カリズマティック(Charismatic)とは、1996年生まれのアメリカの競走馬。
全く鳴かず飛ばずだった若駒時代から突然飛躍し、全米のスターダムへと登りつめたワンダーホース。
名前は「カリスマ的な、超常的能力」といった意味。
日本だとカリスマで通っているが、英語読みだとカリズマと濁る。日本で種牡馬として供用されたときもこの読みに従って「カリズマティック」と登録された。
生い立ち
父Summer Squall、母Bali Babe、母父Droneという血統。
父は大種牡馬ストームバード産駒でプリークネスSを優勝、かのエーピーインディの半兄にあたる良血馬で種牡馬としても活躍。母は未勝利。母父は重賞実績はないが4戦4勝無敗で引退、種牡馬として活躍し、更に*ダンシングブレーヴの母父として名を現代に残している。
母は繁殖牝馬として優秀で、本馬をはじめ重賞馬を数頭送り出している。近親には曾祖母を同じくする大種牡馬デピュティミニスターがおり、血統を見る限り結構な良血である。血統表を見るとサーゲイロードやサムシングロイヤル、ボールドルーラーなど複雑なクロスがかかっている。
*ティンバーカントリーやセレナーズソング、*シルバーチャームなど数多の名馬を所有したルイス夫妻の所有馬として走り、ルイス夫妻と懇意にしていた名トレーナー、ダレル・ウェイン・ルーカス調教師の管理を受けた。
カリスマも何も無い馬
さて、良血に相応しい環境が与えられた本馬だが、それで走れば苦労はしない。
2歳6月に西海岸でデビューしたが6着。6頭立てなので最下位である。ようやく初勝利を挙げたのは11月に出走した6戦目。一応2着に5馬身離している。2歳シーズンはもう1戦(3着)して7戦1勝で終わる。はっきり言ってしまえばそこらへんに腐るほど居る凡庸な馬と何ら変わらなかったのだ。
3歳になっても特に変わらず、2戦連続5着の後クレーミング競走に出される。クレーミング競走とは出走馬が取引対象となるレースのことで、極端な例えをするならレース版トレーニングセールである。ここではクビ差で2位入線したが、1着馬が降着となったため一応2勝目を挙げた。しかしカリズマティックを欲しいと手を挙げる人は出てこず、結局ルイス夫妻がそのまま所有することとなった。
続くレースを2戦連続2着し本格化の気配を漂わせながら臨んだサンタアニタダービー(西海岸におけるケンタッキーダービーのプレップレース)では後方から追い込むも4着。1着とは8馬身差もついており、ケンタッキーダービー勝てるわけ無いと誰しもが考えていた。だが、隔週で出たレキシントンS(GII)では2着に2馬身半つけて勝利。ダート8.5ハロンで1分41秒06という好タイムであった。
CHARISMATIC!
1999年のケンタッキーダービーは本馬含め19頭が出走。鞍上は初タッグを組むこととなったクリス・アントレー騎手である。当時33歳のアントレー騎手は米国リーディングも経験した天才騎手であったのだが、若い頃より薬物やアルコール依存で入退院を繰り返していた。アメリカ版田原成貴とも言える存在である。
本レースの最大の注目は、ボブ・バファート調教師が史上初となる同競走3連覇を達成するか否かという事に集まっていた。無論1番人気はバファート師の管理馬(2頭居るけど)。本馬は単勝32.3倍の12番人気。「1月に500万下勝った後ボロボロで、京都新聞杯に出たら何か勝った」といった感じなのでしゃーない。
レースでは本馬は中団に位置。徐々に進出を始め直線入口を先頭集団で迎えると力強く伸び、内で逃げ粘るキャットシーフや外から追い込んできたメニフィーを抑え先頭ゴール。バファート師の管理馬は3頭出走したが全頭4着以下で、結構荒れたレースとなった。
無論次戦はプリークネスステークス。前走がフロックと思われたか単勝約9倍の5番人気に留まる。例年10頭前後の本競走には珍しく13頭も集まり、どことなく波乱の予感を醸し出していた。レースでは本馬は後方から進め、3頭が先頭争いを演じ比較的ハイペースで推移。本馬は3コーナーから一気にまくり上げ直線入口で先頭に立つとハイペースにバテた先行馬を突き放し、追いすがる前走2着のマニフィーを2馬身半突き放して快勝。チャーチルダウンズの疑惑はピムリコで晴らすのが米国最強馬の流儀である。
さて、アファームド以来21年間出ていない三冠馬誕生に期待を馳せるのは当然である。流石に誰の目にもこれはもうフロックでも何でもない事は明らかである。勿論1番人気に推され、ベルモントパーク競馬場には史上最大の観衆が集まった。
レースではこれまでの後方待機策ではなく積極的に先行。直線入口を先頭で向いたもののすぐにレモンドロップキッドら2頭に交わされ、必死に追いすがり更なる追撃を許さなかったが3着に敗戦。米国三冠の夢はベルモントパークのトラックへと消えていった。
しかし物語はまだ終わらない。レース中、残り1ハロンの時点で左前脚を骨折。入線後歩様がおかしい事を察知したアントレー騎手は即座に下馬し、カリズマティックの左前脚を自身の腕で支え続けた。この措置が功を奏したのかは不明だが、すぐに手術を受け一命を取り留めることに成功した。このアントレー騎手の咄嗟の行動は大きな反響を呼び、同年の傑出した競馬シーンを表彰する"Moment of the Year"にはこのベルモントステークスが選出された。
現役続行は流石に無理と判断され、そのまま引退。3歳時の成績は10戦4勝でこの年の年度代表馬、最優秀3歳牡馬に選出された。三冠競走全てで本馬の後塵を拝したキャットシーフが当年のBCクラシックを制し、3歳戦線のレベルに疑問符を付ける人もいなくなった。カリズマティックは本当に強かったのだ。
引退後
引退後、2000年より生産者が所有している牧場で種牡馬入り。2003年からは日本軽種馬協会に購買され日本で種牡馬生活を送った。米国での代表格はGII2勝のサンキングで、全体的には低調である。日本ではワンダーアキュートが交流GI3勝を挙げ、長く交流競走の善戦マン安定勢力として活躍。ただ他には障害重賞馬が2頭いるくらいでやはり全体的に低調。
2016年シーズンをもって種牡馬生活を引退し、アメリカへ帰国し同地の功労馬繋養施設で余生を送る事となったが、帰国後間もなくして骨盤骨折により死亡。享年21歳であった。
一時クレーミング競走での売却すら考えられた馬が米国2冠を達成するという、100年以上営々と続けられたアメリカ競馬でも稀に見るドリームストーリーは、全米のファンの心を鷲掴みにするに足るものであった。
なお、本馬最高のパートナーにして命を繋いだアントレー騎手は、本馬引退の翌年に自宅で亡くなっているのが見つかった。殺人事件との噂も広がったが、最終的に薬物濫用による事故死と報じられた。
血統表
Summer Squall 1987 鹿毛 |
Storm Bird 1978 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
South Ocean | New Providence | ||
Shining Sun | |||
Weekend Surprise 1980 鹿毛 |
Secretariat | Bold Ruler | |
Somethingroyal | |||
Lassie Dear | Buckpasser | ||
Gay Missile | |||
Bali Babe 1980 栗毛 FNo.10-a |
Drone 1966 芦毛 |
Sir Gaylord | Turn-to |
Somethingroyal | |||
Cap and Bells | Tom Fool | ||
Ghazni | |||
Polynesian Charm 1972 鹿毛 |
What a Pleasure | Bold Ruler | |
Grey Flight | |||
Grass Shack | Polynesian | ||
Good Example | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Sir Gaylord 5×3(15.63%)、Bold Ruler 4×4(12.5%)、Somethingroyal 4×4(12.5%)、Tom Fool 5×4(9.38%)、Mahmoud 5×5(6.25%)
主な産駒
- ストームセイコー (2001年産 牡 母 Micheline 母父 Shadeed)
- イコールパートナー (2005年産 牝 母 グレートキャティ 母父 サクラユタカオー)
- ワンダーアキュート (2006年産 牡 母 *ワンダーヘリテージ 母父 Pleasant Tap)
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関連項目
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