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カタリ派単語

カタリハ

カタリ派とは、12世紀頃に西ヨーロッパの南フランスを中心に発生した民衆異端である。

また、ニコニコ大百科内に記事がい、あるいは説明が必要な単については各章の下に適当に述べていく。

概要

カタリ派ないしアルビジョワと呼ばれる異端運動。南フランスアルビを中心に活動した。カタリとは「」の意味であるとか、「純」の意味であるとかいろいろ言われているものの1、実際のところはっきりしない。

12世紀のヨーロッパ世界における民衆異端運動ではあるが、その思想が非常に特徴的である。また、その思想故に同じく民衆異端運動であるヴァルドからはしく非難されている。


1 カタリ派の名称問題については未だはっきりとした回答は出ていない。黒猫悪魔徴とされたことから。純は彼らの思想から来た。

2 ヴァルドは12世紀における異端運動カタリ派と並ぶ運動リヨン貸しヴァルドによって始まり、最初は教皇から賞賛されたものの、後に異端とされた。なお、『現在でも』存在する信仰集団であり、聖書を中心に考え、聖書の教えを忠実に守る生き方をする。現在でこそカトリックと袂を全に別っているものの、初期には熱カトリック集団であったと考えられている。また、その発生においては鉢修会のフランチェスコ会と非常によく似ている。

12世紀という時代

12世紀と言う時代は中世において非常に重要な年代である。1まず、それまで上層部が信仰していたキリスト信仰が民衆にまで深く浸透し、さらにカトリック教会はその絶対的地位を確立していた。また、社会経済の流動化が進み、都市が発展して貧富の差が広がると、社会に慢性的な絶望感や不安感が蔓延していった。それに伴い、物質社会たる現世の否定という思想が生まれてきたとされる。

また、既にったととおり、12世紀にはキリスト信仰が深く根付いてきたが、その分教会への不満も高まった。結果、『正統』側には鉢修2が、『異端』側にはカタリ派などが不満の受け皿として生まれたとされ、12世紀はある種、民衆が中心となる革の時代であったとも言える。

また、この当時の南フランスの状況もカタリ派を生み出した原因であると考えられる。フランスには北部に王権が強く、オイル圏が、南には北部に対抗する諸侯の群雄割拠するオック圏が広がっていた。またさらに南部は異教世界と非常に近く、そのため東方教会イスラムに対する開放性があった。事実カタリ派が影を受けたゾロアスター教ブルガリアのボゴミ東方世界が中心である。


1 12世紀のな出来事としては、第一回十字軍の成功(1096~1099)による十字軍国家の設立、アリストテレス哲学の流入、12世ルネサンスなどなど。また、職叙任権闘争に一定の決着がつき、教皇権が最盛期を迎えた時代でもある。この時代における最も有名である教皇はインノケンティウス3世。彼は鉢修会の認可論、この記事のカタリ派に対する異端宣告を行った人物である。非常に有能な人物であり、認められる範囲内での民衆からの運動カトリックへと取り込むという方針を採り、一方絶対に認ることの出来ない運動には徹底して弾圧を加えている。

2 鉢修会とは、民衆層に広がっていた使徒的生活の実践を掲げた人々で、それまでの修会とは全く全に別物として組織された。なものでアシジのフランチェスコの打ちたてたフランチェスコ会、ドミニクスの打ち立てたドミニコ会があった。

なお、中世後期のヨーロッパにおける東方からの窓口としては、ヴェネチア、シチリア、イベリア半島がある。 

絶望の戒律

彼らの思想は一般的には「絶望」と呼ばれるものである。キリスト教においては一元論(世界をつくり、世界一つ)が基本であるのに対して、カタリ派の思想には二元論(上界と地上界)が見られる。これは明らかゾロアスター教の影を受けたものであり、根本的にキリスト教と異なるため、異端中の異端とも言える。

その思想は、によって天使たちに満ちた上界と言う世界が作られ、そこにはあらゆる物質は存在しない世界であった。だがあるとき天使たちの一部がに対して反抗し、との戦いの末に上界を追放される。追放された天使たちは物質的世界である地上界を作り出し、ありとあらゆる動物にその魂を宿らせることで生き延びた。よって、この現世は苦しみに満ちた世界であり、また、人の魂は死んでもまた新たな生命へと転生するのみである。人はこの現世の苦しみを未来永劫終わることなく受け続けねばならない。よって人はカタリ派の『正しい』信仰を実践することで本来天使であるその魂を上界へと戻す必要がある、というのが彼らの思想(かなり大雑把ではあるが)で、いわゆる輪廻転生的な考えが見られる。

さて、輪廻転生という日本人には分りやすい思想なのだが、そこから離脱、仏教的に言えば解脱(?)するためには色々と大変である。

以下、彼らの

は食べてはならない

②殺してはならない

結婚してはならない

④性的交渉を持ってはならない

⑤死を喜んで受け入れねばならないが、自殺してはならない

と言う感じである。特に食の否定はすさまじく、彼らが口に出来るのは基本的には野菜パンのみであったとされ、週に3日の断食、年3回の断食強化間があった。そのため、彼らは一年のうち半年弱を断食して過ごしていたとされている。よって彼らは基本的に飢餓状態に置かれていた。

さらに、上のを徹底して守る人間を徳者(全者)と呼ぶ。その数は700~2000人ほどいたらしい。


1 正しい信仰というのは、何もカトリックが正しいというわけではなく、でも何でもそうであるように、自分のいる側が正しいのである。間違った信仰を自ら信仰する馬鹿はいない。よって、カタリ派側から見れば、カトリックこそ異端である。また、現在でもそれは同じで、プロテスタントの原理義的な人びとはカトリック側を『法王教』と呼んで軽蔑している。

2 何故は良いのか、と思うかもしれないが、当時は「水の中から自然に発生するもの」と考えられていたため、動物ではない、と考えられていたためである。

3 徳者の見分け方としては、1、どう見ても物乞い 2、を持っている というものがある。を持っているのは、一般信徒のでものを食べるときに、『一般信徒の調理したに触れた料理した食事』をとらないためである。徹底してを守ることがめられていた。だが、彼らは必ず救われる存在とされ、一般信徒は彼らを非常に尊敬していたという。

一般信徒の生活

一般的なカタリ派は上のような厳しいにおかれることく、基本的には普通の人間として生活していた。信徒の数は数十万~数万いたとされる。

そして、やってくる徳者の世話や彼らの説教を聴いて、素な信仰を守っていたとされる。また、彼らは魂の救いを得るため最終的には徳者になる必要があった。徳者になるためには、1~3年程度の修練が必要とされるため、多くの人は自分が死ぬ直前に徳者になることを誓い、そしてそのまま死ぬ、という形をとっていた。

よって、最も最悪なケースとしては、死の間際で徳者になることを誓った後、持ち直してしまうケースである。誓いを撤回することは出来ないので、そういった人びとは徳者にならざるを得なかったわけである。


1 正確な数はわかっていない。まず、当時の人口を知る術は教会カトリック)が授けた洗礼数と終油を授けた死亡者数の率から考えるものなのだが、カトリックからカタリ派へと信仰を変化させる際に教会側は当然のことだが記録を残さない。自分からカタリ派になると、教会に報告する馬鹿もそうそういない。よって、曖昧な数字しか出すことが出来なくなる。 

教皇庁の対応

カタリ派に対して教皇庁はまずはじめに説教活動によってカトリックへの復帰を促すこととなる。まずシトー会などの修士を送り込むも、カタリ派理論に対して反論することが出来ず失敗に終わる。それどころかカタリ派に信仰を移し変えてしまう者すらいた。そこで1206年から教皇庁は新たに発足した学問研究を中心にしていた鉢修会であるドミニコ会を送り込み、彼らは理論の面でカタリ派を圧倒し、ある程度の成功を収めた。

しかし、1208年に教皇特使暗殺事件が発生すると、1209年、教皇はカタリ派に対する異端討伐十字軍、所謂アルビジョワ十字軍を行い、徹底して彼らを弾圧した。この軍の中心となったのは北フランスの中小貴族であったが、後に国王が介入し、結果としてこの十字軍が終わる1229年までには北フランス側が南フランス側を全に支配することに成功した。

なお、この十字軍による死者は100万人程度いたとされ、このときに異端者に対する火刑が定着したとされる。

1229年、教皇庁は異端審問制度を設立。この後は異端審問官による弾圧が始まる。

1244年、南フランスのモンセギュールに立てこもったカタリ派人が処刑され、大きな戦闘は終結し、カタリ派もこの後は下火となっていった。


1 ドミニコ会はスペイン貴族ドミニクスによって始められ、学問を非常に重要視し、トマス・アクィナス中世大神学者なども輩出。また、教皇からカタリ派に対する説教活動の命を受けて活動。後に異端審問官を多く排出した。

2 アルビジョワ十字軍がとあるベジェと言う人口二万人ほどの町に着いたとき、兵士職者に聞いた。カトリックカタリ派の区別をどうつければいいか、と。すると職者は言った。「すべて殺せ。カトリックも、カタリ派もすべて殺せ。異端かどうかはが判断するであろう。すべて殺せ」

3 宗教的なことを的としていた行動がいつの間にか政治的なことを的にしているのはよくあることである。十字軍はほとんど全てがその様なことが起こっている。

4 火刑は非常に経済的に非効率的な処刑である。異端者は30分ほどで一酸化炭素によって死亡するが、その遺体をになるまで焼くには、約3日ほど焼き続けねばならない。そして火刑によって死体がになると、それをに捨てる。余談ではあるが、同じく異端とされ火刑に処されたフスの場合、そのだけでなく、火刑を行った場所の周辺の土も一緒に捨てている。徹底して存在を抹消することが的であった。

5 異端審問制度は日本でも有名であるが、この制度が現在の裁判制度の原である。やり方としては、まずある村に異端審問官が赴き、説教を行う。そしてその説教を聴いて、自ら異端の罪を犯したことを審問官に告白すれば、審問官はその罪を許し、彼は再び正統信仰へと復帰する。だが、こういったケースは稀で、ほとんどが密告であったといわれている(そのため、政敵を排除するためにの密告がされたりした)。密告者の名前は明かされることはかった。そして、裁判が始まる。裁判は非開であり、審問官が現在で言う検察と裁判官を務めた(よって、裁判が始まった時点で判決は決まっている)。そして、その時点で自し、悔悛した場合、その罪は許され、たいていの場合、判決は打ちや巡礼といったものとなる。それでも自しない場合、拷問が始まる。まず最初に軽いものから(鎖、飢餓、不眠など)始まり、更に打ち、つり落とし、足かせ、攻めなどへと続いていく。だが、もしも拷問中に自した場合、その時点で拷問は終了し、判決が下される。それでも自しない場合、そのまま判決へと向かうこととなる。また、判決が下され、火刑に処されることが決まったりしても、火をつける直前であれ「罪を認め悔いめる」と言うことをすれば、火刑は中止され、命は助けられる。 また、拷問の最中には詳細に記録をとり、さらに拷問は1回30分まで、手足の切断は禁止、殺してはならず、殺した場合、警吏が死刑となるなど、細かな取り決めがなされている。当時、一般的な裁判は所謂「明裁判」※であったのに対し、記録重視、拠重視など、きわめて合理的な審問であり、先にも言ったとおり、現代の裁判制度の原となった。

なお、異端審問官が火刑台に送るのは全体の約5パーセント程度であったとされ、拷問自体も拷問器具を見せた時点で、あるいは見せながら「うへへへ・・・これからお前ナウい息子にこのあつーいの棒をジュゥゥウウって押し当ててやるからな・・・ぐへへへへ」といった感じで説明した時点で自してしまったことが多く、脅迫の手段として用いられたといわれている。

なお、異端審問官ラテン語で『Dominicanes』と言うのだが、これを分解すると『Domini』と『canes』となる。Dominiとは『の』と言う意味で、canesとは『番犬』と言う意味になる。審問者は『番犬』としての誇りを持ち、異端者は彼らを『』と言って軽蔑した。

明裁判とは、文字通り、明らかにする裁判である。代表的なもので言えば審(に入れて浮いてきたら有罪、沈んだら罪。キリスト教において洗礼に使うものであるため、『が被告を受け入れた』ことが理由となる)、火審(いくつかあるが、分りやすいものは熱したを握って放したらすぐに包帯で巻き、3日後に患部に火傷のあとがあったら有罪、ければ罪)、決闘(どれほどに差があったとしても、が正しきものを見過ごすことがいため、奇跡によって勝利するはずである、と)などがある。

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読み:カタリハ
初版作成日: 09/01/13 19:49 ◆ 最終更新日: 18/03/09 23:59
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カタリ派について語るスレ

20 : ななしのよっしん :2013/05/07(火) 00:29:08 ID: MV3wyMTZvx
>>16
全く出自が違うほうが共存の可性が高いんじゃないかと思う
カタリ派カトリックと同根だろうから対立するんだろう
日本で全く名前を聞かない宗教と、らこそ神道であるという宗教があるなら
どちらと共存できるかって話なんだと思う
興味ない人はどちらでもいいかもしれないが
21 : ななしのよっしん :2014/02/23(日) 17:30:42 ID: u30XMWpnvN
>>13

同じく。wikipediaで調べようとしたけどまさかニコ大にあるとは。っていうか何故ある?
22 : ななしのよっしん :2014/04/11(金) 17:48:27 ID: 2LgVJJzVXH
入試で有名になったから
23 : ななしのよっしん :2014/11/07(金) 19:22:34 ID: 7XZyrTdyya
つーか世界史カタリ派くらいやりますわ
24 : ななしのよっしん :2014/11/08(土) 00:00:21 ID: JeMGck6qH4
学校受験歴史ではどちらかというとアルヴィジョワって呼ばれてるのをにすることが多いよね。

当時幅を利かせてたカトリックと違って、たとえ親が熱心な信者だとしてもカタリ派の人々は、生まれてすぐカタリ派として生きていくか否かを親に決められるのではなく分別のつく年齢になってから自分で決めれたらしいね。

この世を悪としてなおもそれをせなんていうな宗だけど、二律背反の先に悟りをみいだせっていうのは私たち東洋人にも共感できる仏教的な哲学を含んでいては好きだなあ。まあカタリ派流ともいわれているグノーシス主義そのものがそもそも仏教的要素を多くはらんでいるんだけど・・・
25 : ななしのよっしん :2014/11/11(火) 21:52:47 ID: kCmYRaYhPG
詳しいことはわかんないけど、古代ギリシアピタゴラスの流れをむっぽいね。
26 : ななしのよっしん :2015/06/25(木) 14:25:53 ID: ahIaj5djS3
>>21
カタリ派布教しようとする勢の…
27 : ななしのよっしん :2015/12/12(土) 19:02:49 ID: Unxmvy5YJn
>うへへへ・・・これからお前ナウい息子にこのあつーいの棒をジュゥゥウウって押し当ててやるからな・・・ぐへへへへ
言ってるあんたが男色で処刑されるわ(笑)
28 : ななしのよっしん :2017/04/05(水) 17:16:59 ID: YY3aicYzCb
>彼らが口に出来るのは基本的には野菜パンのみであったとされ、(中略)
>何故がダメなのか、と思うかもしれないが、

「何故がOKなのか」または「はダメではないのか」だろう。
修正よろしくお願いします。
29 : ななしのよっしん :2018/03/10(土) 01:57:59 ID: YY3aicYzCb
28について修正ありがとうございます

>最も最悪なケース

頭痛が痛い」みたいな感じになってるので、単に「最悪なケース」でいいと思います。
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