エーリッヒ・フロム(1900-1980)とは、ドイツの社会心理学、精神分析の研究者である。ユダヤ人。『自由からの逃走』(1941)を発表し、「ファシズムがどうして生まれるか」を明らかにした。
略歴
ナチス・ドイツの台頭とともに亡命を余儀なくされたフランクフルト学派の一人。ファシズムの本質を見極めそれにどう対抗するかを理論的に解明しようとした。代表的な『自由からの逃走』はファシズムが単に偶然的な現象で起きたわけではなく、近代という時代から必然的に生み出された帰結であることを説明している。
思想のバックボーン
フロムはフロイトとマルクスとウェーバーを支柱に理論を構成した。ジークムント・フロイトに関しては、フロイト理論を社会的観点から捉え直し、新フロイト派あるいはフロイト左派[1]と呼ばれる立場から理解しようとした。
また社会的要因は、カール・マルクスの思想から取り入れている。ただし、フロムが評価するマルクスの思想は、正統派ロシア・マルクス主義ではなく、1930年代に発掘された青年マルクスの思想である。フロムは、マルクスの『経済学・哲学草稿』に解説をつけて、『マルクスの人間観』を出版している。フロムは、マルクスが人間の社会的疎外を解明した点を評価する。
しかし、フロムはマルクス主義の社会分析のように経済的要因だけに力点を置いたわけではない。フロムは、マックス・ウェーバーを援用しながら、イデオロギーの役割を重視している。マルクス主義にとって、イデオロギーは土台である経済的要因に対する上部構造として独立した意義を持たなかった。そこにウェーバーは、宗教や精神といった、イデオロギーが果たす役割を見出している。フロムの社会心理学もこの路線を継承する。
ファシズムがなぜ生じたか
通常の理解では、ファシズムが広がったのは、大衆がナチスの指導者たちに欺かれたり、弾圧されたからであるとする。これに対して、フロムと同じくユダヤ人の精神分析家、ヴィルヘルム・ライヒ[2]は、1933年に『ファシズムの大衆心理』を出版して、大衆が欺かれたわけではなく、自発的にファシズムを欲望したと主張した。このライヒの観点を継承しつつ、フロムは「社会的性格」という考えに基づいて理論を展開する。社会的性格は、一つの集団に共通している性格であるが、フロムはファシズムに特有な社会的性格として「権威主義的パーソナリティ」を取り出した。権威主義的パーソナリティは、権威を讃え、力ある者には服従するが、力の弱い者には強圧的に支配する。
フロムによれば、そうした権威主義的パーソナリティは、ナチスの指導者だけではなく、大衆の心理構造でもある。この権威主義的パーソナリティを理解するため、フロムは更にサディズムやマゾヒズムといった心理的衝動にまで言及している。サディズムは破壊的な形で他人を絶対的に支配しようとし、マゾヒズムは他の圧倒的な力に服従することで、その力の栄光と強さに参加する。サディズム的衝動とマゾヒズム的衝動が共存する中でファシズムが勢力を伸ばしたとフロムは理解する。
近代の帰結
フロムはファシズムの発生を近代全体に求めている。このとき、ファシズムと同時にアメリカのデモクラシーについても問題にしている。ドイツのファシズムとアメリカのデモクラシーは、近代に由来する同じ病理に侵されていると説明する。
そこでウェーバーが「プロテスタンティズム」[3]を分析したのと同じように、フロムは中世社会から近代社会への移行を描く。それによると近代人は「中世社会の伝統的絆からの自由」は獲得した。しかし、それは同時に「個人に孤独と孤立の感情」をもたらしたのである。ここでフロムは、自由に二つの意味を見出す。一つは「何々からの自由」で、消極的自由と呼ばれる。もう一つは「何々への自由」で、積極的自由と呼ばれる。近代人は、消極的自由は獲得したにも関わらず、積極的自由はまだ手に入れていない。その為近代人は孤独と無力感にさいなまれている。
こうした孤独と無力感に、偽物の解決を与えるものがファシズムに他ならない。つまり強力な指導者に服従することで、孤独と無力感を解消しようとするわけである。これが真の意味での解決でないのは言うまでもないが、それでも大衆は自由からファシズムへと逃走したとフロムは説明する。この“逃走”は自由主義を取り入れている社会ならば普遍的に当てはまる為、アメリカ社会でも生じうる現象である。
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関連項目
脚注
- *精神的な病理をフロイトはもっぱら性、欲望(リビドー)に基づいて理解したのに対して、社会的な要因から説明しようとする立場。
- *1897-1857、オーストリア出身の精神分析家。精神分析とマルクス理論の綜合を図るとともに、抑圧的な性道徳を批判したことでも知られる。『ファシズムの大衆心理』は、現在でもファシズム論の基本的文献として挙げられる。
- *マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、キリスト教のうちプロテスタントの世俗内禁欲が資本主義の「精神」を促したという説明をし、近代資本主義の成立を論じた。
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