カラヤンとは、20世紀を代表するオーストリア出身の指揮者である。「帝王」と評された。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von karajan)。生没年は1908年4月5日~1989年7月16日。
概要
1908年、オーストリア=ハンガリー二重帝国時代のザルツブルクに生まれる。指揮者としてのデビューは1929年。後に30年以上にわたり首席指揮者を務めることになるドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を初めて指揮したのは1938年のことである。
ドイツ・オーストリアの音楽界に君臨していたフルトヴェングラーが1954年に亡くなると、カラヤンはその後わずか2年の間にベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督(1955~1989)、ウィーン国立歌劇場芸術監督(1956~1964)、ザルツブルク音楽祭芸術監督(1956~1960)となり、ヨーロッパ楽壇の実質的なトップに立つ。また、1967年にはザルツブルク復活祭音楽祭を、1972年にはザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭をそれぞれ創立し、亡くなるまでこの2つの祝祭を支配し続けた。
初来日は1954年。このときはNHK交響楽団を指揮している。1957年にはベルリン・フィルとともに来日し、1966年からは数年おきに日本を訪れることになる。
1989年4月24日、かねてから楽団員と対立を深めていたベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術総監督を辞任。同年7月16日、ソニーの大賀社長との商談中に倒れ、死去。
生涯で3388回のコンサートと1302回のレコーディングを指揮した。
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