オッカムの剃刀とは、ある事柄を説明する際に、必要以上に多くのことを仮定するべきではないという指針のことである。別名として科学的単純性の原則や倹約の法則とも。英語だとOccam's razorと表記される。
概要
Pluralitas non est ponenda sine neccesitate
(≒Entities shouldn't be necessary ; (直訳)構成要素は必要ない)
という理論である。これを14世紀のスコラ哲学者であったオッカムが下記のように多用したことで、オッカムの剃刀という名前がついた。この剃刀という名が付けられた理由は、不要な要素を削ぎ落とすさまがあたかも剃刀のようであるため。
これを示す事例として、「宝くじを当てて賞金を得た」という現象を説明する以下の2文を提示する。
これらの文章はどちらも、現象を説明できているという点では同じである。だが2.の文章では下線の部分が足されている。つまり「幸運の女神」という存在が付け足されているのである。
しかし、なにか「幸運の女神」の関与を想定しなくてはならない特殊な理由でもない限り、1.の文章でも十分説明はついている。このとき2.の「幸運の女神」という仮定は不要であり、つまり1.の説明を採用すべきだ……というものがオッカムの剃刀的考えである。
使用する際の注意点
説明に不必要だからといって、存在を否定するわけではない
オッカムの剃刀とは思考や理論を単純化するだけの手法である。
先ほどの事例で挙げた文章では「幸運の女神」が切り落とされているが、決してその存在を否定するものではない。
あくまで「説明には不要である」というだけであり、その存在や蓋然性については別の問題として取り扱うべきものとなる。
切り落とし過ぎに注意
オッカムの剃刀は、ある要素が「必要がないとき」だけ成り立ち、「必要がある」場合には成り立たない。それに注意するべきである。
こんな言葉を残した人も居る。
ある事柄が3個の要素で説明できないのならば、4つ目の要素を加えるべきだ
先ほどの文章を再度引き合いに出すと、例えば仮に宝くじを買うまでの経緯として
「幸運の女神が「宝くじを当ててあげるから買いに行きなさい」と話しかけてきたので、せっかくだから幸運の女神と一緒に近所の宝くじ売り場に宝くじを買いに行った」
といった前段階があったならば、宝くじが当たった理由を考えるときに幸運の女神のご加護も考慮に入れざるを得ない。そのため、2.の文章をオッカムの剃刀で無下に却下するわけにはいかなくなる。
また、何が「必要でない」要素なのかを判定するのは難しい。したがってこの剃刀を適用する際には、重要な検討が必要となる。本来必要だった構成要素を切り落としてしまう可能性があるからである。
ちなみに、この切り落としすぎの事例としてあげられるのがエルンスト・マッハらによる、原子や分子の実在への懐疑的立場である。
マッハの考えは
という感じのものであったが、結論から言うと彼らの物理・科学体系は科学界の主流になれなかった。
原子や分子を説明に組み入れると多種多様な現象がうまく説明できるので、これは「必要がある」要素であり、オッカムの剃刀で切り落とすべき対象ではなかったということになる。
マッハたちによる過度のオッカムの剃刀の適用について、アインシュタインは以下のように述べている。
理論はできるだけ単純にしろ。ただし、それにも限度はある。
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関連項目
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