者にも大なり小なり影響を与えている。
若かりし頃
1901年に鉄道員の子として生まれ、幼少期から汽車を愛していた。少年期からはさらにアートへと目覚めるようになり、その情熱から私営の絵画教室に通うようになったという。
青年期は工場経営者となった父に付き従い、高校に通う傍ら絵画を学ぶ。やがてその中で、ウォルトの心には愛国心がより強く芽生え始めるようになる。
描く漫画は愛国主義に偏った内容となりはじめ、やがてウォルトは通っていた高校も絵画教室も捨て、第一次世界大戦中、お国のために陸軍へと志願するまでに至っている。
しかし、当時のウォルトはまだまだ年齢的に若すぎた。
そして、人員不足というわけでもないアメリカがそんな前途有望な人物をわざわざ戦場に使う必要もなかった。
ウォルトのその熱意を「まだ慌てる時間じゃない」などの周囲の説得でなんとか押し込み、彼は衛生兵として後方の任務に就くこととなった。
おかげで特に大きな負傷をすることもなく、戦後は故郷へと帰還した。
漫画家→アニメーターの時代
帰郷後、父の工場とは違う仕事につくことを望んだウォルトは、漫画家を目指して新聞広告の漫画掲載を目指したが、当時無名だったウォルトにさほど仕事は回ってこなかった。
ウォルトが、今の名声とは想像もつかない貧乏生活を送っていると、銀行員になっていた兄のロイがそんな状態を見かねて手を回し、良い新聞広告社を紹介し、そこで安定して仕事が行えるようになる。
このとき、後のウォルトの生命線にして、最大の相棒となるアブ・アイワークスと出会い、彼と親交を深めた彼は、契約打ち切りをきっかけに、二人で起業することを思いつく。
こうしてデザイン会社を立ち上げた二人だが、ウォルトが生活を支えるため別の会社に雇われてしまい、会社はさして間をおかず消滅する。
この時ウォルトが雇われた先はアニメ製作会社であり、ウォルトはアニメーターとして雇われていたこの経験からアニメーターとしての資質と興味を開花させた。
仕事の合間に機材を借りて自作のアニメを作るようになったウォルトは、齢二十歳にして一年足らずで独立、個人事務所を始める。
当時はフリーでスタッフを集めていたウォルトだが、限界を感じるようになったことでアニメ製作会社を本格的にスタートさせ、アブ・アイワークスらのスタッフをかき集め、良質な短編アニメーション作品を提供していくようになる。
しかし、先の従軍の話からわかるように、火のついたウォルトは形振り構わなくなる気質があるようで、製作に没入しすぎたあまり、経営面そっちのけで金を注ぎ込んで、アニメを作るという無茶なことをやりまくっていた。
おかげで会社は倒産し、ウォルトは経営面でのサポーターが必要であることを噛み締めたという……。
ちなみにこれは、今のウォルト・ディズニー・カンパニーの先祖的な会社であるが、会社自体は消滅しているため今存在する会社とイコールではない。
ウォルト・ディズニー・カンパニーの始まり
倒産処理のあと、ウォルトはハリウッドへと渡り、兄のロイとともに再び会社を立ち上げた。
最初は以前作った「アリスの不思議の国」の続編を販売するための組織だったが、その過程で再びアリスを題材としたアニメ製作出来る状況を得たため、先の会社と同じようにアブ・アイワークスを始め、アニメーターをまたかき集めた。
こうしてウォルトは、実写と短編を混ぜた短編映画、アリス・コメディシリーズを始め、一定の成功を収める。
このとき、ウォルトは人生の伴侶と出会い、二人の子供を儲けた。
アリス・コメディシリーズが一部の版権問題によって製作困難となった頃、興行師にしてアニメ製作もやっていたチャールズ・ミンツの紹介で、大手配給会社ユニバーサル・ピクチャーズと関係が結ばれる。
そこで配給する作品として誕生したのがしあわせウサギのオズワルドであった。オズワルドはディズニーキャラクターの中ではじめて商品化されたキャラで、ミッキーマウスの元となっているキャラクターである。
オズワルドは大きな成功を収め、ユニバーサル・ピクチャーズはウハウハだったものの、ウォルトは相変わらずアニメ製作に金を惜しまなかったため、会社の経営自体はそんなに潤わなかった。
ウォルトは、オズワルドの成功を抱え、ある日ユニバーサル・ピクチャーズにギャラの値上げ交渉を計った。
しかし、仲介役のチャールズ・ミンツとユニバーサル・ピクチャーズは裏で手を回し、スタッフを買収したうえでオズワルドは「契約時点でうちに版権がある」と突っ返され、不当な契約条件をつきつけられた。
結局、大手会社には対抗することが出来ず、ウォルトはアニメータースタッフとオズワルドを一気に失う。
ちなみにディズニースタジオのスタッフを欲しがっていたのは仲介役のチャールズ・ミンツであり、自社のアニメーションクオリティを手っ取り早くあげたいがための策謀であったと言われている。
よってウォルトはこのことを「ミンツに騙された」とストレートに振り返っている。
世界的大スターの誕生
帰りの汽車の中でスケッチしたミッキーマウスのコンセプト絵を頼りに、ウォルトは自社へと帰参する。
残っていたスタッフはわずかで、主にあげられる人物は、兄のロイや、唯一買収に応じなかったアニメーターで、親友のアブ・アイワークスくらいだった。
スタジオの経営は、スタッフと自社キャラクターの消失により正に崖っぷち、おまけに契約の都合上オズワルドのアニメをあと少し作らなくてはいけない。
逆境に次ぐ逆境の中、ウォルトはオズワルドのアニメを作る傍ら、アブ・アイワークスとともにオズワルドに変わるネズミのキャラクターを生み出す。
これこそが、あの有名なミッキーマウス、誕生の瞬間だった。
社員いわく「動きはアイワークス、性格はウォルト」という体制で生み出されたミッキーは、鮮烈なデビューを飾る。
ミッキーマウスは出だしこそ不調だったがすぐに大人気となり、オズワルドの人気を根こそぎ奪う形となっていった。
なお、オズワルドの時に経験した苦い経験から、ミッキーマウスの版権管理は厳重に行われたことは言うまでもない。
人気はその後も衰えることを知らず、ディズニー社は再建どころを果たしたばかりではなく、強大な成功を収めた。
ミッキーマウスが大成功を収め、彼に続く人気キャラクターが続々と登場する中、新しいものの取り込みに熱心だったウォルトは徐々にスタッフへ製作上の制限を設けるようになった。
これに嫌気がさしたアブ・アイワークスは、独立を持ちかけられたことでディズニー社から離反してしまった。
後に彼がミッキーマウスの生みの親の一人であることが知られなくなったのは、こういった事情も関係しているようだ。
ちなみにアブ・アイワークスは、その後独立に失敗して、ディズニー社へ帰還している。
ディズニーランド構想と晩年
ディズニーがある日娘と遊園地に行った時のこと。
ウォルトはメリーゴーランドに乗りながらはしゃぐ娘を見ながら「どうしてここには親も子も楽しめる空間がないのだろう?」とふいに疑問を感じたという。
この思いが解けなかったウォルトは、1955年、ディズニーとして150エーカーの土地を購入。
当時からしても異常なまでに広大なテーマパーク、ディズニーランドはこうした意図で開設された。
これは今のウォルト・ディズニー・カンパニーの基盤となっている施設であり、このディズニーランドの開発のためにウォルトは毎日のように自分の作った遊園地へと通いつめ、問題点や新しい構想を練っていたという。
その後、ディズニーランドの運営を外部に委託することになると、ウォルトは「夢を現実にするのは人だ」「ここは遊園地ではない、ディズニーランドなんだ」という言葉を送ったという。
他にも、ウォルトは実業家として積極的に宣伝に参加しており、テレビなどで積極的な客の誘致を行った。
ディズニーランドが軌道にのると、次にウォルトはまた広大な土地を買い上げ、彼にとって生涯最後にして最大の夢である、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの建設事業にとりかかる。
しかしこの頃のウォルトは酒に溺れて身体が弱り、長年吸っていたタバコが原因で声はしわがれていた。その関係でミッキーマウスの声優も交代することになり、彼は膨れ上がる名声とは裏腹に健康的には衰退していった。
1966年12月15日、肺癌のため没。
彼の壮大な夢であったディズニー・ワールドは、彼の死後に完成することとなる。
人物
これだけの大物となると、称賛だけではなく批判のネタがかなり出てくるもの。
しかし同時に彼の遺した「夢を見続け、諦めないこと」を訴えた名言もまた有名であることも事実。
ここで一つ一つの名言はあえて語らないが、要するに「夢を捨てるな、諦めずにやれ」ということを、ウォルトはしきりに訴えていたのである。
が、日本ではその著作権の厳しさから「著作権にうるさいオジサン」と安易に誤解している人もいる。
よって以下にいろいろ記していくことにする。
結局どの功績が大きいの?
絵描きであり、演出家であり、そしてプロデューサーでもあるウォルトだが、どれが際立っていたかは、評価する人間の見方によって異なる。
しかし一般的にはやはり実業家としての功績が一番高く評価されていると言っていいだろう。
ただし、時折言われる「ウォルトはアニメーター(絵描き)ではない」という見方は確実に間違いである。
とはいえ、クリエーターとしては作画よりもむしろ演出に秀でていたと言い伝えられており、天才的アニメーターとして有名なアブ・アイワークスの存在もあって、彼のアニメーターとしての経歴が評価されることは今となっては大変少ない。
ほぼ一人でミッキーマウス初主演短編「プレーン・クレイジー」を作画したというアイワークスの作画スピードが化物じみているから仕方ないと言えばそうであるが……。
いろいろ理屈を付けても、ミッキーが今日まで親しまれる個性となったのは、ウォルトによる性格演出の影響が大きいのは間違いない。
オズワルドがユニバーサルに奪われた後、支持を急速に失った事例を見ればそのことは一目瞭然である。
よって彼は「クリエイター」として多大な功績を世界に遺した、と、この記事では一つの結論を提示しておくことにする。
声優として
後に、三代目ミッキーマウスの声を担当した生前のウェイン・オルウィンが「ミッキーはウォルト・ディズニーそのものだ」と語っており、二代目のジム・マクドナルドも、役を引き継ぐオルウィンに対して「自分達はボス(ウォルト)の代役なんだから、自我を出してはいけない」と忠告したという。
ミッキーの声を、ウォルトは1955年まで長らく担当していた。最初は裏声によるかなり高い声だったが、タバコと加齢による影響で、どんどんハイトーンながらも低音化した声質になっており、オルウィンもその点を指摘している。
しかし、そういった低音化を鑑みて、ミッキーマウスの声は二代目のジム(ジミー)に引き継がれることとなっている。
ちなみに、初期の作品はピートやミニーなども全部一人でこなしていたことはファンの間で有名である。
声優としての実力の程をどう評価するか難しいところだが、ミッキーマウスという名前のネズミの絵に自我を与えたのは、紛れも無く声優までも担当したウォルトの力であるといえよう。
ミッキーの生みの親じゃない説
前述したように、ミッキーマウスのデザインはアブ・アイワークスが手がけた。つまりイラスト的に限って言えばその生みの親はアブ・アイワークスである。
このため、「ウォルト・ディズニーはミッキーの本当の生みの親ではない、デザインを手がけたアブ・アイワークスこそが本当の生みの親」と説く人もいる。
これはある方向から見れば正しい話ではあるが、100%正しいとも言い難い。
しあわせウサギのオズワルドが、ディズニーとアイワークスの力を失って没落したのと同じように、ミッキーマウスとはアイワークスの天才的絵画力と、ウォルトの演出力が合わさって初めて人気者となったのである。
アイワークスは作画こそ天才的だったが、一方で演出面での才能はからっきしであり、その結果独立に失敗している辺り、ウォルトのこれまた天才的な演出力は不可欠だったというわけだ。
なので、ウォルト・ディズニーが生みの親というのも、アブ・アイワークスが生みの親というのも正確ではない。
もし一番正解に近い表現法があるとすれば、「ウォルトは父、アイワークスは母」といったところであろう。
差別大好き
愛国心の塊とも言えるウォルトは、とにかく人種差別主義者かつ白人至上主義者であったと伝えられている。
ウォルト・ディズニーという人間を評価するうえで、強く注目される部分の一つと言っていいだろう。
例えば南部の唄などは、そういった思想が見え隠れするとして、今をもって放送禁止となってしまっている。
実際の問題とは「この時代の黒人と白人がこんな仲良く出来るわきゃねーだろ」というのが主な理由だったらしく、それ以外大きな文句はないらしい。
が、ウォルト本人は、公開当時の封切りイベントで、主演だった男性俳優を「黒人だから出すな」といって止めていたなど、直接的なことをやっていたようで、このことも反感を買っていたようだ。
作中でも当時の黒人の扱いをある意味忠実に再現してるところはしているので、その点は今をもってさらに問題とされかねないシーンもある。
また、男尊女卑を地で行く人でもあり、女性を要職に就かせなかったことはファンの間で有名な話である。
また、戦時中と言えば、プロパガンダアニメが作られるのが世の常である。
第二次世界大戦中などは、軍によってこういった会社は全て接収されており、アメリカではディズニー以外でもそういう作品が生み出されまくっていた。
当時のウォルトは、そんなアニメ本当は作りたがらなかったのだろう………と思ってしまいがちである。
答えは、否。
ウォルトはお国のためと、このプロパガンダアニメの製作には結構燃えていたらしく、我が国である日本を揶揄する描写(昭和天皇)なんかも嬉々として作らせていたそうな。
有名な総統の顔、やドナルドのコマンド部隊などは、そんな事情からか和訳版が製作されていない幻の作品となっている。ただし後者は日本軍がもろターゲットなのにも関わらず、一度だけ吹き替え版が出たことがある。
しかしウォルトの差別意識の強さは、同時にアメリカに対する行き過ぎた愛国心や誇りの現れとも言えるので、安易に「差別」と批判するのは、当時の時代性から言っても100%正しいとは言えないだろう。
薬物中毒疑惑
空飛ぶ像が活躍する長編映画作品『ダンボ』の1シーンで、ピンクの像が登場するサイケなシーンがある。幼少期これを見てトラウマになった読者も多くいるだろう。
この「ピンクの像」とは薬物中毒患者が幻覚で見るものとして有名なものであり、そのためこのシーンはウォルトが薬物でハイになっている時に見た虚像を、そのまま絵にしたという説が広まっている。
ただしこれはあくまで有名人には付き物な嘘か真か不確かな噂程度の話であり、一部の人間の根拠なき口伝以上の話ではないようだ。
事実、この話は妙な広まり方を見せており、あげくには「ミッキーはウォルトが麻薬に溺れた幻覚の中で生み出したものである」という説にまで発展している。
この話は「嘘である」と断言出来るほど確たる話はないが、このように噂が妙な方向へ向かっている部分もあり、疑わしさの漂う部分があるということを忘れてはいけない。
結構お茶目
手塚治虫がウォルトを日本に招いた時、何故かウォルトはレストランのメニューの見本に興味を示した。
「あれ欲しいなぁ」とウォルトがつぶやいたのを聞いた手塚は、ウォルトに後でそのレストランの見本模型を一部をあげたという。
大層喜んだウォルトは、さらに後日、その見本のテーブルに並べ、ミッキー達の人形を座らせた構図の写真を手塚に送ってきた、という逸話がある。
ミッキーマウスはそもそもウォルトの人物像をよく反映していたとされている。
怒ると怖い
オズワルドが奪われた時、去り際に版権を強奪したユニバーサル・ピクチャーズ社に向かって
「連中(抜けたスタッフ達)は、この私にした仕打ちと同じことを、いつかきっとあなたにもするだろう。私を裏切ったのだから、あなたを裏切ることだってあるはずだ。気をつけた方がいい」
と言ってやったらしい。
ちなみにユニバーサルは自ら引き抜きスタッフ(会社)を切っているが、これが関係しているかどうかはわからない。
また、ファンタジアに登場するイェン・シッドの顔立ちは、ウォルトが怒った時の顔を参考にしたのだというのは、かなり有名な話である。こんな顔で睨まれたら誰だって平伏するほかないだろう。
また、日本の遊園地経営者は、ウォルトに頼み込んでディズニーランドを実際に視察し、参考にして作った施設を多く作っていた時代があった。
ウォルトは最初、自分のもとにそう言ってやってきた経営者をとても歓迎したらしいが、出来上がった遊園地の姿を見て、あまりのパクりように一転して激怒したと言われている。
結果、日本へのディズニーランド建設が遅れたと言われたほどである。
もし読者の中で、中国のテーマパークの有様(パクリまくりで有名な)を見て不快感を感じたことがあるとしたら、当時のウォルトも恐らく同じ気持ちであったであろうことが容易に推察出来る。
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