エドウィン・ハッブル(Edwin Hubble)、フルネームでエドウィン・パウエル・ハッブル(Edwin Powell Hubble)とは、アメリカの天文学者である。1889年11月20日生まれ、1953年9月28日没。
概要
ハッブル宇宙望遠鏡は彼にちなんで名付けられた、と言えば彼の偉大さがわかるだろう。彼の2大業績は、銀河系の外にも広大な宇宙が存在するのを確かめたこと、そしてその宇宙が膨張している証拠を発見したことである。
体育会系だった青年時代
ハッブルの高校〜大学時代は、どう考えても天文学者ではなくスポーツ選手の経歴に見える。
- イリノイ州の高校陸上競技大会で走り高跳びで優勝[1]。
- 190cm近い体格に恵まれていたので、シカゴ大学に入学するとアメフトのコーチにスカウトされた。怪我を心配した両親の反対により断念。
- 父親が野球ファンだったので野球ならいける、と考えたがやっぱり反対される。こちらの素質も抜群だったらしい。
- それでも陸上部とバスケ部に入部。「1年生は大会に出場できない」という謎の規則がなければ即戦力だったと言われる。しかも飛び級入学してたので、まだこのとき16歳。
- 陸上では当然走り高跳びのエースとしてインカレで大活躍。
- バスケではどのポジションもこなし、2年と3年のときに全米大学選手権優勝を経験。4年生としてキャプテンを務めるが成績は振るわず。学業の方が忙しすぎた模様(ちなみに通常より1学期早く卒業している)。
- アマチュアボクシング界でも名を知られた存在。プロモーターに当時の世界チャンピオンとの試合を持ちかけられたという逸話がある(ただし、これは後にハッブル自身が話を盛った可能性が高いようだ)。っていうか野球は駄目でボクシングはいいの?
- イギリスに留学すると、夏休みにヨーロッパ中を自転車で駆け回る。2年で合計約2500kmを走破。
- 他にも水球やボートなど、彼がやってた(=ガチの大会に出ていた)とされる競技多数。
これだけスポーツ万能だというのに、高校生の頃から全教科ほぼ満点を取っており、保険会社の重役だった父親の願いを聞き入れて法学を学び、奨学生としてイギリスのオックスフォード大学に留学して修士号までとったほどの秀才だった。父親の死後は法学を諦めドイツ語の翻訳家、スペイン語・物理・数学の高校教師、およびバスケのコーチとして働いている(なんなんだこの組み合わせは)。
要するにハッブルは天から二物も三物ももらってしまってるような人物なのだ。そして彼が最終的に選んだ道は、その天に挑戦することだった。シカゴ大学の大学院に戻り、1917年に天文学で博士号を取ったのである。
天文学者として
1919年、ハッブルはロサンゼルスの近くにあるウィルソン山天文台の職員として採用された。奇しくもこの年、同天文台に反射鏡の直径100インチ(≒2.5メートル)を誇る反射式望遠鏡「フッカー望遠鏡」が完成している。望遠鏡は鏡の直径が大きいほど多くの光を集められるので性能が高まる。これが2メートルを超えたのはフッカー望遠鏡が史上初めてで、1948年にパロマー山天文台の200インチ(≒5.1メートル)望遠鏡が完成するまで世界最大を誇った。
渦巻星雲と銀河の大論争を決着させる
ハッブルは大学のころから研究していた星雲の観測を本格的に進めるが、中でも彼が注目していたのが「渦巻星雲」と呼ばれるタイプの星雲である。ちょうどこの時期、渦巻星雲と宇宙の姿を巡って学界を二分する大論争が起きていたのだ。その二派とは:
- 銀河系ぼっち派
- 太陽やその他大勢の恒星が銀河という巨大な円盤状の集まりになっていることは既に知られていた。その直径は少なくとも10万光年と見積もられており、あまりにも大きいので宇宙にはこの銀河(銀河系)ただ一つしか存在しないだろうという主張。渦巻星雲は、銀河系の内部ないし周縁に漂う小さな天体なのだろうとした。
- 渦巻星雲も銀河だよ派
- 渦巻星雲が発する光は明らかにただの星雲(ガスの塊)と違って、恒星が放つ光と同じスペクトルなので、こいつらも独立した銀河(恒星の大集団)なんじゃね?という考え。銀河系も渦巻星雲も円盤状という共通点があるのもポイントだ。銀河系がぼっちでないのだとすれば、宇宙は滅茶苦茶でかいということになる。
アメリカの天文学会では両派を代表する偉い天文学者によるガチンコのディベートが繰り広げられていた。が、どちらも決定的な証拠を欠いていた。渦巻星雲までの距離が測定出来なかったからだ!
そんな中、1922-23年にかけてハッブルはアンドロメダ座の大星雲 M31 などいくつかの渦巻星雲を100インチ望遠鏡で撮影して、それらの写真の中から変光星の一種であるケフェイドをいくつか発見した。このケフェイド、明るさが増減する周期と平均的な明るさの間に一定の関係があるので、変光周期を観測すれば、そこから導き出される真の明るさと見かけ上の明るさを比べて距離を割り出せるという便利な天体なのである。
ケフェイドから割り出された M31 までの距離は約90万光年。当時、銀河系の直径はどんなに大きく見積もっても30万光年とされていたので、明らかに M31 は銀河系の外にある別の銀河(系外銀河)と考えるしかなかった。かくして大論争は「渦巻星雲も銀河だよ派」の大勝利で終わる[2]。ちなみに、現在では M31 までの距離は約230万光年、銀河系の直径はおよそ10万光年と見積もられている。
ハッブルの法則
ハッブルが次に注目したのは、銀河の「赤方偏移」である。これは読んで字の如く、銀河が発する光のスペクトルが赤寄り、つまり波長が長い方にずれて見える現象だ。銀河のような天体の光には、「この波長は突出して明るいはず」「逆にこの波長はほとんど発していないはず」という性質がある。赤方偏移を起こしている銀河では、本来よりも少し長い波長の部分が突出したり凹んだりしている。この波長の差が「赤方偏移の大きさ」だ。ちなみに波長が短くなる場合は「青方偏移」と呼ばれる。
銀河の赤方偏移自体は早くも1912年にアメリカの天文学者ヴェスト・スライファーが見つけている。そしてそれは銀河(当時はまだ渦巻星雲との認識だったが)が地球から見て高速で遠ざかっているのだと解釈された。遠ざかる救急車のサイレンが、音波が引き延ばされることによって低くなるのと同様、遠ざかる銀河が発する光も引き延ばされているというわけだ。いわゆるドップラー効果である。
銀河ごとに赤方偏移の値、すなわち地球から見た後退速度はバラバラで、そこに法則性を見出すことも意味を見つけることもできない状態が続いていた。しかし銀河までの距離を測定する手段を得ていたハッブルは、助手のミルトン・ヒューメイソンと協力して観測を重ねた結果、「銀河が地球から遠ざかる速度はその銀河までの距離に比例する」というハッブルの法則を発見したのである。
この結果を1929年の論文で発表したとき、ハッブルはこの法則が成立する理由についてあまり深入りしようとしていない。だがこれは宇宙が膨張している証拠になるのだ。
水玉模様の風船を膨らむ様子を想像すると分かりやすい。膨らんでいる間、一つの水玉に注目していると、周りの水玉がどんどん遠ざかっているように見えるはずだ。そして元々遠くにあった水玉ほど、遠ざかる速度は速い。下の図でも、元々近くにあった銀河までの距離(青い矢印)よりも遠かった銀河までの距離(赤い矢印)の方が増加分が大きいことがお分かりいただけるだろうか。なお、風船の水玉や下の図と違って銀河そのものが膨らむわけではないので誤解のなきよう。
膨張すると……→
ハッブルとヒューメイソンの発表を知って \(^o^)/ な状態の物理学者がいた。アインシュタインである。彼が1916年に発表した一般相対性理論からは「宇宙は膨張したり縮んだりする」という帰結が出ていたため、宇宙は静止しているはずだと信じていたアインシュタインはわざわざ「宇宙項」という新しいパラメータをねじ込んでまでこれを防止していたのに、観測から宇宙が本当に膨張している証拠を突きつけられてしまったからだ。この辺の詳しい経緯と「宇宙項」がたどった運命については暗黒エネルギーおよび真空の記事も参照されたい。
ちなみに、一般相対性理論を解いて「宇宙が膨張する」という結論を導いた研究者として有名なのがロシアのアレクサンドル・フリードマンとベルギーのジョルジュ・ルメートルである。このうちルメートルは理論側から攻めるだけにとどまらず、スライファーとハッブルたちの観測結果を利用して独自にハッブルの法則を発見して1927年に発表しているのだが、悲しいかな論文はフランス語でベルギーのマイナーな学術誌に投稿してしまったため当時はほとんど日の目を見なかった。
そんなわけでハッブルを「宇宙膨張の発見者」と言ってしまうのは語弊があるが、「えっ、宇宙は膨張してたの!?」と当時の人々に衝撃を与えて宇宙観を変えてしまったのは間違いなく彼の功績である。
彼の名を冠したハッブル宇宙望遠鏡は、素晴らしい観測成果を連発して現代の私たちに衝撃を与えるとともに宇宙に対するイメージも変え続けている。
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関連項目
脚注
- *イリノイ州高校協会の公式記録より。それによればハッブルが大会で獲得したメダルはこの1個だけ。Wikipediaなどには「一つの陸上競技大会で1位7個、3位1個を獲得」「さらに走り高跳びではイリノイ州の記録を更新」といった記述があるがソースは不明。
- *細部では「銀河系ぼっち派」の方が正しい部分もある。たとえば、「渦巻星雲も銀河だよ派」は太陽系が銀河のほぼ中心に位置していると考えたのに対して、ぼっち派は少しはずれた所にあるだろうと正しく予想していた。
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