カルロ・アンチェロッティ単語

カルロアンチェロッティ
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カルロ・アンチェロッティCarlo Ancelotti, 1959年6月10日 - )とは、イタリア出身の元サッカー選手、現サッカー導者である。称は「カルレット」。
レアル・マドリード監督。元サッカーイタリア代表

現役時代のポジションMF。179cm80kg。利き足は右足。

概要

イタリアのレッジョ・エミリア県レッジョーロ出身。史上7人しかいない選手・監督の両方でUEFAチャンピオンズリーグCL優勝を経験した人物であり、史上最多となる4度のCL制覇を達成した監督であり、史上初の5大リーグリーグ優勝を経験した監督でもある。

現役時代はASローマACミランで活躍し、1980年代後半から1990年代前半にかけてのアリーゴ・サッキ監督率いる「グランデ・ミラン」の一員として数々のタイトル獲得に貢献している。イタリア代表として二度FIFAワールドカップ1986年1990年)に出場。選手時代のプレースタイルは、センターハーフとしてプレッシングサッカーの肝となり、攻守の繋ぎ役を担っていた。ハードプレースタイルから「タイガー」と呼ばれていた。

引退後に導者に転身し、古巣であるミランでスクデット獲得とCL優勝2回を達成。その後、チェルシーパリ・サンジェルマンレアル・マドリードバイエルン・ミュンヘンといった各ビッグクラブ監督を歴任している。導者としては、初期の頃は恩師であるサッキのやり方を踏襲していたが、ミラン監督に就任してからはスター選手の扱いに長けた監督となり、選手との対話や関係を良好に保つことを重視するスタイルとなっている。

現役時代の経歴

クラブ

1976年に当時はセリエCに在籍していたパルマACプロサッカー選手としてのキャリアスタートさせる。プロ2年となった1977-78シーズンに出場機会を増やすようになり、1978-79シーズンは中心選手としてセリエB昇格に貢献する。

1979年セリエAACローマへ引き抜かれる。リーグ戦2試合ペスカーラ戦でセリエAゴールを決め、その後レギュラーに定着。当時、ローマはニルス・リードホルム監督のもとで黄金時代に突入しており、加入1年でコパ・イタリア優勝。そして、1982-83シーズンは、パウロロベルトファルカンブルーノ・コンティらを擁したチームの一員として、クラブ史上初となるスクデット獲得に貢献。翌年のチャンピオンズカップではチームは決勝まで進むが、怪のためにリヴァプールとの決勝を欠場。その後はチームキャプテンを務め、8シーズン在籍し公式戦227試合17得点という成績を残し、2014年チーム殿堂入りを果たしている。

1987-88シーズンセリエAの名門ACミランへ移籍。このときローマ放出を渋ったことから移籍期限終了間際にミランは当時としては大であった移籍5億円を支払っている。ここでその後のサッカー人生で大きなを受けるアリーゴ・サッキ監督と出会い、サッカー界に革命をもたらしたチームの一員として移籍1年でスクデットを獲得。1988-89シーズンUEFAチャンピオンズカップ準決勝のレアル・マドリード戦では先制ゴールを決め、チームを5-0での勝利に導いたことでミラン優勝に貢献。オランダトリオを擁したミランでは縁の下の持ちといった役割だったが、サッキ監督のプレッシングサッカーを体現する存在として活躍し、1989年には来日してトヨタカップ優勝に貢献。1989-90シーズンチャンピオンズカップでもとして連覇に貢献。「グランデ・ミラン」と呼ばれたミラン黄金期到来に尽した。1991-92シーズンになると、若いデメトリオアルベルティーニが台頭したことで控えに回ることが多くなり、この年のスクデットを置き土産に33歳で現役を引退ホームでの最後の試合となったヴェローナ戦では2ゴールを決めている。

イタリア代表

イタリア代表には、ローマでの活躍が認められ1981年デビュー。しかし、定着することができず、スクデットを獲得したローマチームメイトが多く選出された1982 FIFAワールドカップメンバーからは落選。その後、しばらくの間代表から遠ざかるが、1986年におよそ2年ぶりに代表へ復帰すると、1986 FIFAワールドカップメンバーに選出される。しかし、結局出場機会は訪れなかった。

1988年ドイツで開催されたEURO88に出場。1990年に地元開催となった1990 FIFAワールドカップメンバーにも選出され控えという立場だったが、3位決定戦のイングランド戦にはスタメンで出場し、3位入賞に貢献している。

イタリア代表通算 26試合1得点

指導者としての経歴

キャリアスタート期

現役引退後の1992年に、イタリア代表の監督に就任したアリーゴ・サッキからの要請を受けてイタリア代表のアシスタントコーチに就任。1994 FIFAワールドカップにも帯同し、ミラン時代の恩師であるサッキからプレッシングサッカーのノウハウや守備戦術の構築を学び、後の監督業の礎を築いている。

1995年にセリエBのレッジャーナの監督に就任し、監督としてのキャリアスタートさせる。前年にセリエAから降格したことでが流出したため乏しい戦だったが、サッキ仕込みの4-4-2をベースとしたソリッドチームを作り、セリエBで3位という成績を残し、1シーズンでのセリエA昇格を果たす。初監督として順調なスタートを切るが、シーズン終了後に退任している。

パルマ

1996年、解任されたネヴィオ・スカラの後任としてパルマAC監督に就任。就任々、チーム徴的な存在であったジャンフランコ・ゾラとの確執が表面化し、ゾラ放出。さらに、18歳ジャンルイジ・ブッフォンを正GKに固定し、ファビオ・カンナヴァーロリリアン・テュラムという若手を守備の中心に抜。若い彼らは期待に応え、世界でも屈といわれた強固な守備ユニットを構成する。2トップにも若いエルナンクレスポとエンリコ・キエーザを軸に抜するチーム革をおこなう。こうしてパルマはゾーナルな守備組織を売りにしたソリッドチームに生まれ変わり、大躍進を遂げる。ユヴェントスインテルしいスクデット争いを繰り広げるが、最終的に勝ち点わずか2差でユヴェントスがスクデットを獲得する。それでも、若い戦を抜シーズンわずか26失点という安定したチームを作り上げたアンチェロッティの手腕は高く評価された。

1997-98シーズンも前年度と同じく4-4-2のソリッドな守備をベースにしたチームを作るが、攻撃のパターンが単調であることが露呈されたことでユヴェントスインテルに引き離され、5位に終わる。シーズン終了後、退任する。

ユヴェントス

1998-99シーズン途中に成績不振を理由に解任されたマルチェロ・リッピの後任としてユヴェントス監督に就任。しかし、エースアレッサンドロ・デル・ピエロシーズンを棒に振るほどの大怪を負い、ジネディーヌ・ジダンの多くもワールドカップの疲労によって本来のを出し切れず、深刻な得点不足に陥ってしまう。ティエリ・アンリを獲得するが、不慣れな左ウイングで起用したことでを発揮することができず、チームは3連覇を逃し、6位という不本意な成績に終わる。このときのアンリの起用法について後に「キャリアで最大の汚点」と振り返っている。

ユーヴェで2年となった1999-00シーズンは、怪明けのデル・ピエロのコンディションがなかなか回復しなかったこともあり、中盤の形をフランス代表の形に変え、ジダン中心のチームを作る方針転換をおこなう。これまでは師匠であるサッキの哲学を踏襲した10番タイプを必要としないソリッドチームを作っていたが、それまでの考え方を根本的に見直し、1人の天才プレイヤーを中心にするチーム作りを推し進める。結果、チームの立て直しに成功し最終節を首位で迎えるが、最終節でペルージャを相手にまさかの敗戦を喫し、アルベルト・ザッケローニ率いるミランの逆転優勝を許してしまう。

2000-01シーズンも引き続きジダンを中心としたチーム作りをおこない、新戦ダビド・トレゼゲがフィットしたこともあって優勝争いに加わるが、フランチェスコ・トッティガブリエル・バティストゥータを擁したASローマが立ちはだかる。勝てば首位奪取となるシーズン後半戦のローマとの天王山では2点をリードしながら中田英寿の1ゴールを含む活躍によって引き分けに持ち込まれる。結局そのままローマ逃げ切られ、またしても2位に終わる。シーズン終了後、就任3年間で全くタイトルを獲得できなかったことを理由に解任となる。パルマ時代も含めて三度2位に終わったことで一部メディアからは「シルバーコレクター」と揶揄される。

ミラン

2001-02シーズン途中に、成績不振で低迷する古巣ACミラン監督に就任。難しい状況で揮を執ることになったが、見事にチームの立て直しに成功し4位でシーズンを終えCL出場権を獲得。UEFAカップでもベスト4進出を果たしている。

2002-03シーズンラツィオからアレサンドロ・ネスタが加入したことで最終ラインがさらに強固なものとなり、リバウドやクラレンス・セードルフといったタレントが加わったことで前年までの守備的なサッカーからアタッカーの個のを引き出すためにパスワークで崩すスタイルへと転換していく。その徴だったのがレジスタ(中盤の底)の位置にアンドレア・ピルロを置いたシステムだった。ピルロの両をジェンナーロ・ガットゥーゾやマッシモ・アンロジーニといった守備に長けた選手でプロテクトした中盤の形は「ピルロシステム」とも呼ばれ、ピルロゲームメイクの中心となることでイタリアではしい麗なパスサッカーを展開。これまでの退屈なサッカーをする監督という評価が覆されるようになる。まず、コッパ・イタリア優勝監督キャリアタイトルを獲得すると、CL決勝ではユヴェントスとの同対決PK戦の末に制し、ミランに8シーズンぶりのビッグイヤーをもたらす。個の結果、選手と監督両方でCL優勝を達成した史上4人の人物となった。

2003-04シーズンは、この年からフロント入りしたレオナルドの尽によってブラジル代表のカフーとカカが加入。特に、将来の投資と見られていた当時21歳のカカは驚くべき適応を見せる。アンチェロッティはい段階でトップ下のポジションをマヌエル・ルイ・コスタからカカに代え、攻撃の中心に添える決断を下す。パオロ・マルディーニネスタ、カフーで形成したバックライン世界最高レベル鉄壁の守備を誇り、ピルロ、セードルフ、カカを擁した中盤は常に優勢を保ち、アンドリューシェフチェンコは24ゴール記録得点王を獲得。結果、ミランに5シーズンぶりのスクデットをもたらす。

2004-05シーズンリーグ戦は2位に終わるが、CLでは2シーズンぶりに決勝に進出する。トルコイスタンブールで開催されたリヴァプールとの決勝は、マルディーニゴールで幸先よく先制すると、前半だけで3点をリードする。ところが、後半やったことのなかった3バックに変更したリヴァプール戦略に対応できず、わずか6分間で立て続けに3点を失い、同点に追いつかれてしまう。最後はPK戦で敗れ、後にイスタンブール奇跡と呼ばれる歴史に残る大逆転負けを喫してしまう。アンチェロッティはこの悪夢から1年間はこの試合の映像を見ないようにするほどのショックを受けたらしい。

2005-06シーズンは、シェフチェンコが2年連続得点王となる19ゴールジラディーノが17ゴールカカが14ゴールベテランインザーギが12ゴールと攻撃って結果を残しリーグ最多となる85得点記録するが、ネスタ、マルディーニ、スタムら守備の中心となる選手が怪がちだったこともあって安定感を欠き、リーグでは3位に終わる。前年の辱に燃えたCLも準決勝でロナウジーニョを擁したFCバルセロナに敗れ、シーズン冠となる。

2006-07シーズンは、前年に発覚したカルチョスキャンダルによって勝ち点8を剥奪された状態でシーズンスタートさせることになる。加えて、エースストライカーシェフチェンコが移籍。代役を期待されたジラディーノの深刻なスランプもあって得点不足に悩まされる。しかし、に加入したロナウドが期待通りの活躍を見せたことでセリエAは4位で終え、CL出場権獲得という最低限のノルマクリアする。一方、規定によってロナウドを起用することができないCLでは、カカを最大限に引き出すために中盤を分厚くしたクリスマスツリーと呼ばれる4-3-2-1を採用。よりゴールに近い位置でプレーできるようになったカカ大車輪の活躍を見せ、CL10ゴール記録。前評判を覆して決勝に進出。決勝は2年前の悪夢を味わったリヴァプールと再び対戦することになるが、シーズンの大半を怪で棒に振ったインザーギが大舞台で2ゴールを挙げる殊勲の活躍を見せ、自身二度となるCL優勝を達成。

2007-08シーズンは、カカが孤軍奮闘し続けるが、衰えが隠せなくなったベテラン勢が軒並みシーズンフル稼働ができず、々と優勝争いから脱落してしまう。2007年12月FIFAクラブワールドカップでは、カカの活躍によって優勝し、1月デビューしたブラジルの新アレシャンド・パトが後半戦だけで9ゴールを決めたが、最終的に5位に終わり、就任以来初めてCL出場権を逃すことになる。

2008-09シーズンフロント導でロナウジーニョデイヴィッド・ベッカムというビッグネームが加入し、うまくチームマネージメントをこなしていくが、ピルロが怪で離脱した時期にチームは機性を失って失速。この頃にはフロントとの間にも溝ができており、すっかりに定着したパトの活躍などのプラス面は評価されず、冠に終わった責任を押し付けられる格好で退任する。それでも、ミランで8年間の長期政権を築き、スクデット1回とCL2回のタイトルをもたらした功績に対してミラニスタは賛辞を送り、シルビオ・ベルルスコーニ会長ら首批判の矛先が向けられた。

チェルシー

2009年より、イングランドプレミアリーグチェルシーFC監督に就任し、現役時代も含めたキャリア初の海外での挑戦を始める。就任々にコミュティーシールドを制し初タイトルを獲得すると、ジョゼ・モウリーニョ監督とは違う選手の個性を重視した攻撃サッカーで勝ち点を稼いでいく。特にマンチェスター・ユナイテッドリヴァプールアーセナルといったライバルチームとの直接対決で6戦全勝を達成。ディディエ・ドログバが29ゴールフランク・ランパードが22ゴールと攻撃爆発プレミアリーグ記録となる102ゴール記録優勝争いは最終節までれたが、見事チェルシーに4シーズンぶりとなるプレミアリーグ優勝をもたらす。さらに、FAカップでも連覇を達成しており、プレミアリーグ初挑戦にしてシーズン二冠という結果を残す。

2010-11シーズンシーズン序盤は好調で連覇へ期待を抱かせるが、の怪や不調が重なった中盤戦に失速。1月に巻き返しの切り札としてリヴァプールからフェルナンド・トーレスを獲得するが、トーレスがなかなかチームフィットすることができず、最適解を見出すことに手間取ってしまう。シーズン終盤戦に巻き返すが、首位を独走していたマンチェスター・ユナイテッドに追いつくことはできず。CLでもベスト8でユナテッドに敗れ、冠に終わる。シーズン終了後、ロマンアブラモビッチ会長の意向によって解任となる。

パリ・サンジェルマン

半年ほどフリーの期間が続くが、2011年12月30日ミラン時代に同僚だったレオナルドSDに誘われてフランスリーグ・アンパリ・サンジェルマンFC監督に就任。カタール資本による巨額の投資がされ生まれ変わったチーム揮を執るが、勝ち点3ポイント届かず、2011-12シーズンモンペリエに優勝をさらわれる。

2012-13シーズンチームは前年以上の巨額のマネーを投下し、古巣のミランからズラタン・イブラヒモビッチチアゴ・シウバを獲得。持ち前のスター選手をコントロール人心握術によってチームは開幕から圧倒的な強さを見せていく。CLでは、ベスト8でバルセロナを相手に惜しくも敗れるが、リーグでは大補強の玉だったイブラヒモビッチが30ゴールという荒稼ぎで得点王となり、19シーズンぶりとなるリーグ・アン優勝をもたらす。

レアル・マドリード

2013年6月15日スペインリーガ・エスパニョーラレアル・マドリード監督に就任。クラブ史上最高額でガレス・ベイルが加入したことから前線に右からベイルカリム・ベンゼマクリスティアーノ・ロナウドBBCトリオを並べたフォーメーションを採用。GKは好調を維持するディエゴロペスリーグ戦、チーム徴であるイケル・カシージャスCLに起用する分業制としていた。さらに、後のジダン政権にもを与えたルカ・モドリッチトニ・クロースをビルドアップ時にサイドバックの後方のエリアに落ちさせる戦術を採用。さらにはアンヘル・ディ・マリアインサイドハーフで起用することで前線の守備意識の低さという弱点を補する。リーガでは混戦の末に優勝を逃したが、コパ・デル・レイ優勝スペインでの最初のタイトルを獲得。CLでは準決勝でジョゼップ・グアルディオラ監督率いるバイエルン・ミュンヘンを圧倒的な強さで粉砕すると、アトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーとなった決勝も制し、レアル・マドリードに記念すべき10度ビッグイヤー(ラ・デシマ)を達成。自身もボブ・ペイズリーと並ぶ史上最多の3度CL優勝となった。

2014-15シーズンBBCトリオが開幕から好調を維持し、サッカー史上3番記録となる22連勝を記録するなど好調を維持するが、後半戦になると失速。リオネル・メッシネイマールルイス・スアレスMSNトリオを擁したバルセロナに引き離され、またもリーガタイトルを逃す。CLでは準決勝で古巣でもあるユヴェントスに敗れ、史上初のCL連覇の標が潰えてしまう。クラブワールドカップこそ優勝したものの、タイトル冠に終わる。このシーズンの失速はフロント導でシャビ・アロンソディ・マリア放出したが大きく、選手たちからも続投がめられたが、最後はフロレンティーノ・ペレス会長の独断によってシーズン終了後に解任となる。

バイエルン・ミュンヘン

1年間の充電期間を経て、2016-17シーズンよりペップ・グアルディオラの後任としてドイツブンデスリーガバイエルン・ミュンヘン監督に就任。基本的にはグアルディオラのポゼッションスタイルを踏襲しながら、グアルディオラのような新的な配置転換やフォーメーションは止し、守備のバランスを意識したチーム作りを推し進める。エースロベルト・レバンドフスキが30ゴールを決める大活躍を見せたことでリーグ5連覇を独走状態で達成。しかし、CLではベスト8でかつてアシスタントを務めたジダン率いるレアル・マドリードの前に延長戦で敗れる。DFBポカールでもボルシア・ドルトムントに敗れ、タイトルリーグのみとなった。

2017-18シーズンになると、自身がリクエストしたハメス・ロドリゲスの獲得が実現するが、一部のとの確執が表面化したことでチーム握できなくなり、不安定な戦いが続く。そして、CLグループステージ第2節でパリ・サンジェルマン敗すると、直後の2017年9月28日に成績不振を理由に解任となる。自身の監督キャリアにおいて初めてとなるシーズン途中での退任劇となった。

ナポリ

2018-19シーズンからはイタリアセリエASSCナポリ監督に就任し、10年ぶりにイタリア揮を執ることになる。マウリツィオ・サッリ前監督スタイルを踏襲しながら、フォーメーションを中盤をフラットにした4-4-2とし攻守のバランスをとるというバイエルン時代と同じようなアプローチおこなう。死の組に入ったCLでは奮闘したものの惜しくも3位でグループステージ敗退となる。それでもホームでのリヴァプール戦では、欧州を席巻していたユルゲン・クロップ監督の戦術を攻略して勝するなど手腕を発揮している。セリエAでは絶対王者ユヴェントスに喰らいつくも、最後は独走を許し2位に終わる。

2019-20シーズンは悲願のスクデット獲得に向けてチームは大補強を敢行。開幕前は優勝補に挙げるも多かった。しかし蓋を開けてみると、チーム徴だったマレク・ハムシクが退団したもあってチームはまとまらず、勝ち切れない試合が続く。2019年11月5日CLレッドブルザルツブルク戦後に成績不振に激怒したアウレリオ・デ・ラウレンティ会長チームに緊急合宿を命じたものの、一部の選手が拒否して帰宅するという騒動が起きる。これを機にフロントと対立するようになり、チーム混乱責任を負わされる形で12月10日に解任となる。ちなみに後任となったのはミラン時代の教え子だったガットゥーゾだった。

エヴァートン

ナポリを解任となったわずか10日後の2019年12月21日イングランドプレミアリーグエヴァートンFC監督に就任。降格圏に転落した最悪なチーム状態で揮を執ることになるが、ドミニクキャルバート=ルーウィンエースとして抜し、トム・デイヴィスら若手を積極的に起用することでチームの立て直しを図る。キャルバート=ルーウィンは13ゴールを決め、降格という最悪の結末は回避できたものの、遅れを取り戻すことができず12位に終わる。

2020-21シーズンは、教え子であるハメス・ロドリゲスアランの獲得が実現し、キャルバート=ルーウィンが絶好調だったこともあって50年ぶりとなる開幕4連勝を達成。一時は首位に立つも、の負傷や新型コロナウィルス感染のもあって次第に失速。リヴァプールとのマージー・サイド・ダービーでは敵地アンフィールドで25年ぶりに勝利したが、チームは浮上することなく10位という結果に終わる。

レアル・マドリード復帰

2021年6月1日スペインラ・リーガレアル・マドリード監督に6年ぶりに復帰することが電撃的に発表される。ジダン監督が作ったチームの土台を壊さず、すぐにチーム握。堅守をベースにしながらカウンターで仕留めるシンプルスタイルチームを作っていく。守備ではイタリア監督らしい細かい戦術を構築しながら、攻撃は選手の個人技に任せ、選手の個のを最大限に発揮させる自らの得意分野と選手たちの個人戦術の高さという相性の良さがプラスになっていく。特に若いヴィニシウスの才を開させることに成功し、ベンゼマと共に攻撃の切り札として活躍。バルセロナアトレティコというライバルの躓きもあって首位を独走する。ラ・リーガ第29節のエル・クラシコでは自らの戦術ミスが災いとなってバルセロナに0-4で敗し、一時は監督の立場が危うくなるほど批判を受けるが、そのまま前回の就任時には達成できなかったラ・リーガ制覇を成し遂げ、史上初の5大リーグ制覇を達成。CLでは前評判はさほど高くなかったものの、決勝トーナメントではPSGチェルシーマンチェスター・シティという強との戦いをベンゼマの大活躍もあって全て逆転で勝ち抜くというドラマティックな展開を演出。決勝でもリヴァプールを破り、史上最多となる通算4回CL優勝を果たした監督となる。

監督としての成績

シーズンクラブリーグ順位獲得タイトル
1995ー96 レッジャー セリエB 4位
1996ー97 パルマ セリエA 2位
1997ー98 パルマ セリエA 5位
1998ー99 ユヴェントス※1 セリエA 6位
1999ー00 ユヴェントス セリエA 2位
2000ー01 ユヴェントス セリエA 2位
2001ー02 ミラン※1 セリエA 4位
2002ー03 ミラン セリエA 3位 コッパ、CL
2003ー04 ミラン セリエA 1位 リーグ
2004ー05 ミラン セリエA 2位
2005ー06 ミラン セリエA 3位
2006ー07 ミラン セリエA 4位 CL
2007ー08 ミラン セリエA 5位
2008ー09 ミラン セリエA 3位
2009-10 チェルシー プレミアリーグ 1位 リーグFA
2010-11 チェルシー プレミアリーグ 2位
2011-12 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 2位
2012-13 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 1位 リーグ
2013-14 レアル・マドリード プリメーラ 3位 コパ、CL
2014-15 レアル・マドリード プリメーラ 2位
2016-17 バイエルン ブンデスリーガ 1位 リーグ
2017-18 バイエルン ブンデスリーガ ※2
2018ー19 ナポリ セリエA 2位
2019ー20 ナポリ セリエA ※2
エヴァートン※1 プレミアリーグ 12位
2020-21 エヴァートン プレミアリーグ 10位
2021-22 レアル・マドリード プリメーラ 1位 リーガCL
2022-23 レアル・マドリード プリメーラ

※1 シーズン途中の就任
※2 シーズン途中の退任

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