カーボンブレーキ(MotoGP)とは、カーボン(炭)でできたブレーキディスクを持つブレーキである。
MotoGPの最大排気量クラスのフロントブレーキに採用されている。
カーボンブレーキの特徴
制動力が高い
高温でも効く
カーボンは高温になってもよく効く。
ステンレス鋼ブレーキの最適温度は560度までだが、カーボンブレーキの最適温度は800度まで。
このため、ブレーキディスクが高温になりがちなレース終盤になっても安心して使用できる。
ステンレス鋼ブレーキは高温に弱いので、レース終盤になると効きが悪くなる。
最大排気量クラスのマシンにステンレス鋼ブレーキを付けてドライコンディションで長距離走行すると、
最後の方はブレーキレバーを思いっきり握ってもブレーキが効かなくなる・・・ということもある。
軽いのでジャイロ効果が減り、ライダーにとって扱いやすいマシンになる
カーボンは炭素繊維で、黒色であり、とても軽い。比重は1.8(g/㎤)である。
MotoGPのブレーキディスクの素材として有名なのは、鋳鉄とステンレス鋼とカーボンである。
このうち鋳鉄とステンレス鋼は主成分が鉄で、その比重は7.8(g/㎤)である。
カーボンは鉄の1/4程度の軽い素材ということになる。
ブレーキディスクが軽いため、フロントタイヤにかかるジャイロ効果が減り、ハンドリングが楽になり、
ライダーにとって扱いやすいマシンになる。
ジャイロ効果というのを簡単に解説すると、物体が回転するときに遠心力が働いて物体の重さが増幅され、いろんな作用を及ぼすこと、となる。
Wikipediaのこの項目では「走行時の安定に寄与する」と良いイメージの言葉で表現されているが、
MotoGP業界におけるジャイロ効果というと「フロントタイヤへのジャイロ効果でハンドリングに悪影響が出て、切り返しが重くなり、俊敏性が損なわる」と、そういう表現で語られることが多い。
こちらのページでは、「ブレーキディスクの重量が100g増えると、その影響は大きい。
回転するとその100gが何十倍にも増幅されるからだ。だからブレーキディスクは軽いほど良い」
「カーボンブレーキは1枚約800g、鋳鉄ブレーキは1枚約1800g。MotoGPのフロントブレーキは
左右にブレーキディスクを1枚ずつ、合計2枚使うので、鋳鉄ブレーキをカーボンブレーキに替えると
合計でだいたい2000gほど軽量化できる」といった内容のことが書かれている。
冷えると効きにくい
カーボンブレーキの欠点といえば、低温環境下で効きにくいことが挙げられる。
こちらのページでは、カーボンブレーキが適切に作動するには最低でも200度が必要と書かれている。
200度は結構な高温で、炒め物の料理をするときのフランパンの温度が160~200度である。
フライパンを1分近くガスコンロで炙って、やっと200度に到達する。
冷えた状態のカーボンブレーキは効きにくい。つまり、ピットから出たばかりの状態では
ブレーキが効きにくい。そして、ある程度カーボンブレーキを使ってブレーキディスクが温まったら、
一気にガツンとブレーキが効くようになる。このカーボンブレーキ特有の現象に驚くライダーは多い。
中上貴晶は2017年末のバレンシアテストでカーボンブレーキを初めて使ったが、
このときの彼も「ピットから出たばかりだとビックリするほど効かない。慌てて強く握ると一気に加温し、
強烈にブレーキが効くようになる」とこの記事で語っている。
カーボンブレーキが導入された当初の1980年代末頃は、カーボンブレーキの適正温度の幅が今よりも
さらに狭かったらしく、ちょっと冷えるとすぐに効きが悪くなっていた。
ちょっと気を抜くとすぐに適正温度から外れて効かなくなる、そういう難しいブレーキだった。
あまりの扱いの難しさに、当時のホンダワークスに所属していたワイン・ガードナーは、
フロントブレーキのディスク2つのうち1つをカーボンブレーキ、もう1つを鋳鉄ブレーキにしていた。
「両方カーボンブレーキにすると、冷えて効かなくなったときに危ない」と考えての処置である。
これをカクテル・ブレーキと呼んでいた。(カクテルとは異なる種類の酒を混ぜること)。
こちらの記事ではコンポジット・ブレーキ(composite 混合という意味)と呼んでいる。
中野真矢さんは、ワイン・ガードナーのカクテル・ブレーキについて「彼がそうした気持ちは
凄くよく分かります。僕もそうしたくなったぐらいですから」と語っていて、カーボンブレーキの扱いの
難しさをしばしば解説している。
寒いサーキットでカバーを付ける
カーボンブレーキは低温環境下であまり上手く作動してくれない。
このため、寒いサーキットではブレーキディスクにカバーを付け、温度を保つ工夫をする。
典型的な例がフィリップアイランドサーキットで、ここでのMotoGPの開催時期は10月で定着している。
平均最高気温が19.7度で、東京の4月並みの寒さであり、冷たい空気が漂っている。
さらに海岸線から強烈な風が吹いてくることが多く、ブレーキが冷えやすい。
しかもこのサーキットには強烈なブレーキをするコーナーが少なく、ますますブレーキが冷えやすい。
このため最大排気量クラスの各チームはブレーキディスクにカバーを取り付ける。
2017年に各ライダーが付けていたカーボンディスクブレーキのカバーはマンホールのフタみたいな
黒色の地味な見た目の円盤である。このカバーは回転しないので、見ていてすぐにわかる。
ホンダ、ヤマハ、ドゥカティ、スズキ、アプリリア、KTM、と全メーカーがカバーを付けた。
「雨でもカーボンブレーキ」が実現 2017年サンマリノGP
2017年サンマリノGP最大排気量クラスは雨のレースにおいて1つの画期的な出来事が起こった。
雨なのにカーボンブレーキを使って走ったライダーが優勝したのは史上初であった。
「雨で水が付いてすぐ冷えるので雨にはカーボンブレーキを使えず、ステンレス鋼ブレーキを使う」
というのが従来の常識だったが、カバーでブレーキディスクを覆い、さらにカーボンの材質も工夫し、
雨天走行が可能になった。
このレースは3種類のブレーキを使うライダーが出現した。
カーボンブレーキをカバーで完全に覆う マルケス、ヴィニャーレス、リンス
カーボンブレーキをカバーで半分だけ覆う(露出する部分もある) ラバト、ザルコ、スミス
ステンレス鋼ブレーキを使う ペトルッチ、アブラハム、ドヴィツィオーゾ、ロレンソ
雨でカーボンブレーキを使う工夫はその前から進められていて、初めて効果的に使ったのが
2015年サンマリノGPのブラッドリー・スミスだった。雨なのにカーボンブレーキを使い2位に入った。
その次に「雨でカーボン」を試したのが2016年マレーシアGPのマルク・マルケスだった。
結果は転倒したが、好ペースで走行した。
2017年サンマリノGPで雨天中にカーボンブレーキを使ったマルク・マルケスが優勝。
2017年日本GPでは、大雨なのにカーボンブレーキを使ったライダーが1~9位を独占した。
こちらやこちらで、ブレンボが誇らしげにレポート記事を書いている。
ブレーキディスク素材の比較
ブレーキディスクの主な素材というと、鋳鉄、ステンレス鋼、カーボンが挙がる。
この項では3者を比較したい。
鋳鉄(ちゅうてつ)
鋳鉄は英語でcast ironと言い、炭素が2.14%以上混ざった鉄のことをいう。
どうでもいい豆知識だが、鋳鉄は蓄熱性が高く、熱を逃がさない性質がある。このため調理器具に
採用されることが多い。鍋、ヤカン、炊飯器、フライパンに鋳鉄製のものがある。
しっかり熱を保持して、食材をきっちり温め、美味しい料理を作ることができる。
ただ、鋳鉄はアルミに比べてちょっと重く、腕がちょっと疲れるのが難点。
バイクのブレーキディスクの素材としてはなかなか優秀で、カーボンブレーキ出現以前は
鋳鉄ブレーキが主流だった。
カーボンブレーキは温度が低いと効きにくいというのが難点だが、鋳鉄ブレーキは温度が低くても
しっかり効いてくれる。このため雨が降ってブレーキディスクが冷えても平気で使用できる。
欠点としてはとにかく錆びやすく、そのためメンテナンスの手間がかかること。
ステンレス鋼
鋼は英語でsteelと言い、炭素が0.02~2.13%入っている鉄のことを言う。
鋼の中でクロムが10.5%入っていて錆びにくいものをステンレス鋼という。
なぜ錆びにくくなるかというと、ステンレス鋼の中のクロムが空気中の酸素と反応し、
1000分の3ミリメートルほどのクロム化合物の薄い膜が表面に発生して、鋼を守るからである。
「鋼(スチール)のブレーキ」というと「ステンレス鋼のブレーキ」のことを指す。
バイクのブレーキディスクの素材としては、「鋳鉄よりもちょっと劣る」という評価が多い。
制動力が鋳鉄よりも少し劣り、ブレーキングの距離が鋳鉄よりもちょっと長くなる。
冷えた状態でもちゃんと機能してくれるので、雨が降ってブレーキディスクが冷えても使用できる。
こちらのページでは、マイナス50度でも使用できると書かれている。
錆びにくくメンテナンスしやすいという巨大な利点がある。
「ブレーキ素材はステンレス鋼に限定する」という規則を導入して、チームの負担を減らすことがある。
2018年現在、ワールドスーパーバイクはステンレス鋼ブレーキのみ使用を許されている。
カーボン
カーボンは英語でcarbon。鉄ではなく、金属ですらなく、炭素である。
鋳鉄やステンレス鋼といった金属よりも圧倒的に軽い。フロントブレーキ関連の部品が軽いと、
マシンの操作がとてもラクになる。軽ければ軽いほど好ましい影響がある。
制動力が極めて高く、短い距離でガツンと停止することができる。
冷えると効きにくくなるので、雨が降ってしまうと使えなくなる。
開発が進んで、2017年サンマリノGP以降は雨でも使えるようになったが、カバー取付などの
面倒な手間暇がかかる点はあまり変わらない。
欠点は、コストがとても高いこと。
まとめてみると以下のようになるだろう。
◎が「非常に良い」、○が「良い」、△が「イマイチ」、×が「ダメ」
鋳鉄 | ステンレス鋼 | カーボン | |
制動力 | ○ | △ | ◎ |
軽さ | △ | △ | ◎ |
雨が降ったときの使いやすさ | ◎ | ◎ | × |
チームの財布への優しさ | △ | ◎ | × |
フロントブレーキ素材の変遷
MotoGP最大排気量クラス
1980年代まで鋳鉄のブレーキディスクが使われていた。
1980年代の終わり頃からカーボンのブレーキディスクが使われ始めた。
カーボンの制動力は強烈で、鋳鉄の制動力を大きく上回る。次第にカーボンが主流となった。
カーボンは水に濡れて冷えると効かなくなるので、雨が降ったら鋳鉄のブレーキディスクに交換した。
「晴れならカーボン、雨なら鋳鉄」の体制は長く続いた。
2002年にヴァレンティーノ・ロッシが乗っていたマシンは「晴れならカーボン、雨なら鋳鉄」だったと、
この本の247ページに書かれている。
いつのまにか「晴れならカーボン、雨ならステンレス鋼」の体制になっていた。
2011年までにはその体制になっている。2017年サンマリノGP以前までその体制が続いた。
カーボンブレーキについての研究が進み、雨が降って水に濡れても使えるように進化していった。
2017年サンマリノGPで、雨なのにカーボンを使ったマルク・マルケスが優勝した。
これ以降、「晴れでも雨でもカーボン」の体制になった。
MotoGP中排気量クラス
鋳鉄のブレーキディスクを使っていたが、1980年代終わり頃からカーボンのブレーキディスクが台頭し、
「晴れならカーボン、雨なら鋳鉄」の体制になった。
1999年にロッシが乗っていた2スト250ccマシンは
「晴れならカーボン、雨なら鋳鉄」だったと、この本の257ページに書かれている。
2003年シーズンから、コスト削減を理由にカーボンブレーキが禁止され、鋳鉄ブレーキのみとなった。
2010年シーズンから始まったmoto2クラスでは、コスト削減を理由に、
全ての車両がステンレス鋼ブレーキを使うように義務づけられている。
MotoGP軽排気量クラス
鋳鉄のブレーキディスクを使っていたが、1980年代終わり頃からカーボンのブレーキディスクが台頭し、
「晴れならカーボン、雨なら鋳鉄」の体制になった。
1997年にロッシが乗っていた2スト125ccマシンや1999年にロッシが乗っていた2スト250ccマシンは
「晴れならカーボン、雨なら鋳鉄」だったと、この本の260ページに書かれている。
2010年には、軽排気量クラスはステンレス鋼ブレーキのみになった。
この記事では、2010年にマルク・マルケスが乗った2スト125ccマシンはステンレス鋼ブレーキだったと語られている。
2012年から始まったmoto3クラスでは、全車両がステンレス鋼ブレーキを使うよう義務づけられている。
関連項目・関連リンク
- ブレンボ公式サイトのニュースコーナー(興味深い技術情報が多く発表される)
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