オメガトライブ[OMEGA TRIBE]とは、1980年代に日本で活躍したバンドである。
バンド名はオメガ“ドライブ”と間違われやすいが、上記のように“トライブ”が正式名である。
概要
「夏の海」という一貫したテーマを持って、ヒット曲を多数生み出したバンド。通算11年ほどの活動歴の中で2回ボーカル交代が行われ、その都度編成も変わっている。
一方で、トライアングル・プロダクションの社長、藤田浩一の意向が曲調に強く反映されており、バンドではなく、プロデューサーが主導したプロジェクトと呼んだ方が適切かもしれないという、元メンバーの述懐もある。
シーズン1:杉山時代
杉山清貴(ボーカル)、高島信二(ギター)、広石恵一(ドラムス)、大島孝夫(ベース)、吉田健二(ギター)、千住明(キーボード)という面々で結成された「きゅうてぃぱんちょす」が前身。
1980年にヤマハ主催のポピュラーミュージックコンテストへ参加して入賞。コンテストで優勝できなかったことを理由に千住がバンドを離れ、西原俊次が後任で参加することになり、デビュー時のメンバーが揃う。
その後、藤田に誘われてトライアングル社に所属し、1983年4月に「杉山清貴&オメガトライブ」として、シングル「SUMMER SUSPICION」でデビューする。
バンド名は、ギリシャ文字の最後の字にあたるΩ[オメガ]と、英語で民族、部族などを指すトライブを組み合わせた、“(替えの効かない)最高の仲間たち”という意味である。
1985年3月に発売した5thシングル「ふたりの夏物語」が日本航空のCMに起用されてバンド史上最大のヒットを記録するが、その年の12月に、プロデューサーとの方向性のずれが広がったことを理由に解散。特に、「シングルにメンバー自作曲がなかなか採用されず、外部の作家から提供された曲をヒットさせなきゃならない使命感での疲れが限界を迎えていた」のが1番大きな理由だった。
解散後、杉山はソロでシンガーソングライターとして活動を続けており、ソロ転向後もオメガ時代の曲はライブで歌われ続けている。他に、高島は自身と同様に夏のイメージが強いTUBEの楽曲制作に参加、広石はクレイジーケンバンドのバンドマスターを務めている。
シーズン2:カルロス時代
解散後もバンド継続の意思を見せていた高島と西原を中心に、黒川照家(ギター)、ブラジル出身のボーカル、カルロス・トシキを加えた4人で再始動。バンド名は活動再開年を冠して「1986オメガトライブ」に変わっている。
1988年3月には、黒川脱退と、再始動から2年が経って1986年という数字の新鮮味が薄れたことをきっかけに、バンド名を前代に近い「カルロス・トシキ&オメガトライブ」へ変更。同年7月には、レコーディングでバックコーラスを担当していたジョイ・マッコイが正式加入。この頃には、前代の解散理由だったメンバー自作曲の採用率も、シングルB面を中心に大きく上がっていた。
1990年12月に、ミュージックステーション出演中に解散を宣言し、翌1991年3月に解散ライブを行った。
解散後、カルロスはソロで歌手活動を続けていたが、椎間板ヘルニア発症による静養のため帰国。現在は母国で種苗会社に勤めている。
シーズン3:新井時代
1993年8月に新プロジェクト「Brand New Omega Tribe」が始動。今回のメンバーはボーカル1人しか固定されていない。
当時ボーカルを担当したのは新井正人。ガンダムファンには『機動戦士ガンダムΖΖ』前期オープニング主題歌「アニメじゃない」の歌唱を務めたことでおなじみのあの人である。
リリースはシングル2枚、アルバム1枚にとどまり、実働期間わずか半年ほどという早さで撤退している。
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ベストアルバムにはBNOT時代の曲が収録されていないため、単独で紹介。
関連項目
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