オサイチジョージとは、日本の元競走馬・種牡馬である。
古馬実績がすごいことになっていた1989年クラシック世代において、唯一の古馬GI勝ち馬。そして長らく続いていた"平成三強"時代を終わらせることになる一頭である。
主な勝ち鞍
1989年:神戸新聞杯(GII)、中日スポーツ賞4歳ステークス(GIII)
1990年:宝塚記念(GI)、金杯(西)(GIII)、中京記念(GIII)
概要
父はノーザンテースト・マルゼンスキーと覇を競った大種牡馬ミルジョージ、母サチノワカバ、母の父ファバージという血統。叔父に阪神3歳ステークスを勝ったカツラギハイデンがいる。この時代だとイナリワンや同期の南関東三冠馬ロジータもミルジョージ産駒。当時の日高には割とありふれた感じの配合であり、祖母サチノイマイが菊花賞馬アカネテンリュウの全妹であることを考慮してもそんなに良血とは言い難い感がある。すでに存在感が危うい。
(以下、馬齢表記は旧齢表記)
1988年
3歳の秋にデビューするが2連続2着し、使い詰めで連闘までして3戦目で勝ち上がるが、脚部不安で長期休養を余儀なくされ、皐月賞・ダービー戦線から離脱してしまう。もし無事だったら皐月賞はおそらく結構いい勝負になったので、非常に惜しいことになってしまった。存在感が霞む。
1989年
4歳の4月、皐月賞で道営からやってきたドクタースパートが泥田んぼを突き抜けた後に復帰し、条件戦とオープンクラスを連勝。無茶すればダービーにも出られたが、距離適性が短いところにあると踏んだ陣営は当時残念ダービーの様相もあったマイルの重賞ニュージーランドトロフィーに出走するが一番人気を背負い3着に敗れる。どうやら後ろにつけすぎたらしい。ぐぬぬ。
しかし当時名マイラー・中距離馬の登竜門的存在だった中日スポーツ杯4歳ステークスは二番手から押し切り重賞初制覇。夏を越して神戸新聞杯も勝つ。おお!強い上がり馬!輝いてるぞオサイチ!
どっこい次走の京都新聞杯は距離が伸びたこともあったか、位置取りが後ろすぎたのかもう一頭の上がり馬バンブービギンに敗退してしまう。おお…なぜに…
そして本番菊花賞。ダービー馬ウィナーズサークルとも差のない三番人気に推され積極的に先行するが4角であっぷあっぷになり12着。ああ、また影が薄く…
1990年
適距離なら捨てたもんじゃない。明け5歳初戦の金杯は4角で押し上げていくいつもの競馬で快勝。続く中京記念も大まくりを仕掛けたタニノスイセイを正攻法でねじ伏せ重賞連勝。すごいぞオサイチ!
自信を持って大阪杯でスーパークリークに挑むが、先行し4角で押し上げる走法はスーパークリークも十八番中の十八番であり、完全にねじ伏せられて2着に敗れた。
安田記念で今度はオグリに挑むが、大阪杯で破ったヤエノムテキにすら先着され、オグリのスターたる強さを見せつけられ3着。忌々しきかな、オグリ世代…
しかし、続く宝塚記念では逃げたシンウインドを4角で捉え堂々と先頭に立つと、伸びずもがくオグリを完封。3馬身1/2差をつけ完勝する。やったぜオサイチ!お前がナンバーワンだ!ついでに主戦の丸山騎手もGI初勝利。やったね!
……と、めでたいことづくしの状況だったが、誰もろくに祝ってくれなかった。この日は阪神競馬場の大改修工事前、最後の開催日。そしてオグリの関西ラストランであり、みんなオグリに注目していたのだった。オグリが不調だったとか衰えが少し見えたかなとか、乗り替わったオグリの鞍上・岡潤一郎の騎乗が下手だったとか、みんなそんなんばっかり言って、圧倒的な差をつけて押し切ったオサイチの実力は顧みられなかったし認められなかった。ひどい。
挙句の果てにはオサイチが水差したせいで遠征中止になった!アメリカを走るオグリが見られなかった!空気読めよ!とかそんないちゃもんすらあったとかなかったとか。んなもん知らんがな……。
しかしこの宝塚制覇は平成三強の終焉をもたらし、イナリワンはこのレースを最後に引退。直前で回避したスーパークリークも秋に一戦した後脚部不安で引退し、オグリキャップも秋天、JCと惨敗する事になる。そして何より1989年クラシック世代初にして唯一の古馬GI制覇。同世代の名誉は彼の激走によって護られたのである。
そして秋。イナリワンも去りスーパークリークもGIを前に引退と世代交代の為も非常に大事だった時期なのだが……嗚呼、かの激走は彼の中から活力を奪い去ってしまった。毎日王冠では得意の先行4角押し上げ戦法で押し切りを狙ったが伸びず4着。
秋の天皇賞では6番手からジリジリとしか伸びず4着。ジャパンカップでは思い切って逃げるが13着惨敗。Oh…
そして年末の大一番有馬記念では逃げてスローに持ち込み粘るが、オグリの大復活の前に4着好走も霞んだ。おのれ…
ちなみにこの有馬記念のスローペースはオグリ復活において結構重要なファクターであった。そのペースを作ったのは逃げたオサイチ……なんてこった。そしてみんなはやっぱりオグリの奇跡に目を奪われ、あとはせいぜい、メジロライアンがまだ若手時代だった横山典弘乗っけて惜敗だよ、仕方ねぇなあ……とかそれくらいの感想で、その他の馬はほとんど無視されていた。馬券オヤジ的にも4着は何もありがたみはないからなおさら眼中になかっただろう。ひどい。
1991年~引退後
そして迎えた6歳シーズン。オグリよろしく復活……は残念ながら果たせず、得意条件でもボロボロになり惨敗続きのまま引退となった。
引退後は種牡馬となったが、有力馬を出せず用途変更となり、その後の消息は不明である。オグリキャップやスーパークリーク、イナリワンが種牡馬として失敗しながら悠々と余生を送ったのに対し、なんと残酷なコントラストであろうか。
産駒の一頭ヤマノシルエットは、中津競馬場廃止のゴタゴタに巻き込まれて廃用処分となる悲劇に見舞われた。これは、同市が廃止の補償を一切しないと宣言した(その後法廷闘争などの末にわずかに和解金が支払われた)ことが原因であり、これを批判する文脈で、週刊誌に屠殺場へ送られる様子が写真付きで掲載されたのが彼女の最期の姿だった。
余談ながら主戦の丸山騎手は、オサイチ引退の翌1992年に同僚の記念品をくすねて質屋に売っぱらって逮捕。有罪判決を喰らいJRAから追放された。なんという…
一つ上のオグリキャップ世代、一つ下のメジロ牧場最盛期世代に挟まれた1989年クラシック世代は、最弱世代のテンプレ的存在として軽んじられているのが実情である。その中にあって、一世一代の大激走で、「89世代は古馬混合GI未勝利の史上最弱世代」と切り捨てられる不名誉を阻止し、しかし寂しい末路をたどったオサイチジョージの姿は、決して忘れてはならない存在であろう。
血統表
*ミルジョージ Mill George 1975 鹿毛 |
Mill Reef 1968 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
Milan Mill | Princequillo | ||
Virginia Water | |||
Miss Charisma 1967 鹿毛 |
Ragusa | Ribot | |
Fantan | |||
*マタテイナ | Grey Sovereign | ||
Zanzara | |||
サチノワカバ 1980 鹿毛 FNo.16-c |
*ファバージ 1961 鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
Blue Gem | |||
Spring Offensive | Legend of France | ||
Batika | |||
サチノイマイ 1973 鹿毛 |
*チャイナロック | Rockefella | |
May Wong | |||
ミチアサ | *ヒンドスタン | ||
プレイガイドクイン | |||
競走馬の4代血統表 |
冒頭で挙げた他に同じく宝塚記念を勝ったヒシミラクルも近親にいる(祖母サチノイマイの半姉ムーンフィニックスの曾孫)。
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
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