シンザンと同期の二冠牝馬であり、菊花賞にて史上稀に見る雌雄激突劇を演じた名牝。
名前の「カネ」は冠名であり、有馬記念馬カネミノブやオークス馬カネヒムロと同じ馬主。
生い立ち
父カネリュー、母コンキュバイン、母父Le Pachaという血統。親父がポケモンみたいな名前だなあ
父のカネリューは通算10戦6勝で大レースでの優勝はないが、種牡馬として本馬の他天皇賞と有馬記念を制したオンスロートを輩出している。母のコンキュバインは戦後フランスから輸入された繁殖牝馬で、かの世界的繁殖牝馬ムムタズマハルの母、レディジョゼフィンの牝系に属する。
本馬の出生は青森県の青森牧場だが、この青森牧場、実はカネリューの馬主である金指利明がカネリューの為に立ち上げたと言われており、その時輸入されて基礎牝馬となったのがコンキュバインである。コンキュバインは繁殖牝馬として活躍し、直仔であるカネケヤキの他子孫にカネヒムロやカネミノブ、カネミカサなどを送り出しており、青森の馬産を支えた偉大なるかまど馬である。ちなみにコンキュバインとは「内縁の妻」とか「愛人」という意味で、ラテン語の「一緒に横になる女の人」が語源だそうな。よく名付けたな
大欅(府中の大欅は実はエノキ)
カネケヤキは2歳10月の中山競馬場でデビュー。デビュー戦は8番人気の低評価だったがこれに反発するように勝利。ここで鞍上だった「ミスター競馬」こと野平祐二が以後主戦騎手を務めることとなった。
中山3歳Sを2着に入った後、東京のオープンと中山の3歳牝馬Sを快勝し、当時関東の2歳チャンピオン決定戦である朝日杯3歳ステークスへ歩みを進め、1番人気に推されたがウメノチカラにアタマ差敗戦する。
この年5戦3勝だったが、最優秀3歳牝馬は阪神3歳Sを制したプリマドンナが持って行った。
年が明けて3歳となり、京成杯と弥生賞など牡馬との混合競走に挑む。けどそう上手くいくわけもなく6着、4着に凡走。オープン2着を挟んで桜花賞に挑む頃には人気は4番人気にまで落ちていた。
桜花賞では23頭が出走する中先行して抜け出す王道競馬で2着フラミンゴに2馬身差をつけて快勝。オークストライアルを勝利して1番人気で臨んだオークスでは2着ヤマニンルビーを3馬身突き放し、ここに堂々と二冠牝馬が誕生した。カネケヤキまで牝馬二冠を達成した馬は、スウヰイスー、ヤマイチ、ミスオンワードの3頭がいた。
唐突ですが問題です。
カネケヤキのこの後のローテーションをお答え下さい。
A「秋華賞じゃないの?」 不正解。秋華賞が出来たのは1996年です。
B「エリザベス女王杯じゃね」 不正解。エリザベス女王杯が創設されたのは1976年です。
C「エリ女って昔は別の名前だったよね」 残念。そのビクトリアカップは1970年創設です。
正解!
そう、菊花賞である。秋華賞もエリザベス女王杯も、その前身であるビクトリアカップも無かった当時、牝馬三冠路線の三冠目は菊花賞だったのである。実は本場イギリスでも牝馬路線の三冠目は牡馬混合のセントレジャーであり、そもそもクラシック競走は2000/1000ギニー、ダービー/オークス、セントレジャーである為、独自に三冠路線を作っている国でない限り、三冠目はセントレジャー相当の競走であったり、そもそも牝馬三冠の概念が無かったりする。秋華賞は世界的にはかなり珍しいレースである。
ちなみに先程挙げたスウヰイスー、ヤマイチ、ミスオンワードも菊花賞に挑戦しており、スウヰイスーが2着、ヤマイチが3着とかなり惜しいところまで行っている。ミスオンワードは10着。
桜花賞・オークスのどちらか+菊花賞という変則二冠もおり、ブラウニーが桜花賞1着からオークス未出走、菊花賞1着で変則二冠を、クリフジがダービー、オークス、菊花賞で変則三冠している。
深山と大欅
さて、カネケヤキは夏休みを挟んで、秋初戦のクイーンSを2着、セントライト記念を3着、オープンで見習い騎手が乗って5着...どんどん成績が落ちているが、実は脚部不安を抱えていたのだ。
気がつけば11月の菊花賞、本馬は12頭立ての9番人気まで人気が落ちた。このレースの1番人気は皐月賞とダービーを制した二冠牡馬シンザン...ではなくセントライト記念とオープンで本馬を負かしたウメノチカラである。シンザンは折からの夏負けとトライアル連敗で人気を落としていた。
カネケヤキ以前にも牝馬二冠を達成した馬はいたが、三冠目に対する注目度は高いものでは無かった。しかし、この年に限れば皐月賞・ダービーを制し、セントライト以来となる三冠目に王手をかけるシンザンがいたのである。後世から見れば「二冠牡馬と二冠牝馬が、それぞれの三冠をかけて対決する」、という激アツものの菊花賞である。先程述べたミスオンワードの子供であるオンワードセカンド(4番人気)が出走し、二冠牝馬の子供がそれぞれ三冠目をかけている牡馬と牝馬に割って入るという浪漫溢れる構図。
レースでは途中までサンダイアルがハナを切ったが、1週目の直線でハナを奪い返すと後続に10馬身近くつける大逃げを仕掛ける。直線入口まで単騎で逃げるが、残り150という所で追いすがるサンダイアルに並びかけられ、更にその外からシンザンが鬼脚でぶっこ抜き、三冠の栄光はシンザンへと舞い降りた。カネケヤキは5着に敗れたが、それでも淀の大舞台で大逃げを演じ、二冠牝馬としての貫禄を見せつけた。
同年、最優秀4歳牝馬に選ばれたのは当然であろう。
しかし、翌年には脚部不安が深刻化。1年近い休養の後オープンに出たが11頭立て8着に敗れ、引退。
通算16戦6勝。桜花賞とオークスを制した二冠牝馬の誕生は、11年後のテスコガビーである。
引退してなおライバル
引退したカネケヤキは故郷へ戻り繁殖牝馬となるが、不受胎や出生後の死亡が相次ぐ、いわゆる仔出しが悪く、活躍馬を送り出すことは無かった。カネハヤテ産駒のカネエンジュを中心に牝系は繋がり続けており、主に地方競馬で走っている。宇都宮末期のエース、トウショウゼウスがカネケヤキの曾孫にあたる。
カネケヤキは1984年に繁殖牝馬生活を引退。功労馬として暮らしていた所、1995年10月5日、ヒカルメイジやコマツヒカリを産んだ名繁殖牝馬イザベリーンが持っていたサラブレッドの最長寿記録を更新する快挙を成し遂げる。同10月28日に老衰の為死亡。34歳と231日という大往生であった。
死後から約三週間後、とある馬がカネケヤキの長寿記録を更新、誰であろう菊花賞で相まみえたシンザンである。同期の三冠馬と二冠牝馬が長寿を争っている、競馬史上稀に見る長きライバル関係である。シンザンのライバルといえばウメノチカラやミハルカスが挙げられるが、カネケヤキも立派なライバルと言えるだろう。長らくサラブレッドの牝馬最長寿記録保持者だったが、2015年にナイスネイチャの母ウラカワミユキに更新されている。
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