オタカル・オストルチル(1879~1935)とは、19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した作曲家・指揮者である。
概要
ヴィーチェスラフ・ノヴァーク、ヨゼフ・スークと並ぶボヘミア楽派第2世代の人物だが、彼のみ第1世代のズデニェク・フィビヒの弟子であった。もともとはプラハ大学で哲学を修めており、1903年から1919年までプラハのチェコ・スラヴ商業専門学校のチェコ語とドイツ語の教授を務めていた。しかし大学進学前からピアノと作曲の個人教授を受けており、16歳から晩年のフィビヒに師事したのである。
商業専門学校在職中から指揮をはじめ、レオシュ・ヤナーチェク、グスタフ・マーラー、恩師ズデニェク・フィビヒといった人々の普及を務めている。1907年にはヴィノフラディ劇場のオペラの首席指揮者として迎え入れられ、さらには国民劇場の指揮者に加わり、1920年にはカレル・コヴァジョヴィツの跡を受けてオペラの首席に就任した。
一方作曲家としてのオストルチルは寡作で、25作が残るのみである。当初は師であるフィビヒの音楽性からスタートしたが、グスタフ・マーラー、リヒャルト・シュトラウスの影響も受けつつ、アルノルト・シェーンベルク、アルバン・ベルクに接近し、完全な無調になる一歩手前で踏みとどまるような作品を作っていった。
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