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ウラディミール・バレンティン(Wladimir Balentien、1984年7月2日-)とは、オランダ出身のプロ野球選手(外野手)である。現在はメキシコのカニェロス・デ・ロス・モチスに所属。
概要
カニェロス・デ・ロス・モチス | |
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ウラディミール・バレンティン Wladimir Balentien |
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基本情報 | |
国籍 | オランダ |
出身地 | オランダ領アンティル・キュラソー島 |
生年月日 | 1984年7月2日 |
身長 体重 |
185cm 100kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 2000年アマチュアFA |
経歴 | |
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国際大会 | |
国籍 | オランダ |
五輪 | 2004年 |
WBC | 2013年、2017年、2023年 |
プロ野球選手テンプレート |
国籍はオランダだが、出身はカリブ海のオランダ領アンティル・キュラソー島。2004年のアテネオリンピックにオランダ代表として出場している。
MLB時代
2000年にシアトル・マリナーズに入団、2007年にメジャー昇格。マリナーズ時代はイチローと1、2を争う強肩として知られたが、打撃が確実性に欠け、2009年にシンシナティ・レッズへ移籍。2010年はレッズ傘下のマイナーリーグでプレーしていた。
ヤクルト時代
2010年オフに東京ヤクルトスワローズに入団。解雇されたジェイミー・デントナに代わる長距離砲としての獲得だったが、素材型という評価で前評判はそれほど高くなかった。
2011年、キャンプからヤクルト優良外人の系譜に連なる勉強熱心さを見せ徐々に日本の野球に対応。開幕は「日本の野球に慣れるまでは下位打線で」という小川監督の意向により6番ライトで迎えると、統一球をものともせず本塁打を量産、高打率をマークして打線の起爆剤となる。5月からは5番を打つようになり、5月13日の横浜戦ではバットを折りながらの本塁打を含む1試合3本塁打。5月は打率.397、7本塁打14打点の成績で月間MVPを受賞と、この時点では文句なしの神助っ人だった……のだが。
6月半ば頃から全く打てなくなり、3割を超えていた打率はみるみるうちに低下。7月頃には完全に扇風機と化し、後半戦では怠慢プレーでスタメンを外されることもあった。それでも辛抱強く起用され、8月半ばに本塁打を固め打ちし復活したかと思わせたが、その後はやっぱり打てなくなり、打率もさらに下げていく。最終的に31本塁打で本塁打王のタイトルを獲得したものの、打率は規定打席到達者で最下位の.228。三振はぶっちぎりのリーグ最多の131と、序盤の大活躍はなんだったのかという成績に留まった。
2012年はキャンプでも調子が上がらず、外国人枠の関係上二軍スタートも示唆されたが、それ以上に林昌勇の調子が上がらず(結果としてトミー・ジョン手術を受けオフに退団)、ギリギリの形で開幕一軍スタートを勝ち取った。開幕当初は昨シーズン同様規格外のパワーで本塁打を量産。さらに広角に打ち分ける器用さも見せ始め、5月にはハマスタで1試合3本塁打(2年連続2回目)を記録するなど、「今年のバレンティンは違うぞ」という印象をもたせた。セ・パ交流戦までは。
セ・パ交流戦に突入すると、貧打拙攻大炎上が重なり10連敗を喫するチーム状態に引きずられるように、去年と全く同じようなペースで調子が下降。この間(5月17日~5月28日)打率.035(28打数1安打)と凄まじい冷温停止っぷりを見せつけ、さらには試合中に自身のTwitterを更新する(ちなみに「わたしはあきらめない」という内容であった)など問題行動が発覚し、厳重注意の上二軍降格となった。この時点で誰もが思った。「ああ、またか。そして、終わったな」と。
しかしそこで終わらなかった。二軍においてフォーム修正を施すと6月8日の千葉ロッテマリーンズ戦で一軍昇格、即スタメン。その第一打席・初球でホームランを放つ。この日は3打数3安打の大当たりであった。結局、交流戦が終わるまではその後2安打しか打てなかったが、その2安打がいずれも9回2点ビハインドからの逆転決勝3ラン(6月13日対東北楽天ゴールデンイーグルス、6月18日対北海道日本ハムファイターズ)と強烈な活躍を見せつけた。リーグ戦が再開するとあの不調はどこへやら、1試合3本塁打(7月4日中日ドラゴンズ戦、2ヶ月ぶり)と同僚のラスティングス・ミレッジと共に猛打が爆発。本塁打ランキングでは誰も追うものがいない一人旅状態だった。ところが8月1日。バレンティンは肉離れにより登録を抹消された。ヤ戦病院入りしてしまったのである。復帰は9月までずれ込み、その間破壊力不足に陥ったチームは広島東洋カープに3位の座を明け渡すことになる。
9月4日。待望の一軍復帰。彼の復帰を待ちわびたかのようにチームは再び上昇気流に乗る。6日の横浜DeNAベイスターズ戦では4打数4安打、4本目が横浜球場の場外へぶち込む27号決勝2ランを放つなど打線に厚みを増したヤクルトは勝負の9連戦を8勝1敗で乗り切り、敵地広島で3位争いのライバル、広島東洋カープを3タテし引導を渡した。無論、2試合連続本塁打のバレンティンの活躍あってこその勝利だった。チームの順位が確定すると、注目はタイトル争いにうつる。この年は、巨人・阿部慎之助の三冠王が達成なるかと注目されていた。その前に立ちはだかったのがバレンティン。なんと彼は史上初の快挙、規定打席に達していないのに本塁打王となったのだ(31本)。快挙というか、「怪挙」である。それだけに1シーズンフルに出ていれば40本ないし50本はいけたのではないだろうか。打率も前年より.050ほど上昇、打点も前年を上回り、OPSも.958と成績面では充実のシーズンを送った。クライマックスシリーズでは2試合連続本塁打を放ち孤軍奮闘したが、なにせヤクルトが3試合で3点(うちバレンティンが2点)という去年のトラウマを思いださせるような貧打っぷりを見せつけ、最後はトニー・バーネットがトニ・ブランコのグランドスラムに轟沈し涙をのむことになった。
シーズンオフには新たに複数年契約の延長がなされた。元々球団の許可なく他球団の移籍を禁じる項目が設定されていたこともあり、外国人選手に移籍される事が定番となっているヤクルト球団にとってある意味最大の補強と言えるかもしれない。
2013年、WBCオランダ代表に選出され、主に4番打者を務めた。怪我による欠場もあったが、オランダ代表はWBCで初めて準決勝に進出する。なお日本とは2回対戦する機会があったがどちらも敗れている。
レギュラーシーズンではWBCでのケガの影響で序盤欠場した試合もあった。しかし好不調の波が全くといっていいほどなく、史上最速ペースでホームランを量産。
6月8日の北海道日本ハムファイターズ戦ではプロ野球タイ記録となる4打数連続本塁打を記録。6月はこの活躍もあり月間MVPを受賞している。
8月27日に史上最速で50号本塁打を達成。出場試合数98試合で50本塁打とは・・・やはり化物。8月だけで18本のホームランを量産。月間最多記録を塗り替えた。
9月11日、開幕から122試合目で日本タイ記録の55号本塁打を達成。もちろん史上最速である(なおヤクルトはその記念すべき試合で敗北。さらに母のアストリットさんに「何で55号を打つのに私を待たなかったの」と怒られたという)。
そして9月15日。第一打席、阪神タイガースの榎田大樹投手からついに56号本塁打。日本新記録を達成した。さらに、その次の打席で2打席連続となる57号本塁打。これにより、2003年に李承燁選手が韓国で記録した56本塁打のアジア記録も更新。最終的に2013年は本塁打記録を60号まで伸ばした。打点・打率部門はトニ・ブランコに譲ったものの、「打率.330 60本塁打 131打点」という文句のつけようがない成績を残した。そして史上初の「最下位からセリーグMVP」という快挙も達成。これによりヤクルトは「セリーグのMVP・本塁打王・新人王・最多勝がいるのに最下位」という偉業(珍事)を完成させた。
2014年1月13日に妻に対する監禁・暴行容疑でアメリカ・フロリダ州マイアミで逮捕され、16日に保釈された。詳細は下記の「DV容疑による逮捕騒動」の項参照。
2月の春季キャンプに間に合い、レギュラーシーズンを3番ライトで迎えた。4年連続で30本塁打を達成したが、9月に左アキレス腱の状態が悪化し、9月23日に帰国。4年連続本塁打王はならなかった。
2015年、左大腿直筋の肉離れの影響でシーズンの大半をリハビリで過ごし、治療のために一時アメリカに帰国した。チームが優勝争いしている中で復帰し、優勝の瞬間にも立ち会えたが、この年は1本塁打と本来の力は鳴りを潜めた。
2016年は2014年以来の30本塁打を達成し、復活のシーズンとなった。3年契約を終えて、高年棒などの面から残留は厳しくなっていたが、年俸現状維持で1年間の契約を新たに結び、ヤクルト残留が決まった。
2017年はWBCオランダ代表に選出され、2013年と同じく4番打者を務めた。成績は2次ラウンド終了時点で打率.591 3本塁打 10打点という空前絶後の大活躍を残す。
シーズンイン後の5月7日、2012年から2017年5月6日まで20打数0安打とまったく打てなかった横浜DeNAベイスターズ・加賀繁からついに安打(二塁打)を放った。安打を打った後は大喜びし、打ったボールを記念にもらおうとするなど、よほど苦手としていた加賀から打てたことが嬉しかったと思われる仕草を見せていた。7月25日の中日ドラゴンズ戦で通算200本塁打を達成。125試合に出場し2年連続で30本塁打を記録した。
2018年8月26日の横浜DeNAベイスターズ戦で通算250号本塁打を達成。坂口智隆・青木宣親・山田哲人の出塁率4割打者の影響もあり、自身初となる打点王のタイトルを獲得した。
2019年8月24日の阪神タイガース戦では球団外国人選手では初となる通算1000試合出場を達成。9月6日の読売ジャイアンツ戦で日米通算300本塁打を記録した。国内FA権を取得し、2020年からは日本人選手扱いとなる。オフにFA宣言はせず、契約保留者名簿から外れ自由契約となる。
ソフトバンク時代
2019年12月、福岡ソフトバンクホークスが獲得を発表した。背番号4。
2020年はオープン戦でOPS1.264を記録するなど大暴れ。新型コロナウイルス感染症の影響で来日できないアルフレド・デスパイネとジュリスベル・グラシアルに代わる救世主として期待されるも、自粛期間が明けると冷温停止。それでも開幕から4番・指名打者で起用されるが、打撃は不振を極めて打順も徐々に下がり、7月半ば以降は打率1割台から抜け出せず、8月21日に二軍落ち。その二軍でもお荷物と化していた9月には「お金で幸せは買えない」とヤクルト時代の画像と共にinstagramに投稿。球団批判とも取れる言動にファンからのヘイトを集めた。10月頭に一軍復帰したが、復調どころか復帰後は33打数1安打と全く打てず、閉幕前に再び抹消。60試合で打率.168、9本塁打と大きく期待を裏切る結果に終わった。
2021年は一軍で22試合出場するものの、打率.182、4本塁打と打撃不振から抜け出せず、10月に自由契約となった(ウェーバー不請求)。
メキシカンリーグ(リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル)時代
2022年2月、サラペロス・デ・サルティーヨが獲得を発表した(球団発表)。18試合出場、打率.231、4本塁打と不調に苦しみ、シーズン途中で自由契約となった。
2023年3月にはWBCに参加したものの、チームは1次ラウンドで敗退。WBC前後で引退を匂わせていただものの、2023年4月にカニェロス・デ・ロス・モチスと契約を結び、現役続行となった。
DV容疑による逮捕騒動
2014年に1月13日、AP通信などの複数メディアはウラディミール・バレンティンが妻に対する監禁と暴行の疑いで逮捕されたことを報じた。警察の記録によると1月12日に、米マイアミ近郊に住む妻カーラさんを訪問したが、入室を断られたためキッチンの窓から侵入。寝室の鍵をかけてカーラさんを監禁したとのこと。目撃者が警察に通報し、逮捕につながった。
1月16日に、5万ドルの保釈金と妻への接触制限を条件に保釈が認められた。同日にフロリダ州マイアミ市内のホテルで記者会見に臨んだバレンティンは、奥村政之編成部国際担当次長と共に深々と頭を下げ謝罪した。
1月21日にマイアミの家庭裁判所にて離婚を巡る審理がなされが、双方に歩み寄りはなかった。
バレンティンの主な記録
- シーズン最多本塁打:60(2013年:日本プロ野球記録)
- 月間本塁打:18(2013年8月:日本プロ野球記録)
- シーズン長打率:.779(2013年:日本プロ野球記録)
- 本塁打王:3回(2011年-2013年:3年連続は王貞治以来2人目)
- 打点王:1回(2018年)
- 最高出塁率:1回(2013年)
- 4打数連続本塁打(2013年6月8日~12日)
- 最低打率で本塁打王(2011年)
- 規定打席に満たずに本塁打王(2012年)
- セリーグMVP(2013年:最下位からは史上初)
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
ヤクルト | 東京ヤクルトスワローズ | 6051 |
成績
年度別打撃成績
年 度 Year |
球 団 Team |
試 合 G |
打 席 PA |
打 数 AB |
得 点 R |
安 打 H |
二 塁 打 2B |
三 塁 打 3B |
本 塁 打 HR |
打 点 RBI |
盗 塁 SB |
犠 打 SH |
犠 飛 SF |
四 球 BB |
死 球 HB |
三 振 SO |
併 殺 打 GDP |
打 率 AVG |
出 塁 率 OBP |
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2007年 | SEA | 3 | 4 | 3 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | .667 | .500 | 2.000 |
2008年 | 71 | 260 | 243 | 23 | 49 | 13 | 0 | 7 | 24 | 0 | 0 | 1 | 16 | 0 | 79 | .202 | .250 | .342 | |
2009年 | 56 | 170 | 155 | 18 | 33 | 10 | 0 | 4 | 13 | 1 | 0 | 2 | 13 | 0 | 43 | .213 | .271 | .355 | |
2009年 | CIA | 40 | 125 | 110 | 12 | 29 | 7 | 1 | 3 | 11 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | 27 | .264 | .352 | .427 |
09計 | 96 | 295 | 265 | 30 | 62 | 17 | 1 | 7 | 24 | 2 | 0 | 2 | 28 | 0 | 70 | .234 | .305 | .385 | |
2011年 | ヤクルト | 140 | 555 | 486 | 63 | 111 | 22 | 1 | 31 | 76 | 3 | 0 | 6 | 61 | 2 | 131 | .228 | .314 | .469 |
2012年 | 106 | 422 | 353 | 58 | 96 | 13 | 0 | 31 | 81 | 1 | 0 | 2 | 64 | 3 | 92 | .272 | .386 | .572 | |
2013年 | 130 | 547 | 439 | 94 | 145 | 17 | 0 | 60 | 131 | 0 | 0 | 4 | 103 | 1 | 105 | .330 | .455 | .744 | |
2014年 | 112 | 446 | 366 | 61 | 110 | 12 | 0 | 31 | 69 | 2 | 0 | 3 | 75 | 2 | 95 | .301 | .419 | .587 | |
2015年 | 15 | 52 | 43 | 4 | 8 | 2 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | 14 | .186 | .327 | .302 | |
2016年 | 132 | 537 | 437 | 64 | 123 | 20 | 0 | 31 | 96 | 0 | 0 | 5 | 72 | 3 | 116 | .269 | .369 | .516 | |
2017年 | 125 | 519 | 445 | 60 | 113 | 14 | 1 | 32 | 90 | 0 | 0 | 1 | 70 | 3 | 112 | .254 | .358 | .506 | |
2018年 | 142 | 602 | 514 | 72 | 138 | 22 | 0 | 38 | 131 | 1 | 0 | 3 | 85 | 0 | 121 | .268 | .370 | .533 | |
2019年 | 120 | 468 | 410 | 65 | 115 | 13 | 0 | 33 | 93 | 0 | 0 | 3 | 54 | 1 | 117 | .280 | .363 | .554 | |
2020年 | ソフトバンク | 60 | 218 | 191 | 16 | 32 | 7 | 0 | 9 | 22 | 0 | 0 | 2 | 25 | 0 | 59 | .168 | .261 | .346 |
2021年 | 22 | 60 | 55 | 7 | 10 | 3 | 0 | 4 | 9 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 19 | .182 | .250 | .455 | |
MLB:3年 | 170 | 559 | 511 | 54 | 113 | 31 | 1 | 15 | 52 | 2 | 0 | 4 | 44 | 0 | 149 | .221 | .281 | .374 | |
NPB:11年 | 1104 | 4426 | 3759 | 564 | 1001 | 145 | 2 | 301 | 795 | 7 | 0 | 29 | 623 | 15 | 981 | .266 | .370 | .546 |
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関連項目
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