- ドイツ系の姓名。
- 「銀河英雄伝説」の登場人物。
- ゴールデンバウム朝銀河帝国初期の貴族。
- 詳細不明の(おそらく)人物。戦略論について何らかの著述を残したと考えられる。
当記事では2-Ⅰ.のエックハルトについて記述する。
概要
ゴールデンバウム朝銀河帝国の貴族、子爵のち伯爵。
青年時代には精悍な外見の持ち主であったが、晩年には肥満した権力主義者となった。
第4代皇帝オトフリート1世の政務秘書官として権力を得、宮中の官職を累進してつづくカスパー帝の時代まで宮廷に強い権力をふるったが、増長のあげくついに奸臣として誅殺された。
経歴
皇帝オトフリート1世の時代
”灰色の皇帝”とあだなされる皇帝オトフリート1世は謹厳な君主ではあったが、極端に前例を尊重する保守主義者であり、なによりも独創力や構想力にまったく欠けていた。ゆえに主君に代わり、連日のスケジュールを組み立てる役を担ったのが、皇帝政務秘書官の任にあったエックハルト子爵であった。
決められた予定を墨守したがる皇帝のスケジュール作成という職務は、すなわち皇帝の全行動を管理する立場そのものであり、しだいにエックハルトはきわめて強い権限と責任を握るようになっていった。やがてエックハルトは枢密顧問官と皇宮事務総長を兼帯して御前会議に書記の座を占めるようになり、そのいっぽうでオトフリート1世がその傀儡にすぎなくなっているのが誰の目にも明らかであった。
かくしてエックハルトは、皇帝の実父として摂政の座についたノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムとも、のちに行政府の首位者として国権を握った国務尚書リヒテンラーデ侯クラウスとも異なるかたちで、宮中にあって皇帝の実務一般を掌握することによって国政を壟断するようになったのである。
やがてオトフリートは群臣の無感動につつまれながら崩御し、帝位は若きカスパーへと遷る。
皇帝カスパーの時代
カスパーは幼い頃にこそ高い知性を持っていたようであるが、エックハルトの専横への反発のためにその才を隠したものか、26歳で帝冠を戴く頃までに才気は薄れ、父同様にエックハルトの傀儡となっていた。エックハルトは伯爵に爵位をすすめており、国政の実権をにぎり、国庫を私物化し、その勢威は追従者が”準皇帝陛下”と冗談を飛ばすほどであった。
権力におぼれたエックハルトは当時すでに実質的な国政の主導者としての責任感と手腕の双方を衰滅させてしまっていたが、自身の権力維持のためのセンスはまだ十分に残しており、自身の父親似に肥えた娘(OVAではフレデリカみたいだったけど)をカスパーの皇后として立て、ついに帝室の外戚、次代皇帝の外祖父の地位を手に入れようとした。それはかつての日本の朝廷であれば”准三宮”を宣下されてしかるべき、まさに”準皇帝陛下”の冗談も遠からじ、というほどの立場であった。
しかし今回ばかりは、彼の権力の前に意外な障害が立ちはだかった。父と異なり芸術を好んだカスパーの、合唱隊の少年への愛情である。カスパーは14歳のカストラート、フロリアン少年を寵愛しており、他のことであればエックハルトの言に唯々諾々と従うところ、フロリアンと別れろという要求にだけは、説得しようが脅迫しようが受け入れようとしなかったのだ。
エックハルトはしびれをきらせ、兵士を引き連れて皇宮に乗り込みフロリアンを殺害しようという挙に出る。しかし、そこには国政を専断するエックハルトをかねて憎んでいたリスナー男爵が皇帝より意をうけ、一隊をひきいて待ち構えていた。そしてエックハルトは、皇宮内の”野いばらの間”に足を踏み入れた瞬間、”奸臣誅殺”の銃弾に斃れたのである。ときにカスパー即位よりちょうど一年、当の皇帝自身、混乱の中で退位宣言書を置いて行方をくらましており、エックハルトの専横の終焉とともにその治世も終わりを告げることとなった。
そして140日の空位を挟んで第6代皇帝ユリウスが即位すると、国政は摂政フランツ・オットー皇太子の手によって刷新され、綱紀の粛正とともにエックハルトが残した弊害もあらためられることとなる。
関連動画
関連項目
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