カズヤの三心とは、長きに渡る死闘を繰り広げたカズヤとカズヤ信者が掲げている、精神的支柱である。
概要
一.全てはチャンス、常に前向きに何でも挑戦する
それは決して望むべくして戦うはずではなかった。新日暮里で頂点に立つためには、必ず越えなければならない壁、ビリー・ヘリントン。
それはさかのぼること数年前・・・4年に1度開かれるオビ-1グランプリ、その決勝が新日暮里に住む者なら誰しも憧れるなんばパークスで催された。数百年の歴史があるといわれるパンツレスリング至上、最も過酷であったといえる前回大会。その試合は、我々の予想をはるかに凌駕する死闘であった。
カズヤがフェイントから兄貴の隙を伺う様子は、そのキレ、歪みなさから「カズヤダンス」と呼ばれ広く知れ渡っている。また、兄貴がカズヤの腹部を攻撃する腹筋ブレイカーは、だらしねぇカズヤの腹筋を集中的に攻撃することによってカズヤのトレーニング不足を体で教えていたのかもしれない。さらに、兄貴とカズヤが10円玉を奪い合うシーンでは、双方の全く無駄のない動きから妖精が宙を舞う様子になぞらえ、「妖精の社交ダンス」とも呼ばれている。
お互いが持てる技をすべて出し尽くしたが、やはり兄貴のほうが一枚も二枚も上手であった。カズヤは両手を地面につき、こう呟く。
「強くなりたい・・・」
結果、死闘を精子・・・いや、制した兄貴は8年もの間通っている新宿2丁目のバーで勝利の余韻に酔いしれるつもりであった。しかし、お互いの近況を語りつつ勝利の報告をしようとするビリーにオナハウスの人間は冷たい。「最近どうなん?」の質問に全く反応しないのだ。ここで兄貴は自らがだらしなくも有頂天になっていたことを自覚する。仕方ないという許容の心はあくまでも相手に対する心構えであり、自らは絶えず歪みなく生きねばならない。兄貴が常に口にする『live better 歪みなく生きろ』という言葉は、実はこの頃から発していたとされる。
一方カズヤは敗者には厳しい新日暮里を追われ、どこにも救いのない街、ワイキキで未知のエリアへ足を踏み入れることを決意する。全く頼れるもののいない街で、トレーニングを行うことは精神的にも非常に厳しいものであるが、カズヤはそれを逆に好機とし、ワイキキで起こる出来事は全てチャンスなのだと考えた。
昼は生活費を海苔の養殖で稼ぎ、夜はワイキキでベンチプレス。幾度もテレビ新日暮里の取材を依頼されたが全て断った。しかし、唯一その中で出演したタモリ倶楽部で、以前とは格段に違うカズヤを放送し話題を呼んだ。そう、すでに彼は以前の「木吉カズヤ」ではなかった。彼は「スーパーカズヤ」に生まれ変わっていたのだ。その取材を放送したコーナー「空耳アワー」で彼は「この世に救いがないのなら、俺が救いになればいい」と発言し、一度は追われた街、新日暮里に再び戻ることを世間に知らしめた。
12月31日、糞晦日。オビ-1グランプリ決勝で兄貴のパンツを奪うまで、彼の戦いは終わらない。
カズヤの口からこの言葉が聞ける日を、我々は今日も待っている。
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