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オウンオピニオン
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オウンオピニオン(Own Opinion)とは1975年生まれのインド競走馬

インドシンザン」である。

インドシンザン」である!

概要

Simead、PuritaCornish Flameという血統。非常に意外なことに、オグリキャップとして有名な*シルバーシャークの直のコーニッシュフレームは名ハイペリオンの直であり、血統は当時としては悪くない。

ただし、本自体は体重が400kgを切るくらいの小さなで、見栄えはしなかった。しかし、非常に根性のあるで、69kgの斤量して勝った事もあるらしい。

通算戦績は43戦27勝。インドセントレジャーなどに勝っている。現在でもインド最強補として名前が挙がる一頭であるらしい。

なおインドでの競馬歴史日本よりも古く、アジア圏では最初に近代競馬が行われたとされている。レース体系もイギリスクラシック三冠(2000ギニー→ダービーセントレジャー)だったりと植民地支配していた英国式。

シンガポール競馬止を迎える2023年現在インドでの競馬は脈々とその歴史を繋げており、際セリ名簿基準委員会(ICSC)のパートに属している。日本との関係も深く、ハクチカラ種牡馬としてインドに寄贈したり、牧場調教を行うスタッフにもインド出身の方々が多かったりと結構密接だったりするのだ。近年もサンデーサイレンス産駒ウインレジェンドディープインパクト産駒のフィエロ・サトノインプレッサなどがインドへ輸出され、種牡馬として活動していたりする。

第1回ジャパンカップ

さて、このオウンオピニオン。1981年の第1回ジャパンカップに出るべく来日している。

え? なんで? どうやってって? いやいや。招待されたから来たんですよ。JRAに。じゃないよ。

この時のジャパンカップ、実は日程等の問題もあってヨーロッパは招待されていなかったのである。アメリカカナダが招待され、それじゃあ寂しいからとでも思ったのか、更にインドトルコから各1頭が招待されたのであった。

やってきたオウンオピニオン。しかしながら、このがどんなであるのか、も知らなかった。インド競馬があることすら多くのファンは知らなかっただろう。インドセントレジャーとかで20勝以上もしてんだよ、なんて言ったってピンと来ないよね。当時の競馬記者の人も紹介記事を書くのに頭を悩ませた事だろう。

要するに「インドでは歴史的名なんだよ」という事が分かれば良いのだ。そうしてかが考え出したキャッチフレーズが「オウンオピニオンは『インドシンザン」である。

いや~、素晴らしい。当時のファンはそれを1回聞いただけで二度と忘れなかっただろう。つーか、未だに「インドシンザン」=オウンオピニオンで通じるから凄い。というか、オウンオピニオンの名前は知らなくても「インドシンザン」と言われたがいた事は知っているという競馬ファンも多いだろう。

ちなみに、同時に来日したトルコのデルシムには「トルコヒカルイマイ」なるキャッチコピーがついたのだが、こっちは出走を取り消してしまったからか今ではすっかり忘れられている。

さて、この「インドシンザン」。来日してみると、名前だけではく色々とネタに溢れたなのであった。ぶっちゃけをターバンを巻いたインド人がいているだけでも相当シュールに見えた。

更に、このを履いていなかったインドには蹄の習慣がかったからである。更に、額にはなぜか真紅ルビーが埋め込まれていた

そのあまりのインパクト競馬ファン記者は沸き立ち、噂は噂を呼んで更に尾ひれがついた挙句、

などなど、どう考えてもでたらめな噂が乱れ飛んだのであった。もちろん、ほとんどがである。が、「履いてない」とルビーの話は事実である

さて、オウンオピニオンはジャパンカップのステップレースとしてオープン戦(現在富士ステークス)に出走した。外招待がステップレースに出るなんて例は現在でもあんまりい。マジで勝ちに来ていたのかもしれない。当時のJC世界最高賞(6500万円)のレースだったし。

ちなみにこのレース日本で初めて行われた際競走である。オウンオピニオンはとして初めて日本競馬に出走したとなった。

もちろん蹄を履かずに出たこのレース。彼は7頭中5番人気に支持された。よほど「インドシンザン」が効いたのであろう。彼はスタートと同時に飛び出し逃げを打ち……ドンケツゴールした障害にも先着されるという、ダントツの最下位であった。誰だよ「インドシンザン」だとか言ったは!

がっかりしたのはファンだけではなく、インドの関係者もあまりの負けっぷりに意気消沈。「もう帰る!」と言い出してJRA必死でなだめたという話である。

そして本番のジャパンカップ。オウンオピニオンは例によって蹄を履かずに出走。当たり前だが蹄を履かずにジャパンカップに出たは彼が最初で最後である。まあ、未来永劫続くものは出ないだろう。ちなみに人気は15頭中15番人気ドンケツである。

オウンオピニオンは結構良いスタートから、ハイペースを6番手くらいで追走。おお、一叩きして本領を発揮したのか? というような良い走りっぷりを見せる。

が、直線でおいてきぼりにされて結局13着。ただし、カナダブライドルパースとの壮絶な叩き合いを差制しての13着である。人気を上回ったのだから胸をっても良いかもしれない。まあこの時は、カナダアメリカの二流日本の一流フルボッコにされまくって競馬ファンは愕然としていたので、もオウンオピニオンなんか見ていなかった訳だが……。

オウンオピニオンは悄然と帰引退後はハクチカラが繋養されていたクニガル牧場で供用されたが「種付け料が高すぎるし身体も小さい」ということで1980年代後半には放出されてしまい、後継種牡馬を残せないままその後消息を絶ったという。

彼以降、ジャパンカップインドからのが招待される事は二度とかった。彼があまりに弱かったからという訳ではない。衛生状態に問題がある(と思われている)インドトルコのようなから来たと一緒に走る事をヨーロッパ競馬関係者が嫌がるからだとか。JRAにしてみればヨーロッパの一流にこそ来て貰いたいのだから、その妨げになるようなを招かなくなるのは止むを得ないというところなのだろう。

だが、責任な一ファンの意見では、またインドトルコが来てくれれば面いのになぁとも思うのだ。オウンオピニオンの血を引く(いるのか?)や、血統表ハクチカラの名が入っている日本のターフを駆けるのを見れば、きっと競馬ファンの胸が熱くなると思うのだが。トルコにはディヴァインライトやらヴィクトワールピサ(!)やらも種牡馬で行ったことだし。

オウンオピニオンの血を引くが、彼が「インドシンザン」の名に恥じぬ名であった事を、日本明してくれる日を待ちたい。

血統表

Simead
1968 栗毛
*シルバーシャーク
1963 芦毛
Ruisson Ardent Relic
Rose o'Lynn
Palsaka Palestine
Masaka
Meadow Pipit
1961 栗毛
Worden Wild Risk
Sans Tares
Rising Wings The Phoenix
Skylarking
Purita
1968 鹿毛
FNo.6-f
Cornish Flame
1948 栗毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Stratton Street Fairway
Devonshire House
Pashmina
1959 鹿毛
Fair Aid Nasrullah
Fair Portia
Tosca Tarquinius Superbus
Big Blaze
競走馬の4代血統表

クロスNearco 5×5×5(9.38%)、Fair Trial 5×5(6.25%)

意外と? 日本にも染みのある血統が多く入っている

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1 ななしのよっしん
2012/07/06(金) 21:48:44 ID: 5hRcervbwO
ビリのミスターマチョはブライドルパースから遅れること7身だったw

しかし単純な着順だけで言えば
クラマカン>メジロファントム>>>>ラフオンテース>>>>>>>>>インドシンザン
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2 ななしのよっしん
2014/04/26(土) 12:24:03 ID: sH6kS02qgF
なんでインドの「シンザン」なんだろうと思ったけど
当時の最強と言えばシンザンで「インド最強インドシンザン」ということなのかな
でもライバルロイヤルターン(32戦26勝、インド2000ギニー・ダービー)の方が強いかも
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3 ななしのよっしん
2022/11/12(土) 15:47:27 ID: 15EXU7eChG
戦績的にインドシンザンよりもインドハクリヨウに近い
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4 ななしのよっしん
2023/01/15(日) 23:34:32 ID: qKx+9mnlmk
強い弱い以前に文化の違いを感じるな
インドが再び際競争の舞台に立つことはあるのだろうか
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