カリ・タピオ単語

2件
カリタピオ
1.4千文字の記事
  • 3
  • 0pt
掲示板へ

カリ・タピオ(Kari Tapio)とは、フィンランドシュラガー(中欧北欧ポップミュージック歌手イスルマフィンランド歌謡曲歌手である。

本名はKari Tapani Jalkanen(カリ・タパニ・ヤルカネン)。2010年12月7日逝去。

概要

1945年11月22日フィンランド東スオミ州北サヴォ県スオネンヨキにて誕生。

フィンランドといえばメタルバンドが多いことで知られるが、フィンランド演歌とも言うべき歌謡曲イスルマ」も盛んに歌われている。カリ・タピオはフィンランド歌謡界の重鎮で大御所的存在であった。

音楽性としてはカントリーミュージックに強くをうけている。外曲のカバーが多く、特にジョニーキャッシュウェイロン・ジェニングス、クリスクリストファーソンの楽曲をカバーすることが多い。フィンランド語版のめざせモスクワもすかう)も歌っている。低音ボイスで哀愁漂うコッテコテ歌謡曲調の曲が多いが、ロックも歌う。

息子フィンランドスラッシュメタルバンドStone」のギタリスト、ジリ・ヤルカネンがいる。

来歴

1960年代、東スオミ州南サヴォ県ピエクサマキローカルバンド「ER-Quartet and Jami & the Noisemakers」の一員として音楽活動を開始。1966年にはオペラ歌手のトゥーレ・アラに楽のレッスンを受けた。

1970年代ダニーことイルッカ・リプサネン(世界で一番ダサいシリーズの歌「I Want To Love You Tender」を歌っている男の人)のマネージャーを勤めながら活動。なお、歌手になる前は印刷所で植字工を勤めていた。

1972年、初めてのレコード「Tuuli kääntyköön/Niskavuoren nuorimmainen」を発売。1976年「Laula kanssain」(JACKPOTSing My Love Song」のフィンランド語カバー)、1977年に「Viisitoista kesää」(「Living Next Door to Alice」のカバー)、「kaipuu」が発売され、ヒットする。1983年には「Olen suomalainen」(トト・クトゥーニョ「L'Italiano」のカバー)にて初めてゴールドディスク賞を受賞。また1995年「Myrskyn jälkeen」が大ヒット。この2曲がカリ・タピオの代表曲となる。1990年代、カリ・タピオはゴールドディスク賞6回、プラチナディスク賞1回を受賞した。

2000年代は歌謡界の大御所としての地位を確立し、最も人気がある男性イスルマ歌手として何度か選出された。2003年イスルマフィンランディア賞を受賞。2008年には欧州放送連合EBU)加盟放送局によって開催されるユーロビジョン・ソング・コンテストい話がヨーロッパ対抗歌合戦)のフィンランド代表選考会で「Valaise yö」を歌唱。代表の座は「Missä miehet ratsastaa」を歌唱したメタルバンドテラスベトーニに譲るものの選考会2位く。

2010年12月7日、自宅のある南スオミ州ウーシマー県エスポーにて心筋梗塞により逝去。1996年心臓を患っており、そのも考えられた。同22日、エスポー内の教会葬儀が行われた。教会にはファン700名が集まったという。

関連動画

関連商品

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 3
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

WhiteCUL (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: すずくろ
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

カリ・タピオ

1 ぬこみらん敗残兵()
2012/01/13(金) 21:08:46 ID: 3hC7e8hg+d
あの人亡くなったのか…ご冥福をお祈りします
👍
高評価
0
👎
低評価
0