エンゴロ・カンテ(N'Golo Kanté, 1991年3月29日 - )とは、フランスのサッカー選手である。
サウジアラビアのアル・イテハド所属。サッカーフランス代表。
概要
小柄な体格ながらも圧倒的な運動量でピッチの広範囲をカバーしつつ、驚異的なデュエルの強さとボール奪取力を売りにする世界最高峰の守備的MFであり、特に相手からボールを奪い取る技術は世界一と称されている。
23歳までトップリーグでのプレー経験が無い遅咲きの選手だが、フランスのカーンで頭角を現し、2015年に移籍したレスター・シティで「奇跡の優勝」に大きく貢献したことで一躍世界的にも有名な選手となる。その後、ビッグクラブであるチェルシーFCへ移籍すると、すぐにチームに欠かせない選手となり2017年にプレミアリーグ優勝、2021年にはUEFAチャンピオンズリーグ優勝という栄冠を手にしている。また、フランス代表としても、2018 FIFAワールドカップ優勝に貢献している。
世界的なスター選手となった後も派手な生活を好まず、真面目で謙虚な性格の持ち主であることで知られている。遅刻癖があるらしいが、愛嬌のあるキャラクターでチームメイトやサポーターから愛されている。
経歴
両親は1980年にフランスへ移住したマリからの移民であり、パリ郊外のリュエイユ・マルメゾンで生まれ育つ。家庭は非常に貧しく、幼少の頃から何キロも歩きながらゴミを拾い、そのゴミをリサイクルセンターに運ぶ作業をして働いていた。しかし、ゴミ拾いだけでは貧困のサイクルから抜け出すことはできないと考え、何か他の道を探していた。
1998年ワールドカップでフランスがワールドカップ優勝を飾り、そのときのフランス代表に自分と同じ移民の選手が多くプレーしていたことから影響を受け、それまで一度もサッカーを見たことがなかったが、サッカー選手としてのキャリアを考えるようになる。
10歳のときに地元パリの小さなクラブであるシュレンヌでキャリアをスタート。当時から体は小さかったものの、チームの誰よりも走り、誰よりも戦い抜く選手だった。
ブローニュ時代
9年間シュレンヌでプレーした後、2010年にUSブローニュのユースに入団。2012年5月13日、リーグ・ドゥのASモナコ戦でトップチームデビューを果たす。しかし、この年チームは19位でシーズンを終え、3部へ降格となる。
フランスの3部に相当するナシオナル・チャンピオンシップでプレーすることになった2012-13シーズンにはチームの主力として活躍し、37試合に出場し3ゴールを記録している。リーグ・ドゥへの昇格は果たせなかったものの、ブローニュでの活躍がスカウトの目を引き、ステップアップを果たすことになる。
カーン時代
2013年にリーグ・ドゥのSMカーンへ移籍。背番号は17。加入1年目からリーグ全試合に出場し、持ち前の無尽蔵のスタミナを駆使してクラブのリーグ・アン昇格に貢献する。
自身初となる1部リーグでのプレーとなった2014-15シーズンでも堂々としたプレーを披露。公式戦39試合3得点とフル稼働し、トップレベルでも十分にやっていけるプレイヤーであることを証明する。守備面で違いを作り、リーグ・アン残留に大きな働きを見せる。
レスター時代
2015年にイングランド・プレミアリーグのレスター・シティへ移籍。背番号は14。当初はサイドやFWとして途中出場することが多かったが、第7節・アーセナル戦で5失点を喫したことから、クラウディオ・ラニエリ監督が献身的な守備を持ち味とするカンテをボランチへと固定。以降ハードワークでレスターを助け、堅守速攻をベースに奇跡的な躍進を遂げるレスターにとって欠かせない存在となる。最終的に37試合に出場し、誰もが予想できなかったレスターのプレミアリーグ優勝に大きく貢献。レスター加入前は無名の存在だったカンテは、この「おとぎ話のような」シーズンの活躍により、一躍世界的な名手として名を馳せることとなり、オフシーズンにはあまたのビッグクラブによる争奪戦が繰り広げられる。
チェルシー時代
2016年7月16日、プレミアリーグのチェルシーFCに5年契約で完全移籍することが発表される。背番号は7。移籍金は3200万ポンドとされ、レスター加入時の評価額の4倍にまで上昇している。その献身的なスタイルですぐさまアントニオ・コンテ監督の信頼を掴み、中盤のダイナモとして定着。2016年10月15日に古巣のレスターを相手にMOMに選ばれる活躍を見せる。首位を走るチェルシーのキーマンとして高い評価を受け、PFAの年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞をダブル受賞するなど、チェルシーのプレミアリーグ優勝に大きく貢献。個人としては、移籍を挟んで2年連続でプレミアリーグ優勝を果たしている。
2シーズン目となった2017-18シーズンも引き続きチェルシーの中盤に欠かせない存在として活躍。他のチームはいかにカンテが守るエリアを避けてボールを運ぶかを考えるようになるほどだった。このシーズンに初めてUEFAチャンピオンズリーグのピッチにも立っている。選手とコンテ監督の確執が表面化し、不安定なチーム状況の中でも安定したプレーを続けていた。
2018-19シーズンは就任したマウリツィオ・サッリ監督がボールポゼッションを重視するスタイルのため、アンカーの位置にプレーメーカータイプのジョルジーニョが置かれ、1列前のポジションで起用されるようになる。慣れないポジションと役割への適用に苦しみ、サッリ監督の起用法に疑問の声もあがっていたが、徐々に攻撃面でも違いを生み出せるようになり、パスワークとボール運びでも貢献できる選手へと進化するようになる。2019年5月29日には、UEFAヨーロッパリーグ優勝に貢献し、同大会の最優秀選手に選ばれる。
2019-20シーズンは、開幕前に負った膝の負傷で出遅れることとなり、さらに2019年9月にフランス代表に参加した際に足首を負傷し、戦線を離脱。復帰後またも10月の代表戦後に負傷を負う。このとき、フランク・ランパード監督はフランス代表監督のディディエ・デシャンを批判している。これまで常にシーズンをフル稼働していたが、このシーズンはハムストリングを痛めるなど負傷を繰り返し、結局リーグ戦での出場は22試合に留まり、シーズンの半分近くを離脱することとなった。
2020-21シーズンは、ランパード監督との確執が報じられるようになり、チェルシーからの退団が噂される。2021年1月にトーマス・トゥヘル監督が就任した当初はコンディション不良もあってスタメンを外れていたが、マテオ・コバチッチの負傷離脱もあってスタメンに返り咲くと、レアル・マドリードを下したCL準決勝の2試合で攻守両面での重要な働きを見せて勝利に貢献。サッリ監督時代に培ったパス捌きやプレッシング回避技術がトゥヘル監督の戦術の中で役立つようになる。シーズン終盤のプレミアリーグで負傷を負うが、2021年5月29日のCL決勝には間に合わせる。ここでもマンチェスター・シティを相手にチームの心臓として重要な働きを見せ、ビッグイヤー獲得に大きく貢献。攻守に渡って大きな存在感を示し、決勝のMOMに選ばれている。
2021-22シーズン開幕前後の時期に負傷を繰り返し、万全の状態でスタートを切れなくなる。それでも復帰後はチームに安定感をもたらすと、11月23日のプレミアリーグ第12節古巣のレスター戦ではドリブル突破からミドルシュートを叩き込むスーパーゴールで勝利に貢献する。チームでの重要度は変わらず、トゥヘル監督からも大きな信頼を寄せられるものの、新型コロナウィルス感染や筋肉系や膝の怪我を繰り返してシーズンの半分くらいしか稼働できず、チームも優勝争いから脱落し無冠に終わる。
2022-23シーズンも第2節のトッテナム戦でまたも右ハムストリングを負傷し戦線を離脱。一度は復帰したが、練習で再度負傷してしまい、2022年10月18日にクラブ側から手術をおこなったことが発表され、結果的に半年間の長期離脱を強いられ、シーズンの大半を棒に振ることに。
アル・イテハド
2023年6月20日、サウジアラビアのサウジ・プロフェッショナルリーグに所属するアル・イテハドへの移籍が発表される。契約内容は年俸2500万ユーロ(約38億5000万円)の4年契約とされている。
加入後はリーグ戦、AFCチャンピオンズリーグと稼働し、全盛期を思わせるようなパフォーマンスを披露。2023年12月13日にはFIFAクラブワールドカップ開幕戦のオークランド・シティ戦でゴールを決めている。
フランス代表
それまでアンダー世代を含めた代表には縁が無かったが、レスターで見せた活躍がディディエ・デシャン監督に認められ、2016年3月に初めてフランス代表に選出される。3月25日のオランダ戦で代表デビューを果たし、4日後のロシア戦で代表初ゴールを記録。
2016年6月に開催されたUEFA EURO2016のメンバーにも選出される。当初はボランチの位置でレギュラーとして出場していたが、ラウンド16のアイルランド戦で前半で交代させられて以降はサブとなり、決勝のポルトガル戦では出場機会が無かった。
EURO2016以降は完全に代表の主力として定着し、ポール・ポグバやブレーズ・マテュイディと共にフランスの中盤を支える存在となる。ロシアW杯欧州予選では7試合に出場し、スウェーデン、オランダといった強豪と同居したグループを首位で通過しての本大会出場を達成している。
2018年6月には、27歳にして初出場となる2018 FIFAワールドカップ ロシア大会に出場。開幕から決勝までの全試合にスタメンとして出場し、フランスの中盤の守備の要として活躍。グループリーグ第3節のデンマーク戦ではMOMに選ばれている。決勝のクロアチア戦では、ルカ・モドリッチとのマッチアップに苦しみ、戦術的な理由で後半10分に交代したものの、フランスの2度目のワールドカップ優勝に大きく貢献したプレイヤーとして称えられている。
ワールドカップ後は、フランス代表に参加する度に負傷してしまい、そのたびに戦線離脱になっていることからフランス代表と所属するチェルシー側で軋轢が起きたこともある。2020年11月4日のUEFAネーションズリーグ、ポルトガル戦でおよそ4年ぶりとなるゴールを決めている。
2021年に開催されたEURO2020では、前回と違ってチームの大黒柱的な存在となり、4試合全てにフル出場するが、ポール・ポグバら中盤に攻撃色の強い選手が起用されたことでカバーしければならない負担が増えてしまい、守備を安定させることができず、ラウンド16でPKの末にスイスに敗れている。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2011-12 | ブローニュ | リーグ・ドゥ | 1 | 0 | |
2012-13 | ブローニュ | ナシオナル | 37 | 3 | |
2013-14 | カーン | リーグ・ドゥ | 38 | 2 | |
2014-15 | カーン | リーグ・アン | 37 | 2 | |
2015-16 | レスター・シティ | プレミアリーグ | 37 | 1 | |
2016-17 | チェルシー | プレミアリーグ | 35 | 1 | |
2017-18 | チェルシー | プレミアリーグ | 34 | 1 | |
2018-19 | チェルシー | プレミアリーグ | 36 | 4 | |
2019-20 | チェルシー | プレミアリーグ | 22 | 3 | |
2020-21 | チェルシー | プレミアリーグ | 30 | 0 | |
2021-22 | チェルシー | プレミアリーグ | 24 | 2 | |
2022-23 | チェルシー | プレミアリーグ | 7 | 0 | |
2023-24 | アル・イテハド | サウジ・プロフェッショナルリーグ |
個人タイトル
- PFA年間ベストイレブン:2回(2015-16、2016-17)
- PFA年間最優秀選手賞(2016-17)
- FWA年間最優秀選手賞(2016-17)
- プレミアリーグ最優秀選手賞(2016-17)
- フランス年間最優秀選手賞(2017年)
- 海外年間最優秀フランス人選手賞:2回(2017年、2018年)
プレースタイル
ハードワークを持ち味とするレスターの中でも特に運動量が豊富な、機動力のあるボランチ。フランス代表で活躍し、レアル・マドリードやチェルシーでも活躍したクロード・マケレレの後継者とも言われている。
元々FWの選手だったこともあり、ボランチとしては破格の攻撃センスと縦への推進力を持ち合わせており、汗かき役だけに留まらず、決定的なパスやサイドからのクロスを供給することもできる。
その中でも特筆に価するのは何と言ってもまたボール奪取能力である。165cmの小柄な体からは考えられないほどのパワフルなタックルを持ち味としており、レスターが優勝した2015-16シーズンでは26試合を消化した時点でタックル成功回数79回、パスカットに関しては109回成功している。
メインポジションは中盤の底だが、マウリツィオ・サッリ監督によってインサイドハーフでもプレーするようになり、攻撃的なタスクもこなす頻度が増えている。
エピソード
- 11歳の時に父親が他界。幼くして家族の家計を支えることになる。ロシアW杯開幕前には兄を亡くしている。
- レスター加入時に大衆車であるミニ・クーパーを購入し、給与が大幅にあがったチェルシー在籍後も高級車に乗り換えず、ミニ・クーパーを乗り続けている。
- プロサッカー選手になる前は会計士の勉強をしていた。
- 謙虚でシャイな性格と知られている。ロシアW杯に優勝したときは、優勝の立役者にもかかわらずなかなかトロフィに触ることができなかった。
- 2018年9月、パリへ帰宅する際にロンドンのモスクで祈りを捧げているとうっかり終電に逃し、街を彷徨うことに。見かねたアーセナルサポーターの計らいで家に泊めてもらう。泊めた男性はツイッターでカンテの謙虚さを力説していた。
- スター選手であるにもかかわらず、服装は非常にラフで庶民的。セスク・ファブレガスの結婚式に参列した際は白シャツに短パン、スニーカーという服装だった。
- 練習への遅刻が多く、マウリツィオ・サッリ監督時代にはチーム内で最も罰金が多かったとチームメイトが明かしている。
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関連項目
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