カリム・ベンゼマ(Karim Benzema, 1987年12月19日 - )とは、フランス産のおにぎりフランスのサッカー選手である。
サウジアラビア・プロフェッショナルリーグのアル・イテハド所属。元サッカーフランス代表。
ポジションはFW。ネット上での愛称はおにぎり。187cm79kg。利き足は右足。
概要
リーグ戦7連覇中という黄金期にあったオリンピック・リヨンで頭角を現し、2007-2008シーズンには弱冠20歳の若さで得点王を獲得。2009年に世界屈指の名門クラブであるスペインのレアル・マドリードへ移籍。クリスティアーノ・ロナウド、ガレス・ベイルとの3トップはBBCトリオと呼ばれ、2015年から2018年の前人未到の3連覇を含む4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献。それまでは黒子的な働きで貢献していたが、クリスティアーノ・ロナウドが退団した2018-2019シーズン以降はチームの主役となって大車輪の働きを見せている。
2021-2022シーズンでは、公式戦46試合44得点という脅威的な数字を残し、ラ・リーガとCLの二冠獲得に大きく貢献。両大会で得点王を獲得。この年、文句なしで初のバロンドールも受賞しており、本当に「最高のベンゼマ」をお見せしたシーズンとなった。
全ての年代でのフランス代表でプレーした経験を持ち、20歳でフル代表にデビューしている。しかし、私生活での問題行動が多く、2010 FIFAワールドカップは未成年への売春容疑で落選。2018 FIFAワールドカップもマテュー・ヴァルブエナに対する恐喝容疑で逮捕された影響で代表を追放処分となり出場できなかった。そのため、クラブでの華やかなキャリアと比べると代表では活躍できていない。2021年になり、5年半ぶりに代表復帰を果たしている。
ストライカーでありながら周囲を活かすプレーにも長けた万能型のアタッカーであり、彼のことをストライカーである9番とゲームメーカーである10番の中間である「9.5番」の選手と形容する識者も多い。
アルジェリア系にルーツを持つフランス人という境遇は、フランスの英雄であるジネディーヌ・ジダンと共通している。
経歴
生い立ち
祖父がアルジェリアからフランスのリヨンに移住し、アルジェリア人の両親から生まれた移民の子としてリヨン郊外のブロンで育つ。兄弟は8人いる。子供の頃から太り癖があり、学校でいじめを受けてしまう。生まれ育ったブロンという地域が治安が悪かったこともあって次第に素行が悪くなるが、父親のサポートもあってダイエットに成功し、犯罪者の道を進まずに済んだ。。
8歳のときに地元のSCブロンで本格的にサッカーを始め、9歳の時にリヨンのジュニアチームと対戦した際に2ゴールの活躍によってブロンに勝利をもたらす。この活躍が関係者の目にとまり、リヨンへと引き抜かれることとなる。
リヨン
1996年にフランス・リーグ・アンのオリンピック・リヨンのユースに入団。U-16チーム在籍時には1シーズンで38ゴールをあげる活躍を見せており、早くから次世代のフランスを担うストライカーとして注目が集まるようになる。
2004年にセカンドチームであるリヨンB(U-18)に昇格し20試合15得点を記録。2005年1月15日のメス戦で後半32分から出場しトップチームデビューを果たし、この試合でアシストを記録。その5日後にはリヨンと17歳でプロ契約を交わす。
当時のリヨンは「リヨン王朝」と呼ばれた程の黄金時代の真っ只中にあり、新人だったベンゼマはいきなり主力にはなれず、2006年までリヨンとリヨンBのどちらでも試合に出場していた。それでも、徐々にトップチームでの出場機会を増やし、2005-06シーズンのアジャクシオ戦でプロ初ゴールを決め、このシーズンのUEFAチャンピオンズリーグのローゼンボリ戦でもゴールを決めるなど、才能の片鱗を見せていた。
2006-07シーズンには出場機会を増やし、驚くべき成長スピードを見せるようになる。この頃はウイングやセカンドトップでプレーすることもあり、後に万能型のストライカーへと成長する礎を築いたシーズンでもあった。実力者が揃うリヨンで主力の地位を築くと、最終的に21試合に出場し5ゴールという成績を残し、リヨンのリーグ・アン6連覇に貢献する。
2007-08シーズンからは背番号を「10」に変更。シルヴァン・ヴィルトール、フローラン・マルダといった主力が退団したこともあり、クラブからの大きな期待を背負うこととなる。怪我がちだったフレッジからCFのポジションを奪うと、得点力が一気に開花しリヨンの若きエースとして君臨。最終的に36試合20得点を記録し、弱冠20歳にしてリーグ・アン得点王に輝き、リヨンのリーグ7連覇に貢献。また、CLでも7試合4得点を記録し、リヨンのベスト16進出に貢献。2008年のブラヴォー賞を受賞するなど大ブレイクしたシーズンとなった。
2008-09シーズンもリーグ・アンでは18得点を記録し、CLでも8試合5得点を記録。チームはリーグ・アン3位に終わって連覇が途絶え、リヨン王朝の時代は終焉することとなるが、ベンゼマ自身の評価は高る一方となり、リヨンより更に大きなビッグクラブからの注目を集めることとなる。
レアル・マドリード
2009年にスペイン・リーガ・エスパニョーラのレアル・マドリーへ移籍。移籍金3500万ユーロでの加入となったため大きな期待を集めたものの、移籍1年目はフランスからスペインへの環境の変化に適応できずゴンサロ・イグアインに定位置を譲るなど期待通りの活躍ができなかった。シーズン後にはフランク・リベリーと共に未成年の売春に関与した容疑をかけられるなど、散々なシーズンとなった。
同じ時期に加入したクリスティアーノ・ロナウドが1年目から大活躍したのもあり、レアル・マドリーのサポーターからは案の定ボロカス言われていたが、2010-11シーズン開幕前には自信たっぷりにこう語った。
「最高の~を披露する」という言い回しや翻訳はたまにされるが、ベンゼマはその前からおにぎりとネタにされていたこと、昨シーズンのベンゼマの出来がお世辞にもいいとは言えず冬に放出されるのがオチだと思われていたこと、実は性格が温厚であり普段は物静かな青年であることなど色々なことが組み合わさり、日本のサッカー界ネタ部門に残る迷言となってしまった。→最高のベンゼマ
背番号が「9」に変更となり、2010-11シーズンは例の発言通りの活躍が期待され、33試合15得点の活躍を見せたが、レアル・マドリーのサポーターがこれで満足するわけもなく批判にさらされた。加えて、練習での怠慢さからジョゼ・モウリーニョ監督からの信頼を得ることができずにいた。
しかしゴンサロ・イグアインが負傷し、冬にエマニュエル・アデバヨールが加入すると尻に火が付いたのかなんなのか、シーズン終盤に入ってから尻上がりに調子を上げた。移籍も噂されたが翌シーズンでの完全開花する期待を含めて残留。その再またもや自信たっぷりにこう語った。
宣言通り2011-12シーズンには2年目にしてついに有限実行。シーズン開幕前に体重を8㎏落としたことでキレのある動きを見せ、34試合に出場し21得点を記録。黄金時代を迎えていたFCバルセロナから4シーズンぶりにリーガの覇権を取り戻すことに貢献。UEFAチャンピオンズリーグでも7得点を記録し、本当のベンゼマとやらを見せつける結果となった。
なおクリスティアーノ・ロナウドが46得点、ゴンサロ・イグアインが22得点取っているのは内緒。
2012-13シーズンは、主力であるベテラン勢とモウリーニョ監督の対立が表面化し、自身も公式戦19ゴールに終わるなど、前年を下回るシーズンとなる。チームが無冠に終わったこともあり、批判に晒されることになるが、公式戦69ゴールを決めたクリスティアーノ・ロナウドの活躍を支えていた側面もあった。
2013-14シーズンにはゴンサロ・イグアインがナポリへ移籍したためファーストチョイスのFWとなり、チームメイトとの連携も安定し最高のベンゼマを披露。クリスティアーノ・ロナウド、この年加入したギャレス・ベイルとの3人でBBCトリオを形成し、35試合17得点9アシストを記録した。さらにUEFAチャンピオンズリーグでも活躍し、準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦の1st legでは決勝ゴールを決めている。決勝戦のアトレティコ・マドリー戦でもスタメン出場。レアル・マドリーのUEFAチャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献した。
2014-15シーズンは、破壊的な得点力を見せたバルセロナのMSNトリオに押されてリーガで苦戦し、その比較で肝心な試合でゴールを決められないことから批判を受ける。その一方、安定したポストワークと周りを使う巧さによってチーム内では唯一無二の存在となっていた。
2015-16シーズンもチームは混迷を極め、新監督のラファエル・ベニテスから与えられた役割に順応しきれず、代表のチームメイトであるマテュー・ヴァルブエナへの恐喝容疑がかけられたこともあり、低調なパフォーマンスが目立っていたが、2016年1月4日に祖国の英雄であり、同じアルジェリア系フランス人でもあるジネディーヌ・ジダンが監督が就任したことで事態は急転。就任最初の試合となった1月6日のデポルティボ・ラ・コルーニャ戦でゴールを決め、リーガ通算100ゴールを達成。その後もジダンからの絶大な信頼を得たことで調子を上げていき、リーガではキャリアハイとなる24ゴールを記録する。
2016-17シーズンも黒子の役に徹しながら、クリスティアーノ・ロナウドの相棒としての地位を確立。2016年12月7日のCLグループステージ第6節ボルシア・ドルトムント戦でCL通算50ゴールを記録する。同月のFIFAクラブワールドカップ2016では、準決勝のクラブ・アメリカ戦、決勝の鹿島アントラーズ戦で2試合連続ゴールを決め、優勝に貢献する。
2017-18シーズンのラ・リーガでは深刻なゴール欠乏症に陥り、サポーターやメディアからのバッシングがこれまでにないくらい大きくなる。同じく不調に陥っていたベイルと共にスタメンを外れる試合も見られるようになり、最終的にリーガでは5ゴールのみという不本意な成績に終わる。CLでも準々決勝、準決勝と重要な試合でスタメンから外され、チーム内での立場も揺らぎかけていた。しかし、2018年5月26日のCL決勝リヴァプール戦では相手GKのミスを誘って先制ゴールを決め、マドリーのCL3連覇という偉業達成に貢献する。
チームのアイコンだったクリスティアーノ・ロナウドが退団した2018-19シーズンは、これまで以上に責任がのしかかることとなる。しかし、ロナウドが抜けた影響は想像以上に大きく、チームは公式戦495分間連続でノーゴールが続くなど、深刻な得点力不足に悩まされる。そんな中でリーガでは21得点、公式戦通算30得点と奮闘。チームは無冠に終わったが、個人としては前年度の低評価を見返すシーズンとなった。
2019-20シーズンも前線の大黒柱として活躍。シーズン後半戦に差し掛かると、マルコ・アセンシオやヴィニシウスといった若いアタッカー陣を引っ張りながら自らもゴールを決め、ベイルやエデン・アザールが大きく期待を裏切った分、際立った活躍を見せる。2020年7月16日のラ・リーガ第37節ビジャレアル戦では2ゴールの活躍を見せ、4シーズンぶりとなるラ・リーガ優勝をもたらす。このシーズンでもリーグ2位となる21ゴールを決め、32歳にしてようやくチームの主役としてタイトルを獲得したシーズンとなった。
2020-21シーズンもルカ・モドリッチやトニ・クロースと共に3連覇を経験したメンバーの一人としてチームを引っ張る立場となる。過密日程となったシーズンの影響でチームは怪我人が続出し、自身も離脱した時期もあったが、2021年4月10日のバルセロナとのエル・クラシコで先制ゴールを決め、クラシコでのシーズン・ダブルに貢献。攻撃陣の核として奮闘し、決めるべきところで決めながら膨大な仕事量をこなしたが、チームは無冠に終わり、自身を信頼し続けたジダン監督はシーズン終了後に退任する。
2021-22シーズンは開幕から絶好調ぶりを見せ、2020年9月12日のラ・リーガ第4節セルタ戦では、ハットトリックの活躍を見せ、ラ・リーガ6試合終了時点で8ゴール7アシストという驚異的なスタッツを残す。11月3日のCLグループステージ第4節シャフタール・ドネツク戦で2ゴールの活躍によりチームを勝利に導くと、敵将のロベルト・デ・ゼルビから「彼はバロンドールにふさわしいし、現時点での世界最高のストライカーだ」と称えられる。シーズン折り返し時点で公式戦23試合20ゴール8アシストという記録を残し、好調を維持したチームの中心となる。2022年1月8日のラ・リーガ第20節バレンシア戦で史上4人目となるクラブ通算300ゴールを達成する。3月8日のCLラウンド16 2nd leg PSG戦では2点のビハインドを背負った状況から圧巻のハットトリックを達成し大逆転勝利を演出。まさに「最高のベンゼマ」が登場した一夜となった。なお、34歳でのハットトリックはCL最年長記録である。直後のラ・リーガ第28節マジョルカ戦でも2ゴール1アシストの大活躍。また、4月7日のCL準々決勝 1st leg敵地でのチェルシー戦でもハットトリックの活躍でチームを勝利に導き、史上4人目となるCL2試合連続ハットトリックの偉業を成し遂げた。さらに、ホームでの2nd legでは一度は逆転される苦しい試合展開となりながら延長戦に決勝ゴールを決め、またもやエースとしてチームを救う。さらに準決勝のマンチェスター・シティ戦でも2試合共にチームを救う重要なゴールを決めており、「ベルナベウの奇跡」と呼ばれる大逆転劇の立役者となる。結局、ラ・リーガでは27得点12アシスト、CLでは15得点で2つの大会で得点王を獲得。公式戦46試合44得点というキャリアハイの成績を残しレアル・マドリードの両タイトル獲得の最大の立役者となり、2021-22シーズンの主役となった。この功績が評価され、34歳にして初めて2022年のバロンドールに選出。名実ともに最高のベンゼマを披露する公約を守ることとなった。
2022-23シーズンも開幕3試合で3ゴールと順調なスタートを切るが、34歳という年齢も影響してか負傷を繰り返し、戦線を離脱することが多くなる。それでも高い決定力は維持しており、2023年4月2日のラ・リーガ第27節バリャドリード戦でハットトリックを決めると、4月5日のコパ・デル・レイ準決勝第2戦FCバルセロナとのエル・クラシコでは公式戦2試合連続ハットトリックを達成し、逆転勝利に貢献する。リーガ、CLのタイトルは逃したものの、公式戦34試合23得点と相変わらずの決定力を見せる。
2023年6月4日、14シーズンにわたってプレーしたレアル・マドリードからの退団を発表する。通算647試合に出場し、クラブ歴代2位の353ゴールという偉大な記録を残している。
アル・イテハド
2023年6月6日、サウジアラビア サウジ・プロフェッショナルリーグ(SPL)のアル・イテハドに加入することが発表される。3年契約で年俸1億ユーロ(150億円)、さらに高額なボーナスが含まれる巨額の契約と言われている。
リーグ開幕直後にヌーノ・エスピリト・サント監督と衝突し構想外となったと報道されたが、キャプテンとして出場した8月25日の第3節アル・リヤド戦では移籍後初ゴールを決め、チームを勝利に導いている。2023年12月にはFIFAクラブワールドカップ2023に出場し2試合連続ゴールを決めるが、チームは準々決勝でアル・アハリ・カイロに敗れている。12月16日のアル・ナスル戦でクリスティアーノ・ロナウドとの再会マッチが実現している。しかし今度はシーズン途中から監督に就任したマルセロ・ガジャルドとの確執が表面化し、練習を無断でボイコットするなど問題行動も見られるようになる。リーグ戦9ゴール7アシストと期待に応えたとは言えず、チームの成績もイマイチだったことからファンから「敗北者の息子」と詰られ、自身のインスタグラムの公開を停止する事態となる。このまま欧州に戻るという報道も出たが、ガジャルド監督が解任されたこともあってクラブに残留する。
2年目となった2024-25シーズンは第2節で初ゴールを決めると、第3節のアル・ワフダ戦では移籍後初となるハットトリックの大活躍でチームの大勝に貢献。そこから第7節のアル・カーディーシヤ戦まで6試合連続ゴールを成し遂げる。旧知の仲である元フランス代表監督のローラン・ブランが監督に就任したこともあり、好調をキープ。たびたび批判を浴びた前のシーズンとは打って変わってキャプテンとして首位を走るチームを牽引し、クリスティアーノ・ロナウドと得点王争いを演じる。豪華なメンバーが顔を揃えることとなった2025年2月25日のアル・ヒラルとの首位攻防戦ではダメ押しとなる4点目を決め、大きな勝利をもたらす。
フランス代表
各世代別のフランス代表に呼ばれており、U-17フランス代表としてサミル・ナスリやジェレミー・メネズと共に2004年のU-17欧州選手権優勝を経験している。
アルジェリア国籍も持っているためアルジェリア代表に入る可能性もあったが、フランス代表を選択。2007年3月28日のオーストリアとの親善試合でフランス代表デビュー。この試合で代表初ゴールとなる決勝ゴールを決め、以降も代表に定着するようになる。
2008年6月に開催されたUEFA EURO2008のメンバーにも選出され、背番号10を背負う。しかし、初戦のルーマニア戦、第3戦のイタリア戦にスタメンで出場したものの目立った活躍を見せられないままで終了する。
その後、不可解な采配を続けるレイモン・ドメネク監督のもとで混乱期にあった代表で南アフリカW杯欧州予選を戦ったが、レアル・マドリード移籍後に調子を落としたこと、さらには未成年を売春した疑惑をかけられた影響もあり、2010年ワールドカップ本大会のメンバーから外れる。
ローラン・ブラン監督が就任したフランス代表に復帰し、2012年6月に開催されたUEFA EURO2012に出場。4試合全試合に1トップとしてスタメンで起用されるが、ノーゴールに終わり、チームも当時黄金期にあったスペイン代表に完敗し、ベスト16止まりとなる。
この頃、代表では一時期ゴール欠乏症に陥っており、2012年6月6日のエストニアとの親善試合以降2013年10月11日のオーストラリアとの親善試合まで実に15ヶ月、約20時間以上、時間にして1200分以上に渡りノーゴールが続いていた。エースとしての役割が全うできず批判も集まっていたが、ブラジルW杯欧州予選プレーオフ、ウクライナとの第2戦ではトータルスコアをタイに戻すゴールを決め、本大会出場権獲得に貢献。
2014年6月には自身初出場となる2014 FIFAワールドカップ ブラジル大会に出場。グループリーグ初戦のホンジュラス戦で2ゴールの活躍を見せ、MOMに選ばれると、続くスイス戦でもゴールを決めて2試合連続でのMOMに選出され、グループリーグ突破に貢献。ベスト8まで進んだ今大会ではエースとして5試合に出場し3得点を挙げる活躍を見せた。よかったねベンゼマちゃん!
2015年11月に、性行為を映した映像を利用し、同じフランス代表の僚友マテュー・ヴァルブエナを恐喝に関与した容疑でフランス警察当局に逮捕される。本人は容疑を否認したものの、フランス首相を務めていたマニュエル・ヴァルスから「偉大なスポーツ選手は模範的でないとならない。そうでないならば、フランス代表のチームに居場所はない」と批判され、フランスサッカー連盟からは無期限代表活動停止処分が科される。その後、代表監督のディディエ・デシャンを批判したことで両者に確執が生まれたこと、EURO2016準優勝、2018ワールドカップ優勝とベンゼマが抜けたフランス代表が結果を残したこともあり、2015年10月を最後に代表に選ばれていなかった。
2021年5月18日、EURO2020に出場するフランス代表のメンバーに選出され、およそ5年半ぶりに代表に復帰することとなる。6月2日におこなわれたウェールズとの親善試合でスタメンに名を連ね、PKのチャンスを得るが相手GKにストップされている。大会直前のテストマッチとなったブルガリア戦では前半41分に負傷でピッチを後にするアクシデントに見舞われるが、軽傷だったため本大会には間に合わせる。
EURO2020グループステージでは、ドイツ戦、ハンガリー戦と2試合続けて不発に終わり批判を浴びるが、第3節のポルトガル戦では前半終了間際にPKを決め、代表での5年258日ぶりの得点を記録。さらに、後半2分にもゴールを決め、フランスの首位通過に貢献。また、この試合ではかつて名コンビを組んでいたクリスティアーノ・ロナウドとの再会が注目を集め、そのロナウドも2ゴールを決めている。ラウンド16のスイス戦でも2試合連続での2ゴールを決めたものの、チームは2点のリードを守り切れずにまさかのPK戦で敗退。優勝候補筆頭に挙げられながらベスト16で姿を消す。
2021年10月のUEFAネーションズリーグ2020-21ファイナルでは準決勝のベルギー戦で反撃の狼煙となるゴールを決め、さらに決勝のスペイン戦では同点ゴールを決め、フランスの初優勝に貢献。自身にとっては代表での初タイトルとなった。2021年11月13日の2022 ワールドカップ欧州予選第9節カザフスタン戦では、2ゴールを決めフランスの8ゴールを奪っての大勝に貢献し、ワールドカップ出場権を獲得する。
2022 FIFAワールドカップのメンバーにも選出されるが、直前の代表合宿中に左太ももを負傷し、2022年11月20日に大会の欠場が発表される。大会中の復帰の噂も流れたが、結局最後まで実現しなかった。大会終了後の12月15日にフランス代表からの引退を表明する。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2004-05 | ![]() |
リヨン | リーグ・アン | 6 | 0 |
2005-06 | ![]() |
リヨン | リーグ・アン | 13 | 1 |
2006-07 | ![]() |
リヨン | リーグ・アン | 21 | 5 |
2007-08 | ![]() |
リヨン | リーグ・アン | 36 | 20 |
2008-09 | ![]() |
リヨン | リーグ・アン | 36 | 17 |
2009-10 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 27 | 8 |
2010-11 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 33 | 15 |
2011-12 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 34 | 21 |
2012-13 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 30 | 11 |
2013-14 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 35 | 17 |
2014-15 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 29 | 15 |
2015-16 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 27 | 24 |
2016-17 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 29 | 11 |
2017-18 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 32 | 5 |
2018-19 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 36 | 21 |
2019-20 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 37 | 21 |
2020-21 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 34 | 23 |
2021-22 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 32 | 27 |
2022-23 | ![]() |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 24 | 19 |
2023-24 | ![]() |
アル・イテハド | SPL | 21 | 9 |
2024-25 | ![]() |
アル・イテハド | SPL |
個人タイトル
- バロンドール(2022年)
- UEFA欧州最優秀選手賞(2021-22)
- フランス年間最優秀選手賞:4回(2011年, 2012年, 2014年, 2021年
- トロフェオ・アルフレッド・ディ・ステファノ)(2019-20)
- オンズドール(2020-21, 2021-22)
- フランス・フットボール誌新人賞(2006年)
- リーグ・アン得点王(2007-08)
- リーグ・アン最優秀選手賞(2008年)
- リーグ・アンベストイレブン(2008年)
- ピチーチ賞 (2021-22)
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王:1回 (2021-22)
プレースタイル
スピード、テクニック、パワー、センスを合わせて持った万能型のFWであり、ゴールのみならず、周りを使う技術や安定したポストプレーを得意としている。リヨン時代は彼の憧れでもあるブラジルの怪物ロナウドを彷彿とさせる単独突破でゴールを奪うストライカーだったが、レアル・マドリードに移籍してからはより10番に近いスタイルへと変貌している。識者の中には彼は9番(センターFW)というよりは9.5番(セカンドトップ、トップ下)と評するものもいる。
前線で張っているよりも、頻繁に中盤やサイドに顔を出してゲームメイクに関与するタイプで、フィジカルとボールコントロールを活かしたポストプレーでタメを作る。彼のキープ力によって時間が作れるため、全体が押し上げられ、攻撃に幅が生まれる。また、前線から動くことで相手DFを引っ張り出す技術にも優れ、味方のためにスペースを提供する。クリスティアーノ・ロナウドがゴールを量産できたのもベンゼマが奥行きを作りつつ、相手を引き付けてスペースを作り出したことが大きい。
得点力不足から批判を受けることが多いが、周りのエゴイストを気分よくプレーさせるために欠かせない存在であり、器用さ故に叩かれていた部分は大きい。クリスティアーノ・ロナウドが退団した後はストライカーとしても結果を残しており、コースを突いた巻いたシュートをもっとも得意としている。
最高のベンゼマ伝説
- 「知らない人に対しては自分を閉じ込めてしまう」と告白。
- ミス連発でマドリーサポーターからブーイングを受け、泣きそうな顔になりながらプレーする。
- 制限速度100kmの高速道路で200km超えのスピードを出しながらカーチェイスを行い、スピード違反で捕まる。
- 自宅の門に車で衝突。
- バカンス先のレユニオン島で借りたランボルギーニが路上に乗り上げ衝突する。
- 売春容疑で大きな騒ぎとなり御用になりかける(その後無罪だと発覚)。
- ベンゼマサイクロン発動。
- 代表のチームメイトであるヴァルブエナに対する恐喝容疑で逮捕され、フランス代表から5年半追放される。
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i ゝ、_ | ´ ̄` | ,. '´ハ ,!
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\ノ ノ ハ ̄r/:::r―--―/::7 ノ /
ヽ. ヽ::〈; . '::. :' |::/ / ,. "
`ー 、 \ヽ::. ;:::|/ r'"
/ ̄二二二二二二二二二二二二二二二二ヽ
| 答 | 実質ベンゼマの得点 │|
\_二二二二二二二二二二二二二二二二ノ
関連動画
関連項目
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