オリヴィエ・ジルー(Olivier Giroud、1986年9月30日 - )は、フランスのサッカー選手である。
アメリカ・MLSのロサンゼルスFC所属。元サッカーフランス代表。
ポジションはフォワード(FW)。192cm88kg。利き足は左足。
概要
フランス・サヴォワ県シャンベリ出身。イタリア系フランス人。経済学および社会科学(ES)の学士号を取得したインテリという顔も持つ。
2018 FIFAワールドカップフランス代表の優勝メンバーであり、2024年現在フランス代表歴代最多得点記録保持者。2011-12シーズンにリーグ・アン得点王に輝き、モンペリエをリーグ初優勝に導いたことで注目を集めるようになる。以降、アーセナル、チェルシーFC、ACミランといった名門クラブでプレー。2018-19シーズンのUEFAヨーロッパリーグではチェルシーの選手として初めてヨーロッパのカップ戦において2桁ゴールを記録した選手となり、大会得点王を獲得し、優勝に大きく貢献している。
このように輝かしいキャリアの持ち主だが、大事な試合でシュートを外すイメージが強いため過小評価されがちな選手である。日本のサッカーファンの間では「師匠」とも呼ばれている。だが、セリエAでは30代後半に二桁得点を記録するなど、長く活躍している名ストライカーである。
経歴
生い立ち
フランスのローヌ・アルプ地方のシャンベリで生まれ、グルノーブルに近いフロージュ村で育つ。幼い頃は故郷のオリンピック・クラブ・デ・フロージュでサッカーを始める。
13歳となった1999年にグルノーブル・フット38に入団。6年間下部組織でトレーニングに励むこととなる。サッカー以外にも学業もきっちりこなしており、経済学および社会科学(ES)の学士号を取得した後、グルノーブルのジョゼフ・フーリエ大学で身体およびスポーツ活動の科学と技術(STAPS)の学位の 2 年目を修了している。
グルノーブル
2005年にリーグ・ドゥのグルノーブルとプロ契約を結び、キャリアをスタート。プロ1年目でトップチームでのデビューを果たすが、リザーブチームでのプレーがメインとなっていた。そこでジルーは15試合15得点という成績を残し、クラブから期待を寄せられることになる。
2006-07シーズンにはトップチームに定着。リーグ・ドゥ第25節のル・アーブルAC戦でプロ初ゴールを記録する。しかしレギュラー獲得には至らず、リーグ戦18試合2ゴールに終わる。
2007-08シーズンは出場機会を求めて3部リーグのFCイストルへレンタル移籍。ここではチームのエースストライカーとして定着し、ゴールを量産。33試合に出場し、チームトップの14ゴールをマークする。
シーズン終了後に保有先のグルノーブルに戻るが、クラブからの評価は低く、退団することになる。
トゥール
2008年夏、リーグ・ドゥに昇格したばかりのトゥールFCに3年契約で移籍する。クープドゥ・フランスでは2試合で4ゴールを記録。リーグ戦でもジャンヌ・ダルク戦で1試合4ゴールを挙げるなど活躍していたが、シーズン終盤に二度の負傷を負ったことでリーグでの二桁得点には届かなかった。それでも公式戦14ゴールという成績は残している。
2009-10シーズンは開幕戦で2ゴールを決め、順調なスタートを切る。9月18日のリーグ・ドゥ第7節アルル・アヴィニョン戦では1試合4ゴールの大活躍。その後も公式戦15試合で10ゴールに到達。特筆すべき活躍ぶりから2010年1月にはリーグ・アンのクラブへの移籍話が浮上するようになる。シーズン終盤に調子を落としたものの、最終的に21ゴールを記録し、リーグ・ドゥの得点王を獲得。
モンペリエ
2010年7月1日、リーグ・アンのモンペリエHSCに移籍。7月29日に行われたUEFAヨーロッパリーグ予選3回戦のジェール戦ファーストレグでは決勝点を挙げる。8月28日のヴァランシエンヌ戦ではリーグ・アン初ゴールを記録。トップリーグでも十分活躍できるストライカーであることを証明し、移籍1年目にしてシーズン二桁得点を達成。また、クープ・ドゥ・ラ・リーグではモンペリエをクラブ史上初となるファイナル進出に導いている。
2011-2012シーズンはジルーにとって大きな転機となる。2011年8月14日のLOSCリール戦では前年度王者を相手に決勝ゴールを決める。ルネ・ジラール監督の堅守速攻スタイルの前線の核として躍動し、ユネス・ペランダとのコンビはリーグ・アンを席巻するほどの破壊力を発揮。10月15日のディジョンFCO戦(5-3)では1部リーグでは初のハットトリックを達成。11月26日のFCソショー戦(3-1)ではシーズン2度目のハットトリックを達成。中堅クラブに過ぎなかったモンペリエは優勝争いを演じるほどの驚きの大躍進を遂げ、ジルーはもはやフランストップクラスのFWと見られていた。最終的にはパリ・サンジェルマンFCのネネと並ぶ21得点でリーグ・アンの得点王に輝き、初優勝に大きく貢献。ミラクルを起こしたモンペリエの主役となったジルーの市場価値は大きく跳ね上がることになる。
アーセナル
2012年6月26日、移籍金1200万ポンドでイングランド・プレミアリーグの強豪アーセナルFCへの移籍。キャピタル・ワン・カップ3回戦のコベントリー戦で移籍後初ゴールを決める。移籍当初はチームになかなかフィットできず、初ゴールまで時間を要したが、10月6日のウェスト・ハム戦でプレミアリーグ初ゴールを決める。その後はプレミアリーグにも適用するようになり、11月6日のシャルケ04戦でUEFAチャンピオンズリーグ初ゴールも決める。ゴール数は移籍1年目で二桁得点に到達するが、第34節のフラム戦で退場となり、リーグ戦3試合の出場停止処分を受ける。
2013-14シーズンは、第3節宿敵トッテナム・ホットスパーとのノース・ロンドンダービーで決勝ゴールを決める。その後もメスト・エジル、テオ・ウォルコットと共に攻撃の中心となり、ゴールを決め続ける。リーグ戦では前年を上回る16ゴールを決め、さらにFAカップ決勝のアストン・ヴィラ戦ではアーロン・ラムジーの決勝ゴールをアシストしタイトル獲得に貢献。公式戦全体では22ゴールをマークしている。
2014-15シーズンは8月22日のエヴァートン戦で同点ゴールを決めた直後に左脛骨を骨折し4ヶ月の戦線離脱を余儀なくされてしまう。シーズン前半戦を棒に振ることとなったが、復帰後はゴールを量産し、2015年3月に行われた4試合すべてでゴールを記録。3月のプレミアリーグ月間最優秀選手に選出される。4月4日のリヴァプール戦で得点するなど、6試合連続ゴールを達成。3シーズン連続で二桁得点に到達する。また、FAカップでは決勝のアストン・ヴィラ戦で3-0からのダメ押しのゴールを決め、アーセナルの連覇に貢献している。
2015-16シーズンは、ウォルコットに先発を譲る試合もありながらコンスタントに得点を重ね、前半戦終了時点で10ゴールを記録。CLではグループステージ第3戦のバイエルン・ミュンヘン戦、負ければ敗退濃厚という状況で、途中出場からヘディングで泥臭く先制ゴールを決め、勝利に貢献。第6戦のオリンピアコス戦では、移籍後初のハットトリックを達成。チームを16年連続CL決勝トーナメント進出に導いた。リーグ最終節のアストン・ヴィラ戦ではアーセナルでの2度目のハットトリックを達成。リーグ戦自身タイ記録となる16ゴールを挙げる。
2016-17シーズンも開幕から控えに回ることが多かったものの、10月29日のサンダーランド戦で途中出場から2ゴールを決め、11月19日のマンチェスター・ユナイテッド戦でも途中出場から89分に同点ゴールを決めている。そして、2017年1月1日のクリスタル・パレス戦ではバックヒールでのスコーピオンボレーシュートを決める。このゴールはアーセン・ヴェンゲル監督から「永遠に記憶に残るゴール」と称賛されるスーパーゴールであり、2017年度の年間ベストゴールに贈られるプスカシュ賞を受賞している。このシーズンは出場時間がかなり減ったが、それでもリーグ戦12ゴールと結果を残している。
2017-18シーズンは同じフランス代表のアレクサンドル・ラカゼットが加入したことで出場機会がさらに減少。ヴェンゲル監督から移籍を容認されるなど、クラブでの立場が危ういものとなってしまう。そして、シーズン途中に出場機会を求めてチームを去ることになる。
チェルシー
2018年1月31日、同じロンドンを本拠地に置くチェルシーFCへ移籍。2月16日に行われたFAカップ5回戦のハル・シティ戦でチェルシーでの初ゴールを決める。4月22日のFAカップ準決勝、サウサンプトン戦では吉田麻也ら相手4人に囲まれながら、その4人全てを鋭い切り替えしでかわすと、最後はGKもかわしゴールを挙げ、決勝進出に貢献。自身にとって3度目となるFAカップ優勝を果たす。一方でリーグでの通算ゴール数はイングランドに渡って初めて一桁に終わっている。
2018-19シーズンは新任のマウリツィオ・サッリ監督の求めるFW像にフィットできず、プレミアリーグではスタメンの機会が少なく、わずか2ゴールに終わってしまう。一方、UEFAヨーロッパリーグではゴールを量産。準々決勝スラヴィア・プラハ戦の2ndレグでゴールを決め、チェルシーの選手としてヨーロッパの1大会で2桁ゴールを記録した初の選手となった。決勝では古巣であるアーセナルと対戦することになり、この試合では先制ゴールを決め、PKを獲得。さらにエデン・アザールのゴールをアシストするという3ゴールに絡む大活躍によって優勝に大きく貢献している。
2019-20シーズンは若手の起用を重視するフランク・ランパード監督がダミー・エイブラハムを1トップのファーストチョイスとしたことで満足な出場時間を得られずにいた。シーズン中は移籍の噂が何度も流れることとなったが、結局チームに残留。シーズン後半戦には重要な試合でゴールを決めるなど存在感を見せ、シーズン最後の11試合で7ゴールを決めている。
2020-21シーズンの前半戦も状況は変わらず、エイブラハムにスタメンの座を譲っていた。CLではグループステージ、11月24日第4節のレンヌ戦では試合終了間際にシーズン初ゴールとなる決勝ゴールを決めると、12月2日第5節のセビージャ戦で4ゴールを決め、2020年12月2日時点でこれまでクリスティアーノ・ロナウドの持っていた同大会の最年長ハットトリック記録を更新、新記録を樹立する。そして成績不振によってランパード監督が解任となり、トーマス・トゥヘルが監督に就任するとレギュラーに復帰。ラウンド16のアトレティコ・マドリード戦ではオーバーヘッドで決勝ゴールを決める。ところが、CL決勝ではスタメンを外れ、出場機会を得られず。チェルシーは二度目のCL優勝を果たしたが、これを最後に退団する。
ミラン
2021年7月23日、イタリア・セリエAのACミランへ移籍。このとき35歳となっていたジルーの獲得に懐疑的な声もあったが、2021-22シーズ第2節カリアリ戦で移籍後公式戦初ゴールを含む2ゴールを決めてみせる。移籍当初はクラブのアイコンともいえるズラタン・イブラヒモビッチと併用する形となったが、イブラヒモビッチが長期欠場となったことで1トップのレギュラーの座を掴む。第26節首位攻防戦となったインテルとのミラノ・ダービーでは2ゴールを奪い、重要な勝ち点3獲得に大きく貢献。インテルと激しく優勝争う中、最終節のサッスオーロ戦で決勝ゴールを含めて2ゴールを挙げて勝利、この結果、ミランはインテルに競り勝って優勝を果たす。リーグ戦では29試合11ゴールを記録し、11シーズン振りのスクデット獲得の立役者となり、自身の健在ぶりを知らしめることとなった。
2022-23シーズン、第3節のボローニャとの対戦ではボレーによる得点を決め、9月3日のインテルとのダービーで決勝点を挙げる。CLでは最終節のレッドブル・ザルツブルク戦で2ゴール2アシストと全得点に絡む活躍を披露。チームの9シーズンぶりとなる決勝トーナメント進出に貢献する。セリエA第13節のスペツィア・カルチョ戦では途中出場から試合終了間際に決勝ゴールをジャンピングボレーで決めたが、喜びを爆発させてユニフォームを脱いだことでこの試合2度目の警告を受けて退場処分となる。CL準々決勝のSSCナポリとの第2戦ではPKをセーブされたが、その後決勝ゴールを奪い、ミランを16シーズンぶりとなるベスト4進出に導く。第36節のサンプドリア戦で移籍後初のハットトリックを決め、ミラン移籍後2シーズン連続でのリーグ戦二桁得点を達成。第37節のユヴェントス戦で決勝ゴールを挙げて勝利に貢献、チームは来季のCL出場を決める。
2023-24シーズン、第8節のジェノア戦で、1点リードした状態で迎えた後半アディショナルタイムにGKマイク・メニャンがレッドカードを受け退場。交代枠を使い切っていたミランは出場中のフィールドプレイヤーをGKにする必要があり、急遽ジルーがメニャンのユニフォームを借りてGKを務めた。試合終了間際にジェノアに決定機を作られたが、これを好守でストップし称賛される。2023年11月23日のCL第4節PSG戦では、終了間際に劇的な逆転ゴールを決め、フランス人のCLでの最年長得点記録を樹立。2024年1月で37歳となったものの、変わらず前線の柱として得点源として活躍していたが、5月14日にシーズン終了後退団することが発表される。ミランでのラストマッチとなったセリエA最終節サレルニターナ戦でもゴールを決め、最終的にチームトップの15ゴール8アシストを記録。
ロサンゼルスFC
2024年5月15日、アメリカ・MLSのロサンゼルスFCに移籍することが発表される。
フランス代表
2010年11月3日、ローラン・ブラン監督によってフランス代表に初めて招集される。11月11日のアメリカ戦で代表デビューを飾る。このとき「子供の頃の夢が叶った」と喜びを口にしている。その後も継続して代表に呼ばれ、2012年2月29日のドイツとの親善試合で代表初ゴールを記録している。10月16日の2014年ワールドカップ・ヨーロッパ予選のスペイン戦では試合終了直前の94分に起死回生の同点ゴールを決め、フランスを救っている。
2014年6月にブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップのメンバーに選出されると、初戦のホンジュラス戦で途中出場。第2戦のスイス戦ではスタメンで起用されると、1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献。その後は2試合に途中出場、ラウンド16のナイジェリア戦ではスタメンで出場している。
2016年6月に母国開催となったEURO2016では開幕戦となったルーマニア戦で大会第一号となる先制ゴールを決める。乱打戦となった準々決勝のアイスランド戦では2ゴール1アシストを記録し勝利に貢献。フランスは準優勝となったものの、大会全7試合に1トップのレギュラーとして出場。アントワーヌ・グリーズマンとのコンビで決勝まで戦い抜いた。3ゴール2アシストという成績も残し、大会のブロンズボールも受賞する。
2016年9月から2017年11月にかけての2018年ワールドカップ・ヨーロッパ予選でもキリアン・エムバペら次代のスターが台頭するなかでも1トップのファーストチョイスとして起用され、8試合4ゴールを記録。2017年3月のルクセンブルク戦で代表通算50ゴール目を記録。6月2日のパラグアイとの親善試合では代表キャリア初となるハットトリックを達成。
2018年6月にロシアで開催された2018 FIFAワールドカップでは、全試合にスタメンとして起用されながらも結局大会を通してノーゴールに終わり、枠内シュートが1本も無かったことで批判を受ける。しかし、ターゲットマンとして前線で機能しており、エムバペやグリーズマンを自由にプレーさせるための黒子としての役割に徹していた。ラウンド16のアルゼンチン戦ではエムバペのゴールをアシストしており、フランスの二度目のワールドカップ優勝に貢献している。
2021年6月のEURO2020では、長年代表を外れていたカリム・ベンゼマが復帰したことでレギュラーの座を失うことになる。それが影響してか大会直前のアイルランド戦で試合終了後パスが出てこないことへの不満をメディアにぶちまけたことで、エムバペとの不仲が報じられる。この騒動も影響してか、本大会では途中出場で2試合に出場したのみに終わる。
2022年9月22日、UEFAネーションズリーグ2022-23第5節オーストリア戦において65分、右サイドからのアントワーヌ・グリーズマンのクロスを得意のヘディングシュートでゴールを決め、代表の歴代最年長得点記録(35歳357日)を更新。
2022年11月にカタールで開催された2022 FIFAワールドカップでも当初はCFの控えと見られていたが、負傷によってベンゼマが欠場したことでレギュラーに復帰。初戦のオーストラリア戦で2ゴールを決めると、ティエリ・アンリの持つ代表通算最多得点記録51に並ぶ。さらにラウンド16のポーランド戦で先制ゴールを決め、フランス代表の歴代最多得点記録保持者となる。準々決勝のイングランド戦では決勝ゴールを決めている。しかし、決勝のアルゼンチン戦ではコンディション不良もあって前半途中に無念の交代。チームも激闘の末にPK戦で敗れ、連覇を逃している。
2024年6月にドイツで開催されたEURO2024は今大会を最後に代表から引退することを表明しての大会となった。大会では4試合に途中出場し出場時間は合計55分と少なく、目立った活躍をすることはできないまま終わった。大会後の2024年7月15日、自身の公式インスタグラムにて代表キャリアに終止符を打つことを正式に表明。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2005-06 | グルノーブル | リーグ・ドゥ | 6 | 0 | |
2006-07 | グルノーブル | リーグ・ドゥ | 17 | 2 | |
2007-08 | イストル(loan) | フランス全国選手権 | 33 | 14 | |
2008-09 | トゥール | リーグ・ドゥ | 23 | 9 | |
2009-10 | トゥール | リーグ・ドゥ | 38 | 21 | |
2010-11 | モンペリエ | リーグ・アン | 37 | 12 | |
2011-12 | モンペリエ | リーグ・アン | 36 | 21 | |
2012-13 | アーセナル | プレミアリーグ | 34 | 11 | |
2013-14 | アーセナル | プレミアリーグ | 36 | 16 | |
2014-15 | アーセナル | プレミアリーグ | 27 | 14 | |
2015-16 | アーセナル | プレミアリーグ | 38 | 16 | |
2016-17 | アーセナル | プレミアリーグ | 29 | 12 | |
2017-18 | アーセナル | プレミアリーグ | 16 | 4 | |
チェルシー | プレミアリーグ | 13 | 3 | ||
2018-19 | チェルシー | プレミアリーグ | 27 | 2 | |
2019-20 | チェルシー | プレミアリーグ | 18 | 8 | |
2020-21 | チェルシー | プレミアリーグ | 17 | 4 | |
2021-22 | ACミラン | セリエA | 29 | 11 | |
2022-23 | ACミラン | セリエA | 33 | 13 | |
2023-24 | ACミラン | セリエA | 35 | 15 | |
2024 | ロサンゼルスFC | MLS |
個人タイトル
- リーグ・ドゥ得点王 (2009-2010)
- リーグ・ドゥ年間ベストイレブン(2009-2010)
- リーグ・アン得点王(2011-2012)
- リーグ・アン年間ベストイレブン(2012年)
- FIFAプスカシュ賞(2017年)
- UEFAヨーロッパリーグ得点王: 1 (2018-19)
プレーの特徴
スピードはないが屈強なフィジカルを生かしたヘディングシュート、ポストプレイが魅力、主にチームのワントップを張る。
頑丈な外見に似合わず、左足足元の技術があり、ワン・ツーパス、ダイレクトパス、ワンタッチゴールを得意としており、ストライカーというよりポストプレイヤーとして、周りを活かすタイプのFWである。
アーセナル時代の恩師であるアーセン・ベンゲルは、「ジルーは左からのクロスよりも、右からのクロスの方が我慢して待てるのでより危険な存在となる」と特徴を指摘している。
師匠?として
簡単なシュートを外しまくり、大舞台でゴールをきめることが少ない為、師匠呼ばわりする人も多い。
寧ろ、難しいパスからの左足ボレーシュートは得意で、ファンからも「ジルーは簡単なシュートは外すが、難しいのは外さない」とまで言われる始末
だが、過去7年間の平均得点はリーグ戦のみで17点、カップ戦を入れると20点を超えており、申し分ない実力の持ち主である。
ベテランになってからはむしろ少ない出場時間でも大事な試合でゴールを決める頼れるストライカーとなっている。
人物
母国フランスでも、ジルーは人好きで気さくな人物であるとされている。
イケメンであり、2015年アメリカ人女性250人が選ぶプレミアリーグイケメンラインキングNo1に選れている
2011年に結婚し、女児を設けたがその後不倫が発覚。即座に反省して今はよいパパであるとのこと。
日本にて大相撲を観戦した際、力士の四股に興味をもち、一人黙々と四股を踏む真似をしているところをファンに激写される。
関連項目
親記事
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